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僕たちは大量生産のロボットじゃない

例えば、日本株式会社という会社を想像してみよう。社長がいて、重役がいて、社員がいる。この場合、僕たち国民がその社員に相当する。

もし社長が社員想いの良い人なら問題ないけど、自分のことしか考えず、社員はただ従順に従うだけで良い存在としか思っていなかったらどうだろう。社長に反発する社員はいらないとされるし、社長に異議を唱える社員もいらないとされる。社長の言うことを盲目的に従う社員だけが必要とされる。その場合、扱いやすい人を社員に選ぶだろう。

会社で例えたけど、日本という国も同様の状況かもね。

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中学高校時代を思い出してみよう。偏差値教育により数字だけで判断される。生徒たちは効率的にテストの点数を上げることに注力する。高い点数を取ることに焦点が絞られる。

僕が中学のころ、勉強のできる友人が「定期テストが終わったら、教科書の内容なんてみんな忘れちゃったよ!」と言っていた。勉強が得意というよりも、勉強をするのが上手い生徒が良い点数を取る。 

生徒はテストのためのパターンを覚え、その方法で点数を取るようになる。本質的な理解をしないで、点数を取る方法だけを追い求める。暗記が良い例だ。丸暗記すればなんとかなる。高得点を取るにはそれだけではダメだろうけど、まあまあの点数は取れる。 

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このような教育の結果、人々は知らず知らずに自動化されていって「こうすればこうなる」というパターンに囚われた存在になってしまう。その結果、思考することよりもマニュアル通りの行動を選びやすくなる。こんな環境では、人々は機械やロボットのように、上の人たちにとって取り扱いやすい存在となる。

ま、上の人たちにしてみれば、それを大量生産できれば良いと思ってる人が多いのだろうけどね(笑)。

日本株式会社という国は、そんな社員という国民が欲しいのだろう(笑)。

でも、そうはさせない。僕たちはロボットじゃない。あんたは、同じようなロボットをたくさん製造したいのだろうけど、僕たちは優れた思考力を持っている。あんたの言いなりにはならない。僕たちは自分の意志で行動していくんだ!

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