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20年前に井口資仁一家総出でファンサービスを受けたお礼を言いたい

僕は王監督がダイエーホークスの監督に就任した1995年のシーズンからホークスファンです。

小学校の頃は「Hawks応援共和国」というホークスの応援サイトを運営していました。そこそこの人気サイトで、何度か新聞や雑誌に掲載されたこともあります。

 そんな子供のころ、一度だけ勇気を出してファンレターを送った選手がいます。それは井口資仁選手です。もう引退して2年が経ち、千葉ロッテマリーンズの監督として奮闘している井口資仁選手からもらった、たくさんのファンサービスの想い出を語らせてください。

井口資仁選手とは


ここでまず、井口資仁選手について振り返っておきたいと思います。井口選手は96年オフに福岡ダイエーホークスを逆指名して入団しました。

 デビュー戦の満塁本塁打に始まり、福岡ダイエーホークスが初優勝した時の決勝ホームランを打つなど、印象的な活躍を見せてくれました。

 「井口はいつもおいしいとこを持っていくなあ」と言われ始め、そんなキャッチコピーがついた辛子明太子のCMにも出ていました。福岡のファンは結構印象的なCMだったんじゃないでしょうか。

 その後、ダイエーで2度の盗塁王を獲得したり、30本塁打40盗塁を記録するなど大活躍しましたが、2004年にメジャー挑戦するため、ホークスを退団しました。

 2005年にシカゴ・ホワイトソックスに入団した井口選手は1年目から大活躍。

ボストン・レッドソックスとのアメリカンリーグ・ディビジョンシリーズで逆転スリーランを打つなど、印象に残る活躍を見せました。

この年、シカゴ・ホワイトソックスはワールドシリーズを制覇します。

 そして2009年に日本球界へ復帰し、2017年まで千葉ロッテマリーンズでプレーしました。千葉ロッテでプレーした時間の方が長いというのは、少し寂しいですね。

引退試合でもホームランを放ち、おいしいとこを持っていく井口はやっぱり健在でした。

今日はそんな僕のスーパースター、井口選手のお話をじっくりとさせてください。

1997年5月3日、井口のデビュー戦満塁本塁打を目撃


「2番ショートストップ、井口忠仁」

福岡ドームに一際大きな歓声が響きました。小学4年生の頃、ゴールデンウィークに大好きだったダイエーホークスの試合に連れて行ってもらった僕は、福岡中の期待を背負ったルーキーのデビュー戦を見られたのです。

 試合前、ウォーミングアップをする井口選手をカメラがとらえ、バックスクリーンのビジョンに映し出されたときの「オオー」という歓声も覚えています。これまでに体感したことのないドームの雰囲気でした。

 その日、井口選手はデビュー戦にも関わらず満塁ホームランを放ちます。山崎投手から放った打球はあっという間にレフトスタンドに吸い込まれていきました。

 「すごい選手が来たんだ!」と子どもながらにとても興奮し、友達に井口の満塁ホームランを見たことを一生懸命自慢したことを覚えています。 

2000年にオープンした井口資仁オフィシャルサイトが凄かった



パソコンマニアではない一般家庭にもインターネットが普及し始めた2000年に井口選手は人知れず自分のオフィシャルサイトをオープンしました。

その前の年に自分のホークス応援サイトをオープンさせていた僕はすぐにその情報を聞きつけ、更新を楽しみにチェックしていました。

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↑当時の井口選手の公式サイト(WaybackMachineより)

この公式サイトにはプレゼントコーナーがあり、Tシャツやチケット、ポスター、カレンダーなど様々なグッズをプレゼントしていました。

インターネット人口の少ない当時ですから、プレゼントの応募者は非常に少なく、プレゼントは応募すれば8割方当たるような入れ食い状態

井口選手にたくさんオリジナルTシャツをもらい、チケットもいただきました。

ダイエー時代の井口選手はこの公式サイトを通じ、たっぷりファンサービスをしていたと思います。ここまでサービス精神旺盛な公式サイトはなかったと思います。

当時の井口選手の公式サイト見られるWayback Machineはこちら

初めて送った井口選手のファンレターの送り先は「実家」

僕はオープンしたばかりの井口選手の公式サイトのプレゼント企画に当選し、Tシャツを手に入れました。

そのTシャツが入っていた封筒の裏面に東京都田無市の住所と井口選手の親御さんと思われるお名前の判が差出人欄に押されていました。

 

「えっ。これ、井口の実家から来てるの?」

 

今では絶対に考えられませんが、なんと公式サイトのプレゼント企画の発送元が井口選手の実家のご両親だったのです。

僕はこれまでファンレターというものを送ったことがありませんでした。何となく読んでもらえる気がしないし、球団に送ったところで無駄かもしれないと思っていたからです。

 

でも、さすがに実家に直接送ったら読んでもらえるんじゃないか。だって、実家だぞ。

 

そこで、僕は勇気を出して、プレゼントをもらったお礼も兼ねて、井口選手にファンレターを送ることにしました。97年のデビュー戦の満塁本塁打を見てから、ずっと応援していること。そして、初優勝の決勝ホームランに感動したことを素直に書きました。

 

返事はもらえないと思うので、ホークスのファンクラブでもらえる井口選手のベースボールカードと切手付きの返信用封筒を付けて、サインをおねだりすることにしました。

井口選手のご両親からファンレターの返事が来た

それから数週間後、井口選手の実家から定形外郵便が自宅に届きました。

「うわ、なんか着た!」

何が入っているのか全く見当がつかないまま、中を開けると井口選手のオリジナルカレンダーが入っていました。そして、一枚の手紙が入っていました。

 

いつも忠仁を応援してくれてありがとうございます。ファンレターとベースボールカードは責任をもって忠仁に届けます。これからも忠仁の応援をどうぞよろしくお願いします。 井口忠仁の父母より

 

まじか。すごいことになった。

野球ファンの中で選手の両親からファンレターの返事をもらったことがある人はいるのでしょうか。

この神対応に興奮しながら、井口選手からの返信がくるのを心待ちにしていました。

井口選手もとんでもない神対応だった

それから1か月くらい経ち、井口選手から封筒が届きました。その封筒は僕が用意した返信用の封筒で、中を開けると僕が送ったベースボールカードにサインがしてありました。

 

「すごい!やった!井口、ありがとう!!」

 

と思ったのもつかの間、僕は言葉を失いました。

 

「あれ、カードが増えてる・・・。」

 

なんと井口選手は僕が1枚しかカードを送っていないにも関わらず、さらに3枚のカードを自らプラスして送ってくれたのです。

…実は2枚のカードは井口のファンだという友達にプレゼントしてしまいましたが、2枚はまだ僕が大切に保管しています。

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特に手紙などは入っておらず、カードだけが入っていました。

それだけでも、井口選手が自分のファンレターを読んでサービスしてくれたことはよく伝わり、とっても嬉しかったです。

 

その年のクリスマスにまた井口選手から郵便物が届く


それからしばらく経ち、福岡ダイエーホークスはV2を決め、世間はON対決に湧きました。

そんなキラキラしたシーズンが終わり、野球の話題が無くなりつつある頃、井口選手からまた郵便物が届きました。

 プレゼント企画も行われておらず、全く心当たりがありません。

封筒を開けてみると、冬用のもこもこした起毛がついたベースボールキャップ。シルバーのペンで井口選手のサインが記入してありました。

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(もう19年前のサインなので、薄れがかっていますが…)

 今回もベースボールカードの時と同じように、何も手紙などは入っていません。

僕がこの荷物を受け取った日は12月25日でした。なんと井口選手は会ったこともない僕にクリスマスプレゼントをわざわざ送ってくれたのです。

 こんな気配りまでしてくれて、僕は本当に井口選手を応援していてよかったと思いました。

井口監督、ごめんなさい。そしてありがとう!


郵便物のやり取りしかできず、どうお礼を言ってよいかわからないまま、18年の月日が過ぎました。この記事が千葉ロッテの井口監督に届くあろうはずもありませんが、一応書いておきたいと思います。

19年前、井口選手の田無のご実家にファンレターを書くというぶしつけな行動をとってしまい、本当に申し訳ありませんでした。

しかし、封筒に書かれた実家の住所を見て、どうしても我慢ができませんでした。

そんな幼い私の行動に井口選手のご両親は優しく受け止めてくださいました。

そして、言葉を交わすことはなくとも、行動で僕の想いに応えてくださった井口選手には心底痺れました。僕の人生の宝物です。

もしかしたら井口選手は僕を野球少年だと思っていたかもしれません。僕はただの野球ファンでしかなく、学校から帰って一生懸命ホークス応援サイトを更新するような、野球少年とは正反対の子供でした。

しかし、井口選手のファンサービスと優しさを目の当たりにし、僕も人にやさしく行動で愛情を示せるような男になりたいと思いました。まだまだ、そんなかっこいい男にはなれていませんが、僕も野球以外の形ではありますが、井口選手のような強くかっこいい男になりたいと野望を持っております。

僕は今でも福岡ソフトバンクホークスを応援していますが、千葉ロッテマリーンズの監督・井口資仁も応援しています。来年、どれほどホークスを脅かしてくれるのかを楽しみにしています。

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