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福岡県民の僕がアビスパ戦に行って楽しむようになった全理由

2019年3月30日から、627日が経過した12月16日。アビスパ福岡はJ1昇格を決めた。

普通なら前回のJ1昇格を決めた2015年や、J1降格した2016年から日数を数えるのが筋だろう。しかし、ぼくはその頃はアビスパサポーターではなかった。

ぼくがアビスパ福岡と向き合うようになったのは、2019年3月30日。博多の森陸上競技場で行われた、ジェフ千葉戦である。

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試合終了後のブーイングを覚えている

ぼくは率直にこの試合観戦が楽しいとは思えなかった。ぼくはそのことをnoteに書いた。するとTwitterや各種ソーシャルメディアで信じられないくらいに拡散した。

記事は1日で6万を超えるPVを記録。ぼくの当時のTwitterフォロワーは400~500人程度。noteに関しては10人くらいだった気がする。なぜこの記事が拡散したのか、まったく意味が分からなかった。サッカーファンでもない、単なる一人の男が楽しめなかったと話しているだけの内容に、何の意味があるのかと思っていたからだ。

ぼくはこの記事をシェアしているツイートを読みながら、この記事を読んだ人が何を考えているのかをずーっと考えていた。すると、2つの属性があることがわかった。


①「楽しめない理由」を素人目線で書いた記事は貴重であり、参考にすべきであるという視点

②アビスパ福岡に対して悪印象な記事を拡散させた人間であり、許せないという視点


最初は「①」が多く、徐々に「②」の声が増していった印象だ。ぼくは冷や汗を流しながら、ずっとTwitterを見ていた気がする。ちなみにこのころ、ぼくは第2子が生まれた。

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産婦人科でパソコンを広げて、テザリングしながらTwitterの反応を見ていた。今後どうすればいいのか必死で悩んでいるぼくの姿は妻も嫌がっていた。でも、ぼくは怖かった。このとき、第2子の存在はその恐怖を増す存在でしかなかった。

当時の僕が見ていたTwitterの画面の再現はこちら

実名と顔が出て、そしてフリーランスであるぼくを勝手に想像したような感想、批判が加速していく状況。守ってくれる人は誰もいない。「ぼくはこれから先、福岡で仕事ができるのか」妻の反応よりも、家族の未来が恐くて仕方なかった。


あれから1年半の月日が経過した。


ぼくはフリーライターとして少しは認知されるようになり、この仕事で食べていくための道筋は少しずつ描けるようになってきた。仕事は想定したより順調だと言っていいと思う。ぼくの記事を「面白い」と評価してくれて、楽しみにしてくれる人も存在する。独立したころは、そんな状況は想定できていなかった。


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2020年12月16日。ぼくは自宅でアビスパのユニフォームを着て、DAZNで愛媛戦、スマホで長崎の試合動向をチェックしていた。大声を出すものだから、長男も次男も心配そうにぼくを見つめる。意味が分かると「アビスパ頑張れ」「しろチーム頑張れ」と叫んでくれた。

たくさん叫んで喜んだ。アビスパを応援していてよかったと思うのと同時に、来年が楽しみになった。そして、もっと頑張ろうと思った。アビスパはぼくの人生に潤いを与えている。

ぼくはこの1年半で変わった。一体何が変わってアビスパ福岡を楽しめるようになったのか。その原因を改めて考えてみたところ、いくつか原因を言語化することができた。

別に偉そうに「提言」まがいのことをするつもりはない。詳しい人からすれば「何言ってるんだ」と感じる部分もあるかと思うが、一人の福岡に住む父親の独り言と思って聞いてくれればと思う。



サポーターとは共感できないという思い込み

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ぼくは一体、サポーターが何を楽しんでいるのかがわからなかった。

「なんでこんな弱いチームを応援するの?」「負け続けて嫌にならないのかな」「アビスパの親かなんかじゃないと無理じゃない?」とまで思っていた。

ぼくは、自分とサポーターを「価値観の違う人間で交わることはない」と壁をつくっていたように思う。どんな人間なのかわからない人に敵意を見せられると怖いものだ。だから、ぼくはTwitterの声が怖かった。

ツイートでぼくへの敵意をむき出しの人を見て「だからアビスパは嫌なんだよ」と何度思ったか分からない。そんな中、とある声にぼくは衝撃を受ける。ぼくの記事を「肯定するか」「否定するか」でサポーターを分断するような構図になり始めていた時、否定派の人がこのようなことを言っていた。


「自分の息子をけなされて、黙っている親はいないだろう」


まさか本当に彼らが「アビスパの親かなんか」だったとは。たしかに、親かなんかなら、仕方ない。

第2子が生まれてすぐのタイミング。この発見はぼくの気持ちを一気に変えた。ぼくは子どもをかわいがる肉親に、頼まれてもいないのに、わざわざ子どもの欠点をお伝えし、それを世間にも広めたと思われているのか。なるほどたしかに、そりゃ怒って当然である。


「アビスパの親かなんか」

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なんでアビスパの親かなんかみたいになるのよ。問題はそこである。

ぼくはかつて、福岡ダイエーホークスの熱狂的なファンだった。試合展開を見守り、ホークスの勝利や敗北と感情を共にした。しかし、そこに「親」のような感情は持っていない。ただ「勝ってほしい」と願い、負けたら批判し、文句を言う。そんな感じだった。周りもそうだった。そこに何も問題はないと思う。

でも、アビスパを通じて見る、Jリーグのサポーターはなんか違った。たとえば、毎試合の集客数とか、グッズの売れ行き。クラブを応援するのと同じように、スポンサーを応援し、スポンサーの数やスポンサーとの付き合い方など、サッカー競技に直接関係ないことまで気にしている姿があった。

フロントの文句を言うだけではなく、自分に何ができるのかを本気で考えている人が大勢いる。まるで「スタッフかよ」と思うほどに。そんな人を野球ファンで見たことがない。そして、別にそうある必要もないと思う。


野球の販売ユニフォームにはスポンサーマークがない

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ぼくはホークスを取材することもある。ホークスの取材のときに、ホークスの広報の方とアビスパサポーターの話をした。話題は「なぜ野球の販売用のユニフォームにはスポンサーのマークがないのか」ということ。取材日に子ども限定で配布されたキャップに「PayPay」のマークがついていたことから、何気なく出た話題だ。

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ホークスの広報の方は「あれは広告です。お客様に販売する商品に広告をつけることはできません。今回のキャップは配布用なので、広告がついています。」と話してくれた。

ぼくはアビスパの販売用ユニフォームにはスポンサーのマークがそのままついていて、サポーターはスポンサーのマークも大切に誇りに思って、ユニフォームを着ている旨を説明した。ホークスの広報の方は、そもそもJリーグの販売用のユニフォームにスポンサーのマークがそのままついていることを知らなかった。説明すると、文化の違いにかなりびっくりされていた。

サポーターにとっては、クラブ経営やスポンサーの幸せまで含めて「サッカー」なのだ。これはかなり大きな違いだと思う。ではなぜ、サッカーサポーターはそんなところまで含めて「サッカー」と考えるのだろうか。


サッカーは人生を重ねた方が楽しい

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ぼくは昨年、アビスパサポーターの「愛」の深さと方向性を知り、「しっかりとアビスパの良さを知ろう」と思い、たくさん取材を行った。サポーターとTwitterでふれあい、アンケートにも協力してもらい、2つの記事が完成した。

取材をした2か月間、アビスパは勝つ試合を見せてくれなかった。

ぼくはサポーターの気持ちとずっと向き合っていたので「こんなに必死で応援している人がいるんだから、勝ってあげてよ……」とずっと思っていた。試合を見始めて9試合目でようやく勝利を目の当たりにすることができた。気がつくと、ぼく自身が「必死で応援している人」になっていた。

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このへんでわかった。なぜサポーターが「親」みたいになってしまうのか。それは、それくらい感情移入した方が、サッカー観戦は楽しいからである。

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Wikipediaより(Arg vs urss 1979 - Diego Maradona - Wikipedia)

先日亡くなった、ディエゴ・マラドーナ氏の有名な格言のひとつに「人生はサッカーであり、サッカーこそが人生。」というものがある。これはサッカーをやる人だけでなく、見る人にも当てはまるものなんだと、今では思っている。

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サッカーに人生を重ねだすと、自然と興味はスタジアムの外にまで及ぶのだ。なぜなら、スタジアムはスタジアムの外での選手、監督、クラブの頑張りの結果なのだから。

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選手が気になりゃ練習場に行く。クラブが成り立たなきゃ、試合自体が見られなくなるのだから、集客も気になるし、集客のためにどれだけクラブが頑張っているかも気になる。スポンサーの広告収入がクラブ経営を支えていることを知れば、スポンサーのことを想う。

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全部それはクラブに人生を重ねているから。そして、そうなると試合の敗北はより悔しくなり、勝利はより嬉しくなる。そうなると、スタジアムで大きな声が出て、感情がより揺さぶられる。

嬉しいことにも、悲しいことにも振り回され、サッカーによって、感情が揺さぶられること。それはサポーターにとって喜びであり、楽しいことなのだ。人生の幸せのひとつなのだ。

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ぼくはアビスパ福岡と本気でふれあうことで気がついた。これは、「自分の子どもと感情を共にするのが幸せ」なのと、本質的には同じものだ。ぼくもサポーターと、同じ人間だったのだ。共感できる部分がたくさんあったのだ。

彼らはぼくよりもちょっと(20年くらい)先に、サッカーの楽しみ方を知っている先輩にすぎない。

※このあたりの想いは、12万字の有料note「アビスパ沼」でも語っています


クラブとの距離の近さが愛情を加速させた

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noteの記事が話題になった2か月後。ぼくは雁ノ巣で選手たちにインタビュー取材をしていた。アビスパ福岡は、サポーターの批判を受け止めて、取材記事をつくることにしたぼくの気持ちを応援してくれた。むしろ「ありがたい」と言ってくれた。

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広報の高木さんは情熱的な方だ。ぼくが昨年、サポーターからのアンケート結果を渡すと感極まりながら目を通してくれた。

ぼくに対して「ぜひ選手に取材してほしい」と後押ししてくださり、実現のために動いてくれたのも高木さん。高木さんなくして、昨年から今年にかけての取材活動は成立しなかった。

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川森社長は今年のクラファン記事からのお付き合い。公式の記者会見の場にぼくを呼んでくれ、忖度のない内容のインタビューも趣旨を理解して答えてくれた。

ぼくは記者会見でのアビスパへの質問の少なさに驚愕。その記者会見はクラファンに対する記者会見だったのだが、もう本当に質問がなくて。「きっかけは?」とかしかない。アビスパ福岡への関心の少なさ、厳しさを実感した出来事だった。

この状況で情報発信をするのは難しいだろうなと思うのと同時に「自分に何ができるのか」と具体的に考えるきっかけになったと思う。

そもそも、ぼくが「アビスパっていいクラブだな」と思ったのは、ぼくの最初の記事をとても真摯に受け入れてくれたところにもある。アビスパ福岡は「福岡県民の僕がタダ券を貰って子連れでアビスパ戦に行って楽しめなかった全理由」の記事をスタッフで改めて読み、感想文を回し読みして、今後の話し合いをしたとも聞いた。

事実、ぼくが最初の記事で指摘したことが次々に改善している。

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▲改善した内容は元記事にも表記

こんな本気の人たちを応援しない理由はない。

たしかになんだか素人臭かったり、大人の事情に巻き込まれて身動きがとれなくなったりするようなこともあるかもしれない。スタッフの中には「熱量」でサポーターに負けていて、叩かれる人もいるかもしれない。

でも、スタッフはクラブに人生を重ねている人たちなのだ。

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どこの馬の骨かもわからない無名のWebライターを受け入れ、信頼してくれたアビスパ福岡に、ぼくはとても感謝している。これからも必要としてくれる限り、自分にできることを探して、福岡の地で一緒に走っていきたい。


スポンサーとサポーターの関係性が美しい

ぼくは今年、スタートに失敗したクラウドファンディングを盛り上げるべく、アビスパがクラファンの返礼品として用意していたスポンサーの商品を紹介する仕事に取り組んでいた。

取材する中で、さまざまなスポンサー企業の想いを知ることもできた。たとえば、博多グリーンホテルの田中さん。

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「スポンサーになってから、福岡外に転居されたアビスパサポーターの方が、宿泊先として優先的に選んでいただけるようになりました」と嬉しそうに語っていた。

日本食品の公式Twitterの中の人「長男(本名非公開)」さんも印象に残っている。

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彼の場合は「もともとそんなにアビスパ福岡には興味がなかった」のにも関わらず「Twitterを始めて、アビスパのサポーターさんと関わるようになってから、どんどん入り込んで見るようになった」とのことだった。

今では「SNSでもっとも応援してくれるのはアビスパサポーターの方々」と語っており、Twitterはアビスパサポーターに大人気だ。

そして「牛タンと蕎麦のさえ木」の田仲本部長と口石さん。

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口石さんはコロナ禍でお店が大変な状況の時に、アビスパのサポーターの方々がランチ営業に駆けつけてくれたり、Uber Eatsを注文したりしてくれたのが本当にうれしかったのだそう。

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「アビスパ福岡よりも先にサポーターの皆さんのことが好きになってしまった」という言葉は、とても印象的だった。

ぼくはサッカーに、ましてやアビスパ福岡にこんな側面があるなんて、まっっっっっったく知らなかった。なんて美しい関係性なんだ。

「応援してくれてありがとう。だから、わたしもあなたを応援する」という、今一番大切にされている考え方を、アビスパサポーターは大昔から自然に呼吸するようにやっている。

ぼくはこういう関係性って、直接的に福岡を元気にすると思う。すばらしいことだ。こういう関係性がアビスパ福岡の周辺で起きているということ、もっとサッカーの外側でも知られてもいいんじゃないか。


「アビスパが福岡を世界中に知られる都市にする」

「アビスパ福岡が福岡を成長させる」と信じる一心でスポンサーを続ける企業もある。「味の明太子」のふくやである。

川原社長はマンチェスターユナイテッドを例に挙げ「サッカークラブが強いと、ものすごく知名度があるし、都市のブランドイメージが高まる」と教えてくれた。

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「アビスパ福岡が強くなることで、福岡のブランドイメージが高まり、世界中に知られる都市になると信じている」

その一心で、スポンサーを続けているという話だった。アビスパ福岡って、そんなに大きな夢を乗せる価値のあるものだったのか。そんなことに気づかせてもらえたのだ。

ぼくもこの夢を一緒に追いかけていきたい。アビスパ、そして、ぼくが生まれた福岡の未来のために。


これが僕がアビスパを応援する全理由

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もう昨年の春のように、アビスパについて理路整然と淡々と書くことはできない。なにせ昨日J1昇格が決まったばかりだ。感情的に書きなぐってしまったことを許してほしい。でも、最後にまとめよう。

ぼくがアビスパを応援するようになった全理由は以下の通りだ。

①アビスパに人生を重ねる楽しさを知った
②本気のクラブスタッフに触れ、力になりたいと思った
③スポンサーさまと応援し合う関係性が好き

ぼくの場合、サッカーだけではない。「サッカーの周りで起きている新たな価値」に関心が高いのかもしれない。そして、それらはサッカーサポーターでない人には知られていないことばかりなのだ。なんてもったいないことだろう。


もう一度、ディエゴ・マラドーナの名言を紹介したい。

人生はサッカーであり、サッカーこそが人生。

ぼくは選手以外に、サッカーが人生だと思っている人がこんなにも多いことを知らなかった。サッカーはたくさんの人の人生に触れられるから面白いんだ。ぼくは今、そう思っている。


アビスパ福岡の船には、選手と監督、スタッフだけじゃない。他にもたくさんの乗組員が命懸けで乗っている。Jリーグはたいへんな荒波で航海も厳しいものだ。でも、とても楽しい航海だ。

航海の幸せはなるべくたくさんの人数で共有したい。幸い、船の中にはまだまだ空席がたくさんある。こんな航海が世の中にあることを、もっと福岡の人に知ってもらいたい。いずれ「船を増築しないとなあ」となるくらいにしたい。

そんな夢と人生を乗せて、ぼくも今、アビスパ福岡の船に乗っている。ずっと海は大しけだったが、いったん難は逃れた。何度も大しけを乗り越えてきた船は年々強度を増している。アビスパ福岡は、たくさんの人生を乗せて、さらなる猛烈なしけに立ち向かっていく。

加速させるのは、福岡を愛する”俺たち”だ。

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