「恋とは病であり、愛とは死である」
…正直、「恋愛」というテーマについての記事は避けてきました。
これほどまでに、各個人の価値観が食い違うテーマがあるでしょうか?
…いや、ない。きっと、おそらく、多分…(;一_一)。
ということで、これから文字にする内容も、私の「現在の」価値観であって、何かを断定するモノではないことをご了承の上、読み進めていただきたいと思っています。
読んでいく中で、賛否の別れる部分もあるでしょうが、どうか、ご自身の価値観を大切にして、主観とは切り離して読んでいただけるよう、切に願います。
それくらい、重いテーマだと思っています。気軽に書けない理由も、途中で語ると思いますが、間違っても、言葉に、文字に、惹き寄せられないようにしてくださいね。
そう、特に現代においては、ヒトの恋愛と言葉・文字は切り離せない関係にあるのですから…。
さて、以上を踏まえた上で、内容を一言で表してみます。
「恋とは病であり、愛とは死である」
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…決して悲観的な言葉ではなく、比喩であることを述べておきます。
恋愛は科学ではなく哲学だ、というスタンスで読んでほしくて、強い言葉を選びましたm(__)m。
(;´・ω・)…なんだろ、まだ本文の前なのに、どっと疲れる(笑)。
…よし、書きますかっ。(…と言いつつ、ここで下書き保存しましたw。)
オッサンが語る「恋」(*'ω'*)キュン。
よく聞く話の中に、「恋」は「下心」があるモノ(漢字に注目!)、といったことを言う方もいますが、これはちょっと極論だと思いませんか(笑)?
私が先ほど書いた「恋は病」の「病」というのは、インフルエンザみたいなものだと考えています。あえて”567”ではなく(笑)。
発病する前に「潜伏期間」がある場合もあれば、即、発症の場合もありますよね。
そして、熱などの症状が続いていきます。
「熱」というのは恋の症状を判断するのに大事な要素で、熱が下がってしまうことを「恋が冷めた」なんていうこともあります。
自分の熱が冷めないうちは、「恋煩い」に浮かされる日々で、悶々としてしまうかもしれませんが、ときに、それが心地よく感じてしまうのも、なんだか熱を長続きさせるエッセンスなのかもしれませんね(*'ω'*)。
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オッサンの語る「愛」(*'▽')ラヴリー
…ちょっと、自分で書いてる内容に耐えきれなくなってきました(笑)。
は…恥ずかしい(/ω\)。
「恋=下心」だとするのなら「愛=真心」なのでしょうか?
…まあ、それはさておき(笑)、「愛は死」という表現についてですが、個人的な意見として「死を迎える瞬間に抱く感情」が「愛」なのではないかと思っています。
「恋」とセットになっているので「愛」というのも、特定の異性を連想する方が多いと思いますが、「友愛・情愛・博愛・親子愛・兄弟愛」など「愛」のカタチは様々です。
「偏愛」や「憎愛」も、含まれると思っています。
このことから言えるのは、「愛とは築き上げた過程と結果につける名称」なのではないでしょうか?
つまり、「愛」は対象者を選ばず、対象者ごとに違うカタチを成すもの、ということです。
対象者との関係の構築中は、存外「愛」に気づかないものです。
命の灯りが消える刹那の風景にこそ、愛は存在するのではないでしょうか?
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最後に「男女の愛」についての私の見解を少し述べさせていただきます。
月並みですが、「恋は落ちるモノ、愛は築くモノ」だと思っています。
ですから、「愛」だと思っていた関係が終わるとき、「恋」でいうところの「失恋」のようなニュアンスで「失愛」とは言いません。
「愛に至らなかった」という表現が適しているのではないかと考えています。
「あの人と愛を築いてきた。でも、愛には至らなかった…」的な。
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さてさて、最後はもう自分で何を書いているのか分からなくなりましたが、あなたに多くの愛が築き上げられることを願って、今回の投稿は以上です。
(;゚Д゚)はー、もう恋愛ネタは書かないと思います(笑)。
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