「本質が大事」っていうけれど、それじゃあ「本質」って何⁉
「物事の本質を捉えることが大切である」
「相手の本質を見極めることが肝要である」
…このような言葉で幕を閉じる話って多いと思いませんか?
どこかで読んだり聴いたりすると「確かにそうだよな…」と思う反面、「それが出来たら苦労しないんだよな…」と思ってみたり(笑)。
実は多くの人にとって、本質とは「納得感」ではなく「落としどころ」だったりするのではないでしょうか?
「それを言われちゃったら、何も言えねぇ…」みたいな。
ということで、今回は「本質って何だろう?」について考えてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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【本質】
1 物事の根本的な性質・要素。そのものの、本来の姿。
2 哲学で、存在するものの基底・本性をなすもの。
㋐偶有性に対立し、事物に内属する不変の性質。
㋑実存に対立し、そのもののなんであるかを規定し、その本性を構成するもの。
3 論理学で、思惟の対象を定義する諸限定。類・種のごとき普遍をさす。→実体 →属性 →本体
(デジタル大辞泉より抜粋)
おそらく、今回は「1」と「2」の意味合いで考えることになると思います。
さて、突然ですがあなたに質問です。
「人間の本質ってなんでしょうか?」
この質問では、前提条件として「全員が共通の概念を持っていない」ことが浮き彫りになると思います。
「人間の本質」について、物理的な要素で考えるのか、心理的な側面を本性と呼ぶのか、スピリチュアルな視点でその人を取り巻くあらゆる可能性を本質と指すのか…?
つまり、「あなたと他人は違う考えである」は本質なのではないでしょうか?
また、時間という概念を付加して考えてみると、私たちの本来の姿とは赤ん坊と捉えることも出来るでしょうし、胎児や小さな細胞レベルの状態を本来の姿と捉えることも出来そうです。
個人的な意見ですが、私なりに胎児や赤ん坊を本質の要素として考えると、そのときに保有している能力に行き着くと考えています。
成長とともに身につくモノではなく、赤ん坊の時点で、すでに備わっているものとは何でしょうか?
私は「無垢」ではないかと思っています。
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【無垢】
1 仏語。煩悩のけがれを離れて、清浄であること。
2 けがれがなく純真なこと。うぶなこと。また、そのさま。
(デジタル大辞泉より抜粋)
「無垢」の状態からどのように成長するかはさておき、私たちは自我と好奇心と環境要因で多くのことを学んでいきます。
この「自我」「好奇心(志向性)」「環境要因」が複雑に作用して人格を形成することも本質の一端なのでしょう。
「自我」は一般的には「環境要因」に大きく左右されることが知られています。
大阪で生まれ育った人が関西弁になるのは、周囲の環境を形成する他者が関西弁を話しているからです。
ごくまれに、斥力的に「自我」を「環境要因」に反する形で形成する方も見えますが、そのような状態を「反面教師」などと呼びますよね。
「無垢」に対して、「自我」「好奇心(志向性)」「環境要因」といった要素がプラス方向かマイナス方向に作用して、人格は形成されると私は考えています。
どちらにせよ「無垢」であるがゆえに、人は一定方向に伸長し、成長するのだと思います。
白いキャンバスに、色を塗るのか塗られるのか、といった例示のほうが伝わるのかもしれませんね。
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「人間の本質ってなんでしょうか?」
私なりの回答は、「成長するのがプラス方向の本質であり、衰退するのがマイナス方向の本質である」となります。
つまり、本質は真実よりも事実に近い要素であり、複数存在するのではないか?ということです。
であるならば、「物事の本質を捉えることが大切である」といった質問に対し、一つの解を導き出すのではなく、あらゆる可能性を模索し、可能か不可能かを吟味する行動そのものが「本質」だと言えるのではないでしょうか?
私たちが本質という言葉に対し、「納得感」ではなく「落としどころ」だと認識していた感覚は、ある意味では正しく、数式の解のような美しい答えがないからこそだと考えることができます。
これも、「物事の本質」なのかもしれませんね。
あなたはどのように感じたでしょうか?
あなたなりの「本質」を見定める一助となれば幸いです。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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