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「ネットで検索」は高いハードルなのか?

おそらく、note利用者の方で「ネット検索がメンドクサイ」という方は少ないと思います。

記事を投稿するときに言葉の意味を調べたり、自分の考えを裏付ける情報を探したり、読みたいジャンルの記事を漁ったり…と、活用場面が多いからです。

一方で、社会全体で見ると、まだまだ「ネットで検索」に高い心理的ハードルを感じている方も多いのではないでしょうか?

日々当たり前のように検索している人にとって「なぜ?」と感じるこの行動には、どんな心理が隠れているのでしょうか。

今回は「自分の限界を自分で決めてしまっていることの弊害」について書いてみようと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

ラップトップ・Google・検索・エンジン・虫眼鏡・サーチ

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まずは、どんな人が「ネットで検索」していないのか考えてみましょう。

どんな人が思い浮かぶでしょうか?

インターネットと疎遠な生活をしている高齢者や、ネットリテラシーが低く「インターネット=何だか分からないからコワい」と考えている方などが当てはまるでしょうか?

もしかしたら、ご家庭の事情でインターネット接続する媒体を手にすることが出来ない方もいるかもしれません。

では、検索できない人は、どのように情報を得るのでしょうか?

辞書を引く、本を読む、人に聞く、行政機関に問い合わせる…といった可能な範囲で行動することが考えられそうです。

都会のように情報に溢れている環境にいるのなら、それなりに情報は集められそうですが、そうでない場合は得られる情報が少なく、それだけで損をしているケースも少なくありません。

これが情報格差の一端でしょう。

ご本人が情報を得なくてもいいと割り切っているのでしたら構わないのですが、本当は必要なはずの人に情報が届いていないケースって、実はかなりあるのではないでしょうか?

キーボード・操作・タッチタイプ・手・入力

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例えば、ちょうど現在の仕事でさまざまな行政上の制度を勉強中なのですが、困っている人に向けて国が支援しているモノの多くは、申請しなければ困っている本人に届くことはありません。

専門的な部分は省きますが、仕事をしていてメンタル不調に陥り、最終的に精神障がいと診断された場合、本来90日程度しか得られない給付を約4倍の期間得ることのできる制度上の建付けが存在します。

…これは社会保険労務士などの管轄の話になりますので、詳しく知りたい方は「ネットで検索」してみてください。

ともあれ、現代社会は知らないことで不利益を被ることが非常に多いので、「インターネット=何だか分からないからコワい」といった考えから脱却して、情報に触れる勇気を持ってもらいたいと思います。

また、検索することに慣れている方でも、ピンポイントで検索することに慣れ過ぎてしまうと貴重な周辺情報を取りこぼしてしまうことがあると思います。

「検索しても出てこなかった」と諦めるのと、「検索の仕方を変えてみよう」と試すのでは、大きな違いがあります。 

物事にカンペキなど存在しません。

「私はちゃんと検索できている」と思う方の中にも、実は正しい情報に辿り着いていない方が一定数いることも事実なのです。

オンライン会議・ウェビナー・Skype・PC・ミーティング・会議・インターネット

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私事で恐縮なのですが、今回の記事を書こうと思ったエピソードがあります。

とある大きな組織に訪れた際、ネット会議に不慣れだということでサポート役をしたことがあります。

私自身ネット会議になれているかと言えば、そうでもなかったりするのですが、想定されるリスクを事前に調べてから支援させていただきました。

結果として、多少進行に乱れがあったものの、無事に終えることができたのですが、その組織の方に「どうして、そんなにすぐに検索して修正点を修正できるのですか?」と尋ねられました。

私にとっては普通のことでしたので、とても驚く質問でした。

大きな組織ですから、私以上に操作などができる方がいると思っていたのです。

しかし、そうではありませんでした。

急にビジネス的な話になりますが、このようなエピソードから、事業機会の可能性を感じるとともに、改めて情報リテラシーやネットリテラシーの格差を痛感しました。

タブレット・検索・Google・デスク・リビング

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もう一つ、エピソードを紹介してから、まとめに入りたいと思います。

「ネットで検索」することに躊躇することは、自分に有益な情報を逃してしまうだけでなく、周りの方々の利益も損ねてしまうと私は考えています。

「ネットで検索」をするには、知ろうとする欲求と情報、それに検索するためにスマートフォンやPCを操作する行動が必要です。

欲求と行動、それが成長の原資だと思います。

人を指導・支援する立場の人間は、「こうしなさい」と指示を出します。

指導・支援される側が「できません」と言うと「出来るように努力しましょう」と促します。

最近、そのような人を指導・支援する立場の人間に情報リテラシーやネットリテラシーを高めるようにお願いをしたのですが、返ってきた回答は「できません」でした。

…「出来るように努力しましょう」と口にしている人間が、「自分は出来ない。出来なくてもいい」と言うことを私は許容できません。

成長するための欲求と行動が伴わないのなら、人を指導・支援する立場の人間になってはならないと思うのです。

これは私見なので、そうするべきだとまでは言いませんが、結果として「自分の限界を自分で決めてしまっていることの弊害」が他人に及ぶケースだと感じました。

男性・老人・砂浜・腰掛ける・海・曇り空・思い返す・思い出・転機

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「ネットで検索」は、多くの人にとって当たり前になりつつあります。

当たり前と認識されることが出来ていないということは、時代に取り残されるということです。

また、それだけではなく、その弊害はもしかしたら、あなたの大切な人にも悪影響を及ぼす可能性もあるのです。

「成長する必要がある」というとハードルが高いかもしれませんが、「ネットで検索」でしたら、そこまで難しいことではないと思うのですが、これも私の偏見なのかもしれませんね…。

ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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