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社会に出る前、何してたっけ?

学生という身分から社会人という属性に進化する過程。

人によっては社会という流れに乗る準備期間を要したことでしょう。

私もその一人でした。

当時は今以上にちゃらんぽらんだったので、就職氷河期にも関わらず「社会人になるのに努力なんて不必要」などと思っていた節があるし、そんな自分を恨んだこともあります。

…要するにフリーターというレッテルを貼られていた時代です。

しかし、生きていくためにはお金が必要です。

学生の感覚で社会との接点を模索する、それがフリーターの特権だったのかもしれません。

「社会=社会人」と定義したときに、私たちは社会の輪郭を正確に捉えているでしょうか?

高校時代のアルバイトは「社会経験」と呼ばれることもありますが、「社会」に出る前だと考えられるでしょうし、社会人であっても学生気分が抜けなければ、「社会」に「社会人」とは認められないこともあります。

考えるほどに「社会」の概念って曖昧だと感じます。

極論、幼稚園や保育園などに入園して集団生活を経験する行為だって「社会」への適応が求められるのですから。


…いろいろと考えだせば、どこまでも広がっていきそうな定義ですが、今回のテーマは社会人として働く前、私たちはどんな想像して、どんな希望を抱いていたのか?について書いてみようと思います。

あなたは、ご自身の子供の頃の夢を覚えているでしょうか?

そして、その夢は叶えられたでしょうか?

…私の幼少期の頃の夢は、取り留めのないモノでした。

毎年どころか、何かのライフイベントのたびに変化していったように記憶しています。

実家の目の前に消防署があったので、消防隊員を夢見たこともありました。
サッカーをしていたのでサッカー選手に憧れたこともありました。
姉とはじめてお菓子作りをしたときにはケーキ屋さんなんて夢を語ったこともあったように思います。

私たちは、社会との距離が離れているうちは、とても自由に夢を描き、将来の自分に憧れていたのではないでしょうか?

やがて、年齢を重ねるごとに社会についての知識を手に入れ、接点が増え、現実というモノを考えるようになります。

「夢の下方修正」がはじまるのです。

しかし、それは必要な通過儀礼でもあり、夢を描かなくなる代わりに、先人たちが敷いてきたレールをベンチマークに、堅実なライフプランを描くようになります。

「現実とのマッチング」を経て、社会に出るのです。

このとき、「本来の自分」と「社会に適合した自分」の間で葛藤し、アイデンティティが形成・獲得されていくのだと私は考えています。


また、社会に出る前、「将来」とは眩しすぎて先が見えないと考えていたのではないでしょうか?

ところが、社会で生きていくうち、「将来」が暗くて見られないと感じるようになっていく感覚に悩まされ、自分の存在意義を見失っていくことがあります。

「私って何なのかな?」

「生きている意味あるのかな?」

社会との接点が増えるほどに感じる自己異物感。

気がつけば人生行路はコンパスを失って迷走していきます。

…そんなとき「社会に出る前、何してたっけ?」と、これまでの人生を振り返る機会を設けてみてはどうでしょうか?

先に進む道は見えなくても、これまで歩んできた道はあります。

将来とは、過去と今を結んだ先に在るものです。

上手に舵を切って、荒波を乗り越えていく…。

操舵のヒントは、きっとこれまであなたが体験してきた中にあるはずです。


ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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