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第7章.Nuovo Cinema Paradiso

映画「ニューシネマ・パラダイス」の撮影の舞台、パラッツォ・アドリアーノは、パレルモからバスに揺られて2時間ほどのシチリア島の内陸部にある村だ。

映画を観ていない人のために、ネット上の情報から紹介文を引用すると、

「シチリアの小さな村を舞台に映写技師と少年の心あたたまる交流を、あふれる映画愛とともに描いた不朽の名作」

と書いてある。これだけだと、掴みどころの無い説明だが、僕の中ではベスト3に入る映画の一つだ。

そして僕は、その撮影舞台となった村を訪れたのだが、村全体が撮影に使われ、村の人たちがエキストラとなって参加したというだけあって、村=映画のセットと言っても過言ではない様相だった。村のいたるところに映画で使われたシーンが横たわっている。「ここは、主人公トト少年とアルフレッドが語り合った際に座っていた階段だな」とか、興奮しっぱなしであった。

N君と僕は、村の高台にあるカルメロ教会の鐘付場の横の村全体を見渡せる場所に腰かけた。

N君は、ポータブルCDプレーヤー(当時は音楽配信なんてものも無かった)をリュックから取り出し、イヤホンの片方を僕の耳に差し込み、もう片方を自分の耳に差し込み、再生ボタンを押した。

それは「ニューシネマ・パラダイス」の映画のサントラで、音楽が流れると同時に全身に鳥肌が立ったのは、24年が経った今でも鮮明に覚えている。

パラッツォ・アドリアーノで過ごす時間は、本当に魔法にかかったような素敵な時間で、N君と二人、ランチをとるのも忘れて村を歩き回った。

午後、パラッツォ・アドリアーノ発(パレルモ行き)の最終便のバスに乗り遅れないように注意し、映画に頻繁に登場する村の広場にあるバス停からこの村に別れを告げた。おそらく次来れることは無いような気がする。

パレルモの宿に戻り興奮からすっかり放心状態の二人は、一つの目的を成し遂げた疲れが出たのか、翌朝までぐっすりと眠った。

翌朝、いつものように宿のそばの屋台でアランチーネとオレンジジュースで朝食を済ませた僕とN君が、宿に戻り、宿のロビーのような共有スペースを通った際、日本語が聞こえるのでよく見てみると、日本人の女性が2人で談笑していた。

N君と一緒に話しかけると、二人はペアではなく、それぞれが一人旅でヨーロッパを廻っているバックパッカーで、僕らと同じように朝パレルモ到着の夜行列車で宿にチェックインをしたらしい。

日本を離れると、日本人同士の結束は少し強まるのかもしれない。この二人の日本人女性とN君の四人で、この後、旅を共にすることとなる。

パレルモは危険も多い街と言う人も居るが、僕らはこの街を気に入り、数日を過ごした。そしてシチリア島の西の端にある「トラパニ」という街を目指した。パレルモで知り合った日本人女性も、久しぶりの日本人との会話が心地良かったのか、一緒にトラパニを目指すこととなった。

※これは、1998年の出来事だが、このパレルモで知り合う四人は、日本での住所や電話番号の交換はしたはずなのだが、連絡は途絶えてしまう。が、2013年頃、偶然SNSを通じて再会を果たす。友達の友達の友達くらいなのか、忘れたが、突如訪れた再会にシチリアの風景が蘇った。

#一度は行きたいあの場所

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