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『思考の飽和』

「塾にもう3年ほどやってるのに成績は上がるどころか、最近はむしろ下降気味だ」
「小学校1年生から塾にやってるのに成績はこの程度しかない」

私はこんな述懐をうかがうことがあります。そして、実際に子供を見てみると、言われる通り塾の進度にはほとんどついて行けてない。それではと、基本に立ち返り一から出直そうということになります。どこから分かってないか、逆行して知識があやふやになり始めた点を探す作業に入ります。多少、塾の進度に遅れることになっても立ち返ってゆっくり基礎を学び直します。こうした流れは、「勉強は積み重ねの結果である」ということ、「基礎があって初めて応用がある」ということ、この当然な理屈の上に立ってますから極めて合理的だとご理解頂けると思います。
しかし、残念ながらそう簡単にはいかないケースによく出会します。
まず、

・子供が塾でやってる単元以外の所をしたがらない
・目の前の試験のテスト勉強を優先したがる
・いくら子供に、「目先のことは気にしなくてもいいから」と説明してもテコでもしたがらない

こうしたケースはよくあります。

また、従順に言うことを聞いて手前の単元に遡ってくれる子供でも、あまりにも何も分かっていなくて愕然とすることがあります。6年生ならば5年生に戻れば良いだろうなどと高を括ってはいけない程度で、例えば小数の計算の位取りがあやふやな子供なんかも多く見受けられます。
 
一見、この二つの子供のパターンは全く別のものと思われるでしょうが、実は同じ状況であるとも言えるのです。先に述べた「塾の進度が気になる」子供の出現で私は気付かされました。

塾の進度を気にするという態度は勉強に対して前向きな態度と言えます。かといって、彼らのその態度が自分の置かれている状態を改善することには繋がりません。要するに態度だけなんです。彼らにとって考えるべき第一の課題は、いかに勉強している姿勢を見せるか、ということなのです。成績が上がらなくとも成績を気にしている雰囲気を醸し出すことなのです。

これは決して彼らに冷ややかな視線を送っているわけではありません。

言い換えれば、日常が勉強を中心に回っており、成績や塾のクラス編成といった日常を計る指標に常につきまとわれて生活している彼らにとって、必死に日常を守ろうとしているだけなのです。
「今やっているところは君のレベルには合わないからもう少し簡単なところからやり直そう」、
この理屈すら彼らの心には届かないのです。故に、テコでも塾の進度から離れようとしないのです。いわゆる、「思考停止」状態なのです。
そして、この思考停止状態の下で遡る作業に着手しても、考えようとしないので応じようがない。もしくは思考停止状態が長く続いていればその期間に習ったことが知識として蓄積されるはずもなく、やはり大幅に遡らざるを得ないということになります。


"思考の飽和"

こうしてまともに考えることが出来ない状態を私は『思考の飽和』と呼んでいます。勉強とは知的作業です。他の思考で脳内が埋め尽くされるようになってしまえぼ、本来やるべき知的作業が排除されてしまいます。飽和した思考下では集中した勉強なんてできません。
3年や4年間も、もしくは小学校1年生から塾に通わせていればある程度の成績にはなると見るのは当然のことです。しかし、ここに落とし穴があります。上のような例は正に長期間の通塾、幼年期からの通塾経験がある子供によく見られます。付け加えると、ほぼ毎日が習い事で埋まっている子供に見られます。教育に熱心な家庭の子供ということになります。何とも皮肉なことです。


"足し算ではなく引き算"

子供の日常は、学校がそのど真ん中に存在します。学校で学ぶべきことは沢山あります。それに加えて多くのことを習い事や塾で学びきれるかというと、子供の未熟な脳ではそう簡単なことではありません。塾では早い段階で競争原理がたたき込まれ、習い事でも昨今の成果主義的なものが求められる風潮があります。そうしたものに追いやられる日常は日々の作業を機械的にこなすだけの日常に変わってきます。塾に行くのも機械的、授業受けるのも機械的、宿題するのも機械的。作業をこなすことでいつしかそれが知的作業であることを忘れていくのです。

 「塾にも行かせて家庭教師まで付けて、ここまでしているのにどうして成績が上がらないの?」
 
こういう言葉を受けたことがあります。「私が非力ですいません」と答えるしかなかったのですが、詰まるところは、塾や家庭教師で全ての時間を埋めてまで結果を出そうとすることが間違いだという印象は否めませんでした。その時私は、
足すばかりが方法ではない、引くことも大事だ」、
と具申しました。(私が退く結果になってしまいましたが)

実際、子供の思考が飽和しているにも関わらず、塾を辞めさせる勇気が持てない親御さんが大半です。ならばクラスを簡単なクラスに変わる提案もしますが、やはりなかなかそれも出来かねるということになります。「仕事の都合で塾に置いていた方が安心」、「どうせ家に居てもゲームに明け暮れるから塾に行かせた方がまし」、こうした理由を仰います。至極当然な理由でそこに踏み込むつもりはありません。

ただ、思考の飽和を希釈するのは空いた自由な時間を持つことなのです。

私は思考が飽和している子供の前では、私自身がその空いた自由な時間になってあげること、から始めます。馬鹿話をしたり、時にはお父さんお母さんへの不満のはけ口になったり。そうしながらじっと、「簡単なことからやってみようか!」という言葉が届く機会を待ちます。

"思考の飽和の判別"

思考が飽和しているかどうかはすぐ分かります。塾で使っているテキスト以外の簡単な問題集を買って下さい。ドリルみたいなものでも十分です。塾で既習の単元の問題を用意した問題集の中から見つけ出し解かせてみて下さい。その際、「これは解けるだろう」と思う問題を選んで下さい。得てして、解けなければ可能性があります。もっと簡単なのは、学校の勉強についていけているか、これを確かめて下さい。
 


空いた自由な時間を作ってあげること

これは自由時間を与えたからといって子供に結果を強く求めてしまっては元も子もないです。余裕を持つ勇気なんです、引く勇気を。

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