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月に願いを #シロクマ文芸部

朧月おぼろづき〜風を待つ身の〜淋しさよ〜」
突然立ち上がり、俳句をみ出したケンの顔を見ながら、私は呆気にとられていた。

今日は私の誕生日。
ケンが予約した素敵なレストランでディナーを楽しんでいた。
メイン料理を食べ終わり、次はデザートかな、いやもしかしたらサプライズでプロポーズかも、なんて思っていたところで、ケンが立ち上がり、朗々ろうろうと俳句を詠んだのだ。

「いったい何なの?」
私は気を取り直し、ケンのジャケットを引っ張って、椅子に座らせた。
周りの客が、こちらを見てひそひそ話している。中には指を指して笑っている人もいる。
私は一刻も早く、この場を立ち去ろうと思った。

「ちょっと酔ったのかもね。デザートはやめて、もう帰ろうか?」
私が話しかけると、ケンはぼそっと
「今の僕の気持ちさ」と言った。
気持ち? と私が聞き返そうとしたとき、ウェイターが皿を下げにきた。
無表情の顔にプロ意識を感じる。予想外の出来事にも動揺しないよう、教育されているのだろう。
だが、ケンの顔はこっそり見ている。正気かどうか確認しているのだ。

「朧月は雲とかに包まれて、かすんで見える月のことだよ」
ウェイターが片付けているのも気にせず、ケンは呟くように言う。
「……それは分かるけど」
「朧月のように雲がかかって、ハルの心がはっきり分からないんだ」
「……どういうこと?」
「今日は二人の将来の話をしたかったんだ」
無表情のウェイターの動きが妙にゆっくりだ。聞き耳を立てているのに違いない。

「それなのにハルは、仕事でもっと成長していきたいって話をするし……」
私は驚いた。それは、二人の将来のためにも、仕事で自立しようと思って言ったことだったのに……。
「実家から出て、マンションにでも住もうかな、なんて言うし……」
それは、あなたと二人で住む家のことよ……。
「ハルの心が分からないから……風が吹いて雲が払われるのを、僕は待つしかないんだ」

テーブルをきれいに片付けたウェイターが、心なしか名残惜しそうに立ち去っていく。
こうなったら言い訳しても仕方ない。
私は意を決して立ち上がった。

「朧月〜すぐに雲は〜晴れるでしょう〜」
思いっきり声を出して、俳句を詠んでみると、何だかすっきりとした気持ちになった。
ケンが目を丸くして私を見ている。
周りの客からはなぜか拍手がおき、私は一礼して席についた。

ウェイターが俊敏しゅんびんな動きで何かを持ってきた。
「晴れたときの月は、さぞ綺麗でしょう」
まんまるのバニラアイスだ。満月に見えなくもない。

「美味しい……」
一口食べた私は、思わず声を上げた。
ケンを見ると食べる様子がない。
「……なんで食べないの?」
「なんだかもったいなくて……」
「バカ……溶けちゃうよ」
「……それにしても」
「なに?」
「ハルは……俳句が下手だなぁ」
「……ほっといてよ」
私はケンの顔をにらんだあと、吹き出して笑ってしまった。
ケンもつられて笑い、そのまま二人でしばらく、腹を抱えて笑いあった。


小牧幸助さんの企画に参加させていただきました。

クドカン「不適切」のミュージカルシーンにインスパイアされて、書きました……。


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