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[ちょっとしたエッセイ]「普通」なんて言葉使わなくなった

「僕、普通になりたいんですよ」

帰宅途中のコンビニでコーヒーを買って、イートインスペースでひとりキンキンに冷えたコーヒーをすすった。

もうずいぶん前のこと。
大学卒業後、就職なんて普通の人がするもんじゃないと、特に当てもなく、コンビニでバイトをしていた僕は、いつも夜勤が同じになる19歳の彼とレジの前に立っていた。有線から流れる氷川きよしのズンドコ節が悲しく響く、深夜の客のいない店内で、急に彼が冒頭のようなことを言った。

そんな昔のことを思い出していた。
彼は、定時制高校をドロップアウトして、コンビニバイトをしながら、パチンコが趣味なある意味絶望的な19歳だった。就職もせず、ただ大学を卒業しただけの僕を「普通」だと思った彼は、笑顔でそう言ったのである。
当時一緒に住んでいた彼女にそんな話をしたところ、「それって東京の人特有の悩みだよね」と地方から上京してきた彼女は、ふふんと鼻で笑って言った。

確かに、そうかもしれない。
あの頃は就職氷河期で、ニートなんて言葉がまだなかった時代。むしろ、難しい正社員なんて求めずに、やりたいことをやって生きようみたいな風潮があった。だから、職業フリーターなんて言葉も流行った。でも、地方に住んでいれば、否応に地元の息苦しさや、輪をかけた就職難で、普通の自由を求めて都会にやってくる。そんな話は絶えなかったし、当時の彼女もそのひとりだった。実家にいて、バイトで食えて、なんとなく生きることができるのは、都会の人間だけに限られるわけだ。
「ちょっと電車に乗れば渋谷とか新宿にいつでも行けるし、わざわざ家借りてムダなお金使う必要なんてないし……。実家出てこっち来る時、超こわかったもん。親とも喧嘩したし、家借りるのも大変だったし。それくらい覚悟しないと、東京なんて来られないもん」
未だに当時の彼女の話したことを覚えている。
東京で生まれ、大学卒業と同時に実家は出たものの、安アパートでコンビニバイト。やりたいことも定まらず生きてきた僕に、彼女の覚悟がわかるわけもなかった。
ちょっと前までは、「世紀末だ」とか「世界は終わる」だとか、世界中が騒いでいたけれど、気づけばしれっと2000年代に入り数年経っていた。そんな世紀末のお祭りが終わってみれば、なんの変化もなかったし、残ったのは、将来の不安やある種の絶望ばかりで、あの頃コンビニにいた時もそんな窮屈な空気の中で、自分を見失っていたように思う。祭りの後のような静けさの中で言われた、彼の一言。なんだか刺さった。いや刺さったままなのかもしれない。

結局のところ、あの頃頭の中にべったり居着いていた「普通」なんて言葉は、今ではすっかり口にすら出さなくなっていた。
当時あのコンビニの彼に、僕がかけた言葉は、「ちょっとだけ電車でも乗っていけるくらいの場所で働いてみたら? 」程度のもので、その後の彼の人生にどう影響したかなんてわからない。ただ、その深夜のバイトの後の別れ際、彼はうれしそうに「これから新台に並ぶんすよ」と、さっきまでの会話がまるでなかったかのように、彼は彼の日常を立派に過ごす意思を感じた。
 
プラスチックのカップには氷だけが、薄茶色に染まって残っていた。もう20年以上前のことをふと思い出したのは、レジで見た金髪の男の子がいたからかもしれない。ちょっとうらやましい気もした。
  
「それでも、普通なんて1分1秒で変わるもんだよ」
そう言ったのは、前述した彼女だ。たぶん、当時慰めの言葉として言ってくれたのだと思う。あれから、普通という言葉は使わなくなったけど、結局のところ、「普通」を求めないことが普通なのかもしれない。
外を見るとまもなく19時だというのに、薄暮のような明るさがまだ残っている。夏は近いが、その前に乗り越えるべき梅雨がある。同じ方向に多くの人が足を運んでいる。さてと家に帰ろう。

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