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[ちょっとした物語]溺れる魚は七夕を想う

 夜の街、僕はひとりで路地を歩いた。
 家路を急ぐ道すがら、並ぶ住宅の塀に添えられた笹の葉を見た。
 掛けられた短冊が、今日が七夕であることを教えてくれた。

 願い事を最後のしたのはいつだろう。
 急いで抜けた終電間際の改札。
 今日が七夕なんて頭の片隅にもなかった。

 今の僕は、天の川を渡ろうとする彦星か。
 なんて、主役気取りか。
 そんなバカな考えに辟易した。
 待ってる人のいない対岸にいく必要なんかあるかい?
 だから僕は彦星なんかじゃない。天の川に彷徨うただの魚で十分だ。しかも、泳いだことのない星の川で溺れた哀れな魚だ。

 願い事を最後にしたのはいつだっただろう。
 路地裏の短冊を立ち止まって眺めた。赤、黄色、水色、いくつかの色紙に書かれた子どもたちの願い事が、微笑ましかった。

 願い事を最後にしたのはいつだっただろう。
 はて、もう10年くらい前になろうか。
 新宿のタイムズスクエアの七夕の催事で、あの頃付き合っていた彼女と短冊に願いを書いたことを思い出した。
 なんて書いたかなんて思い出せない。そして、彼女とは願い事を見せ合わないで、飾りつけたのは覚えている。

 あの頃は僕らは、意味もなく織姫と彦星気取りだった。
 仕事に主軸を置いているくせに、得ようともしない自由をひたすら求めた。その得ようともしない自由は、あたかも天の川のように、僕たちの関係を隔たられせた。
 結局、僕らはお互い、対岸で何もせずに涙を流しただけだった。

 今、僕は何を願うのだろう。
 七夕の夜、僕は天の川を彷徨った。
 流れ着いた河口は、きれいな星の海。
 夜空を差し置いて、波打つ星たちは、きれいな音を聴かせてくれた。
 僕は、その音に酔いながら、潮の満ち引きに体を委ねる。
 織姫、彦星の渡れないこの川を僕は自由に行き来する。溺れたはずの魚が、今は自由を闊歩する。
 物語の舞台は、決してひとつではない。

 路地裏の短冊が、今日が七夕であることを思い出させる。
 時は0時を回っていた。もう8日だ。
 あ、願い事をするのを忘れた。
 でも願うことすら必要もない。
 僕は溺れた魚。
 願いに左右されず、自由に星の川を泳ぐ魚でいればいい。
 急いでいた足を緩め、ゆっくり夜空を見ながら家路についた。

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今日は七夕ですね。
私は何を望みましょう。健康? 平穏? はたまた冒険でしょうか。
ただ願ってばかりもいられないなと思う、今日この頃です。
今の世界は、願うより祈る方がよいのかもしれません。
そんな気持ちをこの七夕の日に込めます。

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