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[ワレ想う故の90年代]vol.01

今から遡ること20〜30年前のこと。
僕は90年代という時の流れの中にいた。
制服のポケットから垂れるチェーン。
呼び出しベルに一喜一憂。
紙のメディアを買い漁り、足で自分のアイデンティティを得る。
クルクル回る円盤が僕らの世界の中心だった。
音楽が途切れないように、やさしく足を運び必死で衝撃を和らげた。
いつでも心底信じられるのは、耳から得る旋律とその目で見た活字だけだった。まさに僕のミームのコアはここなのだ。

1993――ある夕方のこと
ある週末、父親と一緒に最寄りの駅に向かった。
父親が「何か欲しいものあるか?」と尋ねたので、ちょっと高いものだけど、「CDが欲しい」と言った。迷うことなく「いいぞ」と答えてくれた。
駅前にあったレコード屋に入る。
もう今の時分ではお目にかからなくなったが、昔ながらのレコード屋だった。演歌のポスターが入り口付近に貼られ、奥行きのある縦長な店内。壁際にはコの字に広がる棚。びっしりときれいにCDが差し込まれている。フロアの中央には、腹の高さくらいに木でできた箱が並び、当時はまだ普及していたレコードが並んでいた。
僕は、一目散にCDの陳列棚に向かった。でも[C]の棚に目当てのそれはなかった。恥ずかしながら店員のおじさんに尋ねたら、それは[T]の棚にあった。単純に頭に「The」がついていたからだった。あの頃は、意外とTheがつくバンドは、Tに振り分けられることがよくあった。
父親はそれを見て、「ずいぶんロックなもん聞くんだな」と遠目に言った。父にはどちらかというと縁のないものだったのかもしれない。
僕は「うん。まあ」としか答えられなかった。ベースを叩きつけるモノクロ写真のジャケット。ピンクと緑の英字がとても洒落ていた。13歳の僕には背伸びしたものに父は見えたのだろう。
ちょうど僕が生まれた1979年にリリースされた、The Clashのロンドンコーリングだった。当時は70年代のパンクロックが若者に再び愛された時代だった。
学校の寄宿舎に住んでいた僕は、そのCDを大事に抱えながら、父と別れて電車に乗り込んだ。
中2の僕には、ずいぶんとがんばった冒険のひとつだった。

寄宿舎に帰ってすぐに、買ってもらったCDのケースの内側にマジックで名前を書いた。なんだかCDに名前を書くってみんなやらないけど、絶対に失くしたくないって思いが強かったのかな。
CDだから擦り切れるなんてことないんだけど、毎朝毎晩聴きまくった。
今でもロンドンコーリングの中の曲を聴くと、父のことを思い出す。
そして、あの日はとても灰色の空だったことも。
たぶん、大きなスーパーマーケットにひとりで入っていく子どものように、僕は時代という大きなフロアに足を踏み入れたんだろうな。
得てして、中学生というのはそういう時が必ず誰にでもあるでしょう。
だけど、迷子にならないように、僕はそっと耳にイヤホンをつけて、かき鳴らすギターの音としゃがれた歌声を道標に、あの時そのフロアの入り口に立っていたんだと思う。

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これから不定期はありますが、僕が辿った1990年代を回顧してみようと思います。人によっては感じ方は違うと思いますが、ある時代のある人の思い出だと思っていただければ幸いです。

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