[ちょっとした物語]やがて鐘はなる
ここは静かなところだった。
いつも思うのは、喧騒は心地よいということだった。人ごみに紛れていると、人が自分の壁となって守ってくれているような錯覚を覚えた。私は、ずっと、この片田舎で生まれたことに嫌悪を抱いていた。それが如実に心に存在したのは、中学生の頃からだったと思う。親元から離れる機会が増えるほど、故郷を遠ざける傾向は強くなっていった。
同じ学校の男と付き合ったときに、私はこの地を離れる決意をどこか心で明確にした。
あの時の彼とこんな会話をした。
「なあ、おれは、この場所で死にたいと思ってる。なんでだと思う?」
「わからん」
素っ気なく答える私に彼は熱を帯びて言った。
「それが運命やからや。人間ちゅうのは、生まれた場所で死ぬんが一番やと思っとる」
「それって理由にならんと思うわ」
「おれの親父もお袋も、先祖やって、みんなそうやって生きるもんちゃうんかな。お前も同じやろ」
「それは運命ちゃうわ。砂の崖を見て諦めとる。『砂の女』って本と同じや」
「なんやそれ。じゃあ、お前はどう思っとるん?」
「うちは、こんな場所で死にとないわ」
「こんなきれいな海があって、カラオケもコンビニもある。お前もおる。それで十分や」
私は、なんとも言えない絶望感を持った。
「もっと好きに生きたい。砂の崖の先から必ず一本のロープが垂れとる。それを掴んで、上の世界を見てみたい」とは言わず、「つまらんわ」とだけ言って、窓の外を見た。
男は笑っていた。私の言うことが、本当に愚かで滑稽に映ったようだった。しかし結局熱を帯びていたのは、私の方だった。それを軽くいなされて、その後に、私はヴァージンを失くした。
彼のことは嫌いではなかったが、結局のところ、土地の呪縛に囚われた人間は、それに承服し、長い鎖のようなもので繋ぎ止めれているような気がした。
しかし、ムキになるのは自分の方で、いつまでもまわりのみんなは、それを鼻で笑って見ているような気がしてならなかった。
生きることの退屈。
時はいつまでもゆるやかで、あまりにも壮大。
海は、キラキラと輝き、凪いでいる。
ここの海は好きだった。
「ね、なんていうか、キラキラしてる」
あなたはそう言った。あまりにも当然の景色に、改めて感想を言われると、こちらが恥ずかしくなる。
中学の時だった。放課後にカラオケに友だちと行き、トイレから帰ってきたら、誰もいなかった。私は、しばらく待った。それでも帰ってこないので、テーブルのカップに入ったコーラを飲み干して、部屋を出た。大して広くもない通路を歩いていると、物音が聞こえた。音の方へ目をやると、扉のガラス越しに、見たことのある制服の男女が激しくキスを、抱き合っている様子が窺えた。
そんなものなのだ、この場所は。私のいる世界は、ただ男と女が、理性も分別もなく、ただ男と女でしかないのだ。父も母も、祖母も祖父も、すべてこの谷底にいる者たちは、そう生きている。
ひとりで生きる強さをようやく身につけたはずだった。でもやっぱり私はまだまだ弱かった。
浜辺に来ると、瀬戸内の海は今日もおだやかで、広かった。
ふと、幼い頃に見た一輪の椿を思い出した。
あまりの美しさに居てもたってもいられず、花茎をもぎ取り、その手でひと思いに握った。その花姿は、潰れたにも関わらず、なぜかさらなる美へと昇華させた。そんな記憶を思い起こさせた。
海なんかに来るんじゃなかった。
ここは、あの人がいた場所。今の私を見てどう思うだろうか。私のキャンパスに描かれたあの人は、時とともに輪郭が曖昧になってきている。そして私も大人になっていく。
遠くに見える、瀬戸内に島々。風に誘われて、音もなにかを奏でだした。
いつかあの鐘は鳴り、私の胸は歌うたびに締めつけられるように痛むかもしれない。けれども、これこそが今の終りだと気づき、あなたはこれを祈りと呼んでくれるのだろうか。
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