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[ちょっとしたエッセイ]鬼はおおげさに、福はしめやかに

豆まきの時期がくると、小さな子どものいるわが家は保育園やら学校やらで豆まきが催されるので、嫌が応にも節分モードになる。
3歳の長男は、トラ柄のパンツを穿き鬼に扮して自由奔放。9歳の長女はそれを見て失笑しつつも豆を持って長男へ攻撃するのが楽しい模様。父親は、まぁ仕事の都合上遅めの帰宅なので、玄関で豆の歓迎を受け、そのあとひとりさみしく掃除をするのである。

いつの頃からか、節分など季節柄の催事なんて子供騙しと言わんばかりに忘れ、大人になった。そして結婚して、子どもが生まれて、またこのような催事に向き合っている。それが普通だろう。だから、自分自身20年くらいのブランクがあったわけだ。
長女が物心がつき始めた3歳くらいに保育園で豆まきがあるとお知らせ手紙で読み、「あ、節分か〜」と記憶を掘り起こした。当時は、私の祖父(昨年94歳で死去)が元気だったので、節分付近の休みに祖父宅を訪れ、一緒に豆まきをした。という祖父は生粋の江戸っ子で、3代東京・日本橋で商売をしていたこともあり、日常的にこのような祭り事は大好き。そして、トラディッショナルな型は、いつも魅入ってしまう。
とかく、掛け声に迫力があるのだ。

窓を開け、升に入った豆を手にとって、「鬼は〜外、鬼は〜外」そう腹からできるだけ声を出しながら、下から上に向かって、1回、2回と豆を放り投げる。周りの家なんて関係ない。そして、少しトーンを落として、「福は〜内」と言うのだ。そのテンションの高低差は聞いたものにしかわからないが、とにかく「福は内」は控えめに言うのだ。

なぜかというと、江戸の頃に鬼はしばしば火事に置き換えられたらしい。本来は無病息災を祈願するものだが、2月の寒い時期は火事が多く、それを鬼に見立て、大声で「こっちくるな」という意味を込めた。2回大きな声で、そして福は小さな声で言うことで、鬼から見つからない(火事に見舞われない)ように祈るのだと言う。「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言っていたけど、やはり怖いことだったんだと思う。

そしてそれを先頭切ってやるのが祖父だった。なんとも男らしいというか、これが江戸っ子の心意気なのだ。恥とか照れとかそういう概念は、何事も先陣切ってやることで、克服し、みんなを巻き込むのが江戸の作法なのだという。だから前に出たがるのか……(余談)。

そんな江戸流豆まきイベントを体験した長女は、保育園でもけたたましくその江戸流をやりきり、先生や子どもたちを驚かせたのは言うまでもない。だが長男は、その江戸流を知らない。私がやってもやはりそこまでやりきれないので、なかなか伝わらないのは申し訳ないと思うが、やはり本場モンは格別違うのだなあとしみじみ思う。
でも、長女がそれを多少なりとも会得しているので、その姿を見て真似をする長男はどこか微笑ましい。
もう少し大きくなったらちゃんと教えてやろう。
こういった家族イベントは、習慣や慣習が文化となる。幼い頃に身につける文化とはやはり何事にも代えがたい。
そう思うと、わが家流をきちんと伝えることは、親の使命なんだと思わされた。

「鬼は〜外、鬼は〜外、福は〜内」
ちょっと違っても、それはそれでいいじゃないか。

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