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[すこし詩的なものとして]0037 太陽のフチを探すように

気がつけばヒトの一生の半分くらいまで来てしまった。
来てしまったというくらい、あっという間に。
それを思うと、なんとヒトの一生とは短いものだ。

どれくらいの本を読んだろうか。
何曲くらい歌を聴いただろうか。
何人の人と出会っただろうか。
何度、絶望を味わっただろうか。
愛する人に感謝を幾たび伝えただろうか。

その間に社会は知恵を働かせて
人を攻撃し
理不尽に権力を振りかざし
不正な言い訳と涙を生み出し
どうしようもない戦争の過ちを
繰り返しませんと言いながら
未だにその反省に背を向ける

僕が生きている間に
どれくらいの新しい命が生まれるのだろうか。
赤ん坊の小さな手に、小さな足に、小さな瞳に、
明るい未来だけを投影してしまう。
豊かな幸せなんて、もはや贅沢な希望なのかもしれない。

僕が死ぬ時
本当に生きた時間がどれだけあったかを知ると
たぶん涙が出てしまうかもしれない。
希望を持った日々がどれだけあったかなんて、
指折り数えるくらいかもしれない。
それでも僕の歴史書には
なんとか戦争だとか
なんとかの乱だとか
なんとかの飢饉だとか
なんとかの危機だとか
悲しい出来事だけが書かれた教科書みたいなものにはならないだろう。
みんなもそうじゃないかな。

太陽のフチなんか目で見ても見つけられない
あまりにまぶしくて。
それでも太陽は僕らの上で明るく照らしてくれている。
悲しくても細かいことは気にするな。
全体を見て大ざっぱに生きればいいじゃないかと。

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夏空が終わり、一気に肌寒い日になりました。
秋というある種の間の季節。
ここからもっと時が経つとからっからの空が迎えます。
冬の太陽は僕の頭にいくつもの記憶とともに存在しています。
夏のようにぼんやりとしたものではない、あのくっきりとした太陽。そしてそれをみると、いろいろなものが鮮明に映し出されます。

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