見出し画像

【小説】戦争と娼婦・花火

こちらは八幡謙介が2014年に発表した短編小説です。

「戦争と娼婦」「花火」を試し読み公開しています。



戦争と娼婦

一般には善より悪のほうが多いから、戦争の雰囲気は結局このうえなく不愉快なものだ。だからといって、まれではあっても戦争にもふくまれうる偉大さの瞬間にたいして不当であってはなるまい。

 ――マルグリット・ユルスナール『とどめの一撃』(岩波文庫・岩崎力訳)


 あぁ、またあんたかい。しつっこいね、ほんと、ブン屋ってのはさ。で、今度は何さ? 前話しただろ? ところで後ろにいるのは……まあ! 可愛らしいお嬢さんじゃないかい。いいさ、とにかく入って座んな、えぇ、また何かくれるのかい? 悪いね、前いただいたお菓子はご近所さんと分けたからすぐになくなっちゃったのよ……。えぇ、なに? 男には話し辛いこともあるからって、それであんたこんな娘っ子を連れてきのかい! ば……馬鹿いっちゃ、ヒッヒッッ! この歳で恥じらいもへちまもあるもんですか! 全く馬鹿だよ男ってのは、ねえお嬢さん。ほうらさっさと座んな、今お茶淹れるからね。


 さあ、準備はいいのかい、その薄っぺらいのでパチパチやって記録するんだろ? 全く、便利な世の中になったもんだね、え、あんたもできるのかい、お嬢ちゃん。それは凄いね! 手に職持つってのは大事だよ、でないとあたしみたいに一生男のアレ臭い部屋で過ごすことになっちまうからね、ヒッ!
 ――で、前はどれだけ話したのかね? 歳をとっちまうと物忘れが激しくて嫌んなっちまうよ。昔、お隣と戦争してたのはあんたたちも知ってるだろ? で、国境の町から一般人が避難させられて、軍人が住むようになった、その軍人さんたち相手に身を売って商売をしてたってわけさ。何? 強制……難しい言葉使わないでおくれ、まあ、時代が時代だからね、無理矢理連れてこられたのもいたみたいだよ。それでも仕事があって給料が入ってね、食べ物に困らないってのは魅力だったわね。ああそう、男にも困らないからね! ヒヒッ! おや、お嬢ちゃん、赤くなったね。可愛いもんだね、女は若いうちが花だよ、まったく……。
 え、何? 大きい声で言っとくれ、あたしゃもう耳が悪くてね、え? 当時はどんな気持ちだったかって? そりゃあ最初のうちは嫌で嫌で仕方なかったわよ、中には乱暴なのもいたし、中年の将校なんかにはもうヘトヘトにさせられたりもしたわ、もちろんそれだけじゃなくて、ミサイルが飛んできたり銃声が近くで聞こえたりするとみんなで固まってぶるぶる奮えたりしたものよ。そうして、何年だったかしらね、ほらあんたその画面で調べられるんでしょ? 海の向こうの大国がお隣の味方をするって発表した年だよ、あれから一気に国境の雰囲気は変わったね。悲壮感……ていうのかね、ナニしてるときの感じが違うんだよ、男はね。無心で抱かれているとね、だいたいこの人があとどれくらいで戦地に行くか、どんな危険な部隊に送り込まれるのかがぼんやりと分かるんだよ。特に危険なところにいかされる兵隊さんはね、妙に優しくなるのさ……。不思議なもんさね、まだ比較的平和なときは威張りくさっていたくせに、死が近づいた途端あたしの胸に顔を埋めて泣くんだよ……。兵隊相手に体を売るのと、お国のために体を売るの、どっちが嫌だろうね。
 戦況が悪化して、店の女たちの表情も急に変わってきたのを覚えているよ。ぐうたらな娘もきびきび動くようになって、皆で自主的に掃除したりなんかしてね、お店の管理なんかもいい加減になってきたのに、誰一人逃げず、売り上げをくすねる娘もいなかったわ。え? どうしてかって? そんなこと分かるわけないじゃない? 戦争ってのはそういうもんなのよ。あんたたちはすぐ悲惨だ最悪だって言うけどね、それは一点しか見ていないからよ。戦争ってのはね、もっと大きなものなの。何て言うのかねぇ……ほら、ブン屋のあんたなら説明できるでしょ? え、できない? 全く困ったものだね。じゃあ何かい、あたしたちが毎日毎日暗い顔で傷を舐めあいながら生きていたとでも? 馬鹿言っちゃいけないよ、むしろあんな状況だからこそみんな笑おうとするもんよ。夕飯になると毎晩どんちゃん騒ぎさ。それぞれの旦那――これは隠語でお得意様って意味だけどね――がワインやしめたばかりの鶏なんかを毎日持ってきてくれるからね。あたしたちの肉が落ちたら抱き心地も悪くなるからって、あっはっははっ! 
 まあ、あたしに言わせれば、今の若い娘たちのほうがよっぽど暗くてみじめったらしく見えるわよ。平和で豊かなはずなのにね、あ、あんたのことじゃないわよ、それにしてもあんた可愛いねえ……、兄さん、手を出すんじゃないわよ!
 あぁそう! 思い出したわ! どうして忘れてたんでしょう? あんた、来た甲斐があったわね、じゃあとっておきの話をしてあげるわ。あれは停戦から少し前の話、もう誰の目にも敗戦が濃厚になってきた頃、軍は例の作戦をはじめたってわけ。あんたたちも知ってるでしょ? そう、昔々東洋のなんとかいう国がやってたキチガイみたいな作戦よ。飛行機に行きの燃料だけ積んで敵軍に体当たりするの。終戦後は誰の責任だってんで毎日紙面を賑わせてたわよね。あの時期、あたしたちんとこに来る客は、もうその作戦を命じられた兵士だけだったわ。表向きは志願だったけど、裏では命令よ。そして、作戦遂行の前日は好きなものを食べたあと、無料でご指名の女を抱けることになっていた。後で聞いた話だと、どんな無茶をしても黙認されることになっていたらしいけど、乱暴する兵士なんて一人もいなかったわよ。それどころか、あたしたちに触れようとすらしないのもいたわ。
 ……あたしが最後に相手したのは、ロマ、金髪のまだあどけない子供だった。十八は過ぎてたみたいだけど、本当のところはどうだか。真っ青な顔して部屋に入ってくるなり、あたしの腰にしがみついてさ、泣き出すんだよ。死にたくない、死にたくないってね……。あたしは優しく頭を撫でてやりながら、ふとこんな事を口にしていた――あんた、あたしの中にお出し、もし種を宿したらその子をあんただと思ってあたしが責任持って育てるからって。けど不思議なもんでね、ロマのアレはうんともすんともいわなかった。馬鹿だね男って、平和なときはいつだっていきり立たせているくせに、いざって時には役に立たないの。ロマは笑いながらまた半べそをかいて、いつの間にか眠ったわ。あたしはその美しい金髪を黙って撫で続けた。そうして、ふと気がついたら横になっていた。目を開けるとロマはもう軍服を着て静かに外を眺めていた、あぁ、朝日に照らされたその横顔のなんて美しかったことでしょう……。

(試し読み終了)

花火

 また、あの季節がくる。
 ぁたしの生命を、無理矢理内側から芽吹かせようとする、あの暑苦しい季節。
 余計なお世話だと思う。ぁたしの命を、この〝いっこ〟の生命を無駄に感じさせないでほしい。
 冬は好きだ。
 命がじわじわと削られていく感じがする。硬く、冷たくなった末端からゆっくりと死が侵食してくる感じ。ぁたしの〝いっこ〟が犯されてゆく感じ。ぞくぞくする。
 将来は寒い国で暮らしたい。フィンランド、ロシア、アラスカ……最悪北海道でもいい。
 冷たく凍えた体に毎日死を、終わりの瞬間を感じながら過ごせたら、生も少しは生き生きするのかもしれない。


 夏よりも、春の方が嫌いだ。
 春はぁたしが〝いっこ〟なことを証明する。
 中学に入って、私立に入学した幼なじみとは別れた。まだ携帯も持たせてもらえなかったから、自然と会わなくなった。あんなに仲良く、まるで姉妹みたいね、いっこの命がふたつに別れたみたいねっていつも言われていたのに、佳奈が遠くに行って、会えないのが当たり前になって、それでもぁたしがまだのうのうと生きていることを不思議に思った。
 なんでぁたしは死なないのだろう? この世の終わりみたいに泣き叫んだりしないのだろう?
 それは、ぁたしと佳奈の、それぞれが〝いっこ〟だから。最初からなんとなくわかってたから。
 ぁたしの精神、肉体。いろんなものがくっついてぁたしになっているんだと思っていた。パパやママ、佳奈、おばあちゃん、親戚のおじさんおばさん……。どれかひとつでもなくなればぁたしは死んじゃう、そう思っていた。けどなんとなく、そうじゃないことも知っていた。
 人が本来〝いっこ〟なら、なんで他の人と関わろうとするのだろう? ぁたしの中には誰もいないし、誰の中にもぁたしはいられないのに。
 誰と出会い別れても、人はこの〝いっこ〟の生命を生き続ける。ぁたしの生命の居場所は、このちいさな体にしかない。そして終わればゼロ、無になる。昔の偉いお坊さんが『人は本来何ももっていない』って言ってたって、パパから聞いた。何も持ってないところから生まれて、何もないところに帰るって。そこがゴールなら、いっそ真っ先に到達した方が勝ち組じゃね? 先週電車に飛び込んだ高校生は、そんな思いでホームからダイブしたのだろうか?
 バカみたい。
 1が0になることに何の意味があるんだろう? 


 じぶんが〝いっこ〟だって気づいてから、ぁたしは数を信仰した。数は力だ。数は人を信用させる圧倒的な説得力を持つ。そして、数は保険だ。JCやJKがやたらと友達作りに勤しむのを、ぁたしは始めて理解した。
 ぁたしは誰にでも愛想を振りまき、すぐ友達ぶった。JCの社会はまだ政治性がすくないから、敵でないことを示せば仲間には入れてくれる。ぁたしの廻りにはすぐに数が揃った。お弁当、トイレ、秘密の手紙、ノートの貸し借り、下校、もちろん休日も、ぁたしの廻りには必ず誰かがいた。数さえ揃えていれば安心できる。もう、佳奈と離れ離れになったときのような〝いっこ〟の寂しさを感じなくてすむ。だから親友は作らなかった。
 ママは『お友達がいっぱいできてよかったね』と目尻に皺をよせて喜んだ。単純な女。
 そういえば、女は子供を宿せば〝にこ〟になれる。ぁたしの体も、もうそれが可能となってはいる。妊婦さんがいつ見ても晴れやかな顔をしているのは、自分が〝にこ〟であることの充足感ではないか? だとしたら、出産の痛みは、〝いっこ〟に戻ることへの心の痛みだ。


 ちょうど中2(w)それも春先から夏ぐらいにかけて、皆こぞってSNSをやりだす。鈍感な子たちもそろそろ自分が〝いっこ〟だと気づきはじめて、あわててそれを反証しようとする。リーダー格の男子は、ツイッターのフォロワーが1000人越えたらしい。いつもおしゃれな女子は、FB(フェイスブツク)に服装をUPする度「いいね」が100件以上つくとか。そうやって数の論理で〝いっこ〟であることを巧妙に隠そうとする。バカバカしい。フォロワーなんて簡単なことで離れていくのに。そのたび、自分の生の無価値さが露呈されていくだけ。
 ネットは確かに、上手くやれば圧倒的な数を誇れる。そのかわり、変動も激しい。フォロワーやフレンドは、ちょっとでも自分の気にいらないことがあると去ってしまう。その点、リアルは手堅い。ネットよりも現実の方が拘束が強いから、リア友の数は、少ないながらもそう簡単には変動しない。よっぽど下手を打たなければ大丈夫だ。
 そんなぁたしを、担任は三者面談で『人付き合いのきちんとできる子』だと褒めた。ママはいつもより濃いファンデーションにヒビを入れて破顔した。なんで自分のことのように喜んでいるんだろう? あんたはぁたしじゃないのに。


 JC3になって、事件が起きた。
 夏の生命の疲れを引きずりながら登校した2学期の運動会、最終種目のリレーで、前から憧れていた男の子が、5人をぶちぬいて逆転優勝した。
 運動場はまるで競馬とか競輪のように、拍手、歓声、怒号。だけどぁたしの耳には何も聞こえてこなかった。真っ白い空間を、彼――島田君がスロウモーションで、必死に走っている。おおきく口を開け、肩をやや左右に振りながら、真っ直ぐに見据えたゴールに向かって走り抜けていくその姿は、一瞬の出来事のはずなのに、運動会が終わってもいつまでも、いつまでも目に焼き付いて消えなかった。まるで彼が〝にこ〟になったみたいに……。
 どうして?
 廊下ですれ違う島田君は、毎回違う様子なのに、ぁたしの中の彼はいつも同じで、風が本格的に冷たくなり、気の早い子がもうマフラーをつけて登校しはじめても、やっぱり半袖にハーパンの体操着で、ゴールを目指している。
 また死と寄り添う季節がやってきたのに、ぁたしはほっと一息つくどころか、余計に不安が募ってきた。まるで夏みたいに、じっとしていても、じんわりと体が熱を帯びてきて、吐く息がねっとりと甘い。
 ぁたしの中に、彼が生きている。
 いや、生きているというのはたぶん違う。だって、島田君はいつまでも変わらないから。
 そっちの方がいい。
 ホンモノの島田君がいなくなっても、いちばんカッコイイときの彼だけぁたしの中に残ってくれるから。
 だけどそもそも、どうしてあのときの彼は分裂してぁたしの中に残ったんだろう。人は自分の中にしか生きられないはずなのに……。5人抜きしたから? いや違う。ぁたしのグループの子たちは、運動会の直後は島田君のことをカッコイイと言っていたけど、すぐに話題にも出なくなった。みんなの中には、たぶんもう、島田君はいない。それでもぁたしの中には、あのときの彼が生き続けている。
 たぶん、ぁたしの問題なんだろう。
 これが恋なのかと思い、首を捻った。好きなのかどうかもまだ分からない。

(試し読み終了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?