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ユルスナール「ハドリアヌス帝の回想」読了レビュー

以前2回読んでどうしても読了できなかった作品。

その際のレビュー(言い訳)はこちら。

理由は僕のローマ音痴から。
ローマがどうしても頭に入ってこないのです。
じゃあ読むのやーめたと放置していたのですが、好きな作家の代表作にして歴史的名著である本作が読めないというのがどうしても納得できなかったので、今度は作戦を立てて読むことにしました。
それは、固有名詞を全て無視するというものです。
作中に登場する固有名詞はほとんど分からないのですが、もうそれはそれでいいから進めていくという読み方。
結果、これで最後まで読むことができました!
内容が個人の回想なので、それでも全然よかったみたいです。
読了後、こんなに清々しい気分になった読書はかなり久しぶりです。

で、読み終わってどうだったかというと……小説としてはクソつまんなかったです。
ただ、何がすごいかって最初から最後まで本当にハドリアヌス帝が語っているようにしか読めないことです。
読んでるともう、おっさんがそこにいるんですよね。
作者であるユルスナールは本編の中のどこにもいません。
司馬遼太郎みたいに作者が作中にひょこひょこ顔を出してくるという下卑た趣味はユルスナールには一ミリもないようです。
というか、絶対にそうならないように細心の注意を払って書き挙げたというのが作者覚え書きで分かります。
一人の人間がここまで誰かになれるものかと感嘆することに本書を読む意義があります。
まあ、ローマに詳しければ小説としてももっと楽しめるのかもしれませんが。


個人的に気になったことがあります。
それは中盤からの文体の緩み。
本書前半は文章にピンと張り詰めた緊張感が漲り、荘厳な儀式のような文体が続きます。
それがなんとなく、中盤から緩くなってきた気がしました。
また、中盤から後半にかけて4点ほど誤字・脱字を発見しました。
300ページ程度の小説(しかも17刷)でこれは多い方です。
また、文章が緩くなっていると感じたところに誤字・脱字が多いというのも気になりました。
僕はフランス語はちょっとだけしゃべれますが、原文はさすがに読めないので確認することはできません。
でもあのユルスナールが中盤書き疲れするとも思えないし、じゃあ訳かというと訳者の多田智満子さんは戦前生まれの有名な仏文学者であり、本書刊行(60年代)時あの三島由紀夫が訳文を読んで「この訳者は絶対男だろ!」と言い張ったという逸話もある方。
版元の白水社は創立100年を越える老舗で、翻訳に定評のある出版社です。
海外の新人作家を若手翻訳家が訳したものとはわけがちがいます。
なのでこの緩みは僕の気のせいなんでしょうが、誤字・脱字は見間違いではありません。
名著といわれている作品だけに、なんかすごくもやもやして、誤字の指摘も含めて白水社さんにメールしてしまいました。

ただ、個人的な収穫としては巻末の「作者覚え書き」です。
これを読むとユルスナールの作家としての矜持や執念が伝わってきます。
ここを読むだけでも全然たのしめます。
中でも個人的にゾクっとしたのは、

「片足を博識に、片足を魔術に、もっと正確にそして比喩ではなしに、思考の中で他者の内部に入り込むあの《交感の魔術》に」(p322)

という一節。
これは僕が曲を理解し演奏したり教えるときに考えていたこととかなり近くて嬉しかったです。
意味は、何かに没入する際、可能な限り知識を集め、同時に神秘(直感、偶然等)もくみ取りつつ、正確さを突き詰めながら、あくまで自己の中で他者の内部に魔術のように入り込むということです。
今後自分のスローガンとして使ってみたいです。
誰か原文わかる人がいたら教えてください。

まあそんなこんなでようやく鬼門だった「ハドリアヌス帝の回想」を読了することができました。
今後、もし内容を聞かれたら胸を張って「めっちゃすごいけどめっちゃつまらん作品だよ」と答えたいと思います。

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