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【海外の街を歩く】ローマを歩く(その7)

ティベリーナ島を見学したのち、テヴェレ川に架かるパラティーノ橋を渡りフォルム・ボアリウムへ行った。

フォルム・ボアリウム

フォルム・ボアリウム(Forum Boarium)は、テヴェレ川とカピトリヌスの丘、パラティヌスの丘に囲まれた谷間ヴェラブロ(Velabrum)という交通の要衝に位置しており、古代ローマ時代にはフォルム(公共広場)だった場所だ。
王政ローマ時代(BC8世紀~BC6世紀)に、牛の市場がこの場所にあったことから、牛の市場 (Forum Boarium) と名付けられ、テヴェレ川に面した川岸は港として整備されていたそうだ。
共和政ローマ中期(BC2世紀)になると、港の役割はテヴェレ川の下流のエンポリウムに移り、牛の市場もすぐ近くにあった公共市場に集約されたことから、フォルム・ボアリウムは「牛の市場」から多くの商店が立ち並ぶ「商業の中心地」に姿を変えていったそうだが、現在は往時の活気は感じられなかった。

フォルム・ボアリウムは宗教的な中心地でもあり、ヘラクレス・ウィクトール神殿ポルトゥヌス神殿が建てられた。
帝政ローマ末期には神殿はどちらもキリスト教の教会に転用された。
キルクス・マクシムス(戦車競技場)との間にあったヘラクレス・ポンペイアニ神殿(Templum Herculis Pompeiani)は、8世紀になると真実の口で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会に改築された。

現在は、円形のヘラクレス・ウィクトール神殿や方形のポルトゥヌス神殿などがある広場になっている。

フォルム・ボアリウム

ヘラクレス・ウィクトール神殿

ヘラクレス・ウィクトール神殿(Aedes Hercules Victor)は、古代ローマ時代に建てられた神殿。
コリントスの戦いでアカイア同盟軍を破った共和政ローマの執政官ルキウス・ムンミウス・アカイクスにより、BC2世紀に建てられたと言われている。
1132年になると、この建物は教会に転用されたそうだ。

ヘラクレス・ウィクトール神殿

ポルトゥヌス神殿

ポルトゥヌス神殿(Tempio di Portuno)はポルトゥーヌス神に捧げられたイオニア式の古代ローマの神殿だったそうだ。
ポルトゥーヌス神は、ローマの鍵、鍵、倉庫の守護神であり、川の神としても知られているそうだ。
この神殿はBC75年に建設されたと言われている。
872年に教会に転用され「 Santa Maria Egyziaca(エジプトのマリア)」に捧げられたことから、建物の保存状態は良いのだそうだ。

ポルトゥヌス神殿

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Basilica di Santa Maria in Cosmedin or de Schola Graeca)は、古代ローマの廃墟を利用して建てられたバシリカ。

8世紀から9世紀の東方教会において、聖像(イコン)の崇敬が東ローマ皇帝レオーン3世により禁止され、聖像を破壊した聖像破壊運動(イコノクラスム)の迫害から逃れてきたギリシャ人に対し、当時の第95代ローマ教皇ハドリアヌス1世が与えた教会。
ギリシア人たちは教会を飾り立てたため、コスメディン(装飾)の名が付いたそうだ。

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会

古代の井戸の蓋、またはマンホールの蓋といわれる有名な「真実の口」は柱廊の端にある。
作成時期は1世紀頃だそうだ。
ガイドブックなどに、「お決まりのポーズで写真を撮ろうとする観光客が列をなしている」と書かれているが、御多分に漏れず私も列に並び、写真を撮影してもらった。

真実の口


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