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余韻

 ご飯のお供といえばなんだろうか。漬け物、ふりかけ、佃煮…色々あるが、ぼくは榎茸という瓶詰めが好きだ。いや、好きだった。これを超えるお供はいないと確信していたのだが、友人から貰った実山椒というものには唸らされた。


 今週は秋晴れの続く日だった。その旅行日和に友達が京都に行くという。ただ、彼も彼でかなり仕事を抱えていたから、ゆっくり連休をとっていくという感じまではなかったし、彼だけが行くものでもなかった。彼はおばあちゃんを連れて京都に行くのだそうだ。しかも、おばあちゃんに京都を楽しんでもらおうと彼自身のスケジュールの合間を縫って組まれた旅行だ。


午後に休みをとっておばあちゃんを車で京都に連れて行く。

始発の新幹線で京都を発ち、東京へ向かう。

東京へ向かったら、そのまま職場へ直行する。

車は京都に置いてきたから取りに行かないとらならないし、おばあちゃんをそのままにしてしまうことは出来ない。

なので、仕事が終わったら終電の新幹線で京都へ戻り、翌日1日だけだがおばあちゃんと京都探訪をした後に、車で東京へ向けて出発する…


「お土産は何にしますか?」


 ぼくがその冒険譚について感想を述べるよりも先に彼は聞いてきた。まるで、ぼくが何かお土産を求めていたことを知っていたようだった。八つ橋しかぼくの頭に思い浮かばなかったので、彼の家の定番というやらを買ってきてもらうことにしたい。そして、買ってきてくれたのが、実山椒だったというわけだ。

 その実山椒とは、山椒の実を佃煮にしたものだ。ちまきに巻いてある藁をモチーフにした包装がされていた。開けてもいないのに微かに渋いハーブのような匂いが立ち込めていた。そこには何仁丹と同じくらいの粒々が真空パックされた袋にぎっしりと詰まっていた。見るからに食べるとしょっぱそうだ。

 ぼくは米を炊いて食べることにした。小さい粒だったので、カレーのスプーン一杯分くらいを取り口へ持っていく。味が濃厚で、山椒の香りがいやらしくない。辛さもそんなにしない。確かにご飯は進む。そこでは終わりかとぼくは思っていたがそれは間違いだった。

 「ピリリ」

 ぼくの舌が音速レベルで震える。当然ながらそれは辛さによるものだ。ぼくは、そのことを想定していたし驚くことでもなかったが、心地よい刺激だ。

 その瞬間、おもろげに何もついていない白米を口へ持っていった。山椒の佃煮はもうとっくに胃の中を経由してしまっているはずなのに。
 
 白米はさっき食べた時よりも遥かに美味しく感じられた。そう思った時には、もう一口白米を口に運んでいた。やはり、通過してしまったのだから、ご飯のお供を供給しなければならない。

 そう思わない内に知らずにまた、白米を口に運んでいっていた。白米をここまでぼくは欲したことはない。


 味付けが濃いから、米を欲するという当たり前のような構図がここで一気に崩れた。ぼくは気づいたのだ。山椒の余韻で白い飯が食っていることに。


 「山椒は小粒でもピリリと辛い」とは昔の人は良いことを言ったものだ。ぼくは、山椒の心地よい刺激に酔いしれていた。

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