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25歳の挫折【海外就職への道13】

こんにちは。マニラからお届けします。

今回は前回の続き、セブ島留学中に現地採用で内定を取ったものの、新型コロナウイルスの感染拡大により入社が延期し、ニートになってしまいました。

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2020年4月。ステイホームが叫ばれ、海外に出るどころか、外にすら出られない日々。そんな中でのニートの生活はなかなかにつらいものでした。

朝起きて何しよう。今日は英語かな、プログラミングかな、読書かな。なんにもやりたくない。あーあ。気づいたら暗くなってる。おやすみなさい。

世の中いろんな人がいて、まかりなりとも自分は上手く世渡ってきたつもりでした。多くの人たちが大変な思いを抱えてきたような受験や就活などに対して、僕は何も困ることなくスムーズに乗り越えてきました。その人生を否定する気はないけれど、そんな順風満帆な25歳にとって、この現実は今まで積み上げてきたものが一気に崩れていくような状況でした。

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僕はいつも安心安全にすがるような人間でした。心の奥底に何か大きなチャレンジをしたい気持ちがありつつも、目の前の安全策には打ち勝てず、どこかもやもやした気持ちを抱えながら人生を送っていました。

しかしながら、型にとらわれないいろんな体験をしてきた人たちを知り、関わっていくことで、徐々に「自分は海外で働きたいんだ」という気持ちを認識できるようになってきていました。

そうやって飛び込んだフィリピンでの就職活動は1社受けて内定という上出来具合。運も味方し、いよいよ正直になった自分の第二の人生のスタートラインを切る頃でした。

そんな矢先の転落はやっと見えてきた自分の内面を否定されたような気持ちでもありました。ネガティブになっていくと、今までの上手く行ってきた人生に対する贖罪の意識を生み、つらい時期は乗り越えるのではなく耐えるのだ、と感じ、本当は未来を見ていたいのに、つらい現実のみを見つめるようになっていました。

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そんなニートの生活も2ヶ月が経過し、ある日会社から連絡が入ります。

一旦日本法人で契約社員として働いてほしい。

しばらくフィリピンに行けないことから、それまでの期間日本でテレワークをしつつ、渡航のタイミングを待つというものでした。涙が出るほど嬉しかったのをよく覚えています。ニート生活に慣れてはきたものの、依然不安定な精神状態が続いていたので、これでその状態から抜け出せると思いました。

この期間、何かフリーランスとして仕事を見つけようといろいろ探して取り組んでみたものの、稼げた額はほんのわずか。現実世界で生きる難しさも強く感じていました。

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6月中旬、ついに仕事を始めることになります。やっと抜け出したニート。しかし、そんな安心も束の間、またしても新たな壁が襲い掛かります。

この続きはまた明日。では

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