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旅行における挑戦マインド

海外に行くと、身の回りの人やもの、気候など全てが異国で、日本とは異なる体験を得ることになります。海外旅行とはそういった環境を手に入れることであり、そこでの不自由そのものが旅行の目的であったりします。

旅行ではないものの、僕はフィリピンに住んで半年が経過しながら、未だにこういった不慣れな環境に手間を取ったり、言語の壁を感じ、つらい思いもたくさんしています。

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現代は情報化社会です。各々が自分の経験をインターネット上に公開し、今まで旅行メディアにはなかったような経験に基づく情報を気軽に手に入れることができるようになりました。海外にいても同様で、ネット環境にさえつなげてしまえば、パソコンやスマホを開くとそこには日本語で書かれた多くの情報を入手することができます。

それは海外に対する不安を解決してくれるものであるし、また海外に対して恐怖心を抱いている人のハードルを下げてくれるものでもあります。

海外で何かトラブルに直面すると、私たちはまずネットで検索します(スマホの紛失などの場合を除く)。その際、どのような行動を取るべきかが日本語で書かれたサイトで見つかることが大半です。そういった意味でも旅行中にできるインタラクティブな通信によって、安心安全を担保してくれる情報化社会というのは、私たちにとって旅行の仕方を根本から変えてくれるものになりました

少し時代を遡ると、パソコンやスマホなんてなかった時代は、旅行雑誌などを見ることは出来ても、旅行中でのあらゆる困りごとに全て完全に対応できるケースは少なかったのかなと思います。

旅行ツアーや現地のヘルプデスクなどはあれど、行く先は決まって有名都市で、あまり多くの日本人が訪れないような国には、そのような体制が整っていなかったことが大半でした。

山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』では、航空会社の社員がその会社の飛行機が飛んでいないケニア支店で働くことになった話が、実話を元にしたフィクションとして描かれています。その話では、1960年代当時の、情報がないことによる過酷な環境を思い知ることができ、現代の旅行とは比べ物にならない苦労が感じ取れます。

ここでふと思ったのが、今の海外旅行には便利さや安心感があり、高い自由度を誇っているものの、全体的な満足度や達成感は相対的に下がっているかもしれない、ということです。

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「旅行にトラブルは付きもの」とはよく言うものの、トラブルをどのように対処していくかは時を経て変化していきました。旅行中は特に、インターネットで日本語で情報を得られることへの安心感があります。

しかし、それはせっかく海外にいるのに、その旨みを十分に味わっていないことでもあると思います。技術が発達したり、それによって人々の不安に答えるために個人が発信していくこと自体はとても素晴らしいことだと思います。しかし、それは同時に、得られるべき貴重な経験が損なわれてしまった、ということでもあります。

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今後の旅行の形はどうなっていくのでしょうか。そのような便利な環境に頼ること自体は悪くないものの、いざ頼れない状況になった時の対応力が下がってしまう可能性は強くあります。

そこで、敢えて、インタラクティブな通信が出来ない「圏外」を経験しにいったり(飛行機内がそうですが)、情報に頼らずに自ら言葉や文化の壁にぶつかって乗り越えていく経験をしていき、旅行でしか味わえない貴重な機会をつかみに行くことも大事になってくるのかもしれません。

そこで得られる経験こそが、旅の醍醐味だと思うし、旅を通して得られる大きな満足感や達成感につながるのだと思います。

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