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自由な世界で考える

僕は人間らしい生き方として「自由に生きる」ことが大事だと強く思っています。

歴史上のあらゆる戦争は、自分達のアイデンティティや土着文化の根付いた領土を守るために起こっていますが、人々の間では自由を獲得するために戦うという考えが強くあったと思っています。

そういった人々が歩んできた遍歴を知るたびに、現代がいかに自由であるかを実感します。

なにをやってもいいし、どこにでも行ける。

人間の生き方にルールはありません。倫理的なことさえ守れば、僕は人々はどのように生きたっていいと思っています。

なぜなら、自由に生きることは、人間としてこの時代にこの世に生を受けた私たちに与えられた権利だと信じているからです。

僕は自由を実感しながら生きていきたいし、僕と関わる全ての人たちにも自由を実感しながら生きてほしいと思っています。

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自由な環境は素晴らしいとは思うものの、逆に自由とは悩みの対象になることもあります。

ドイツの心理学者エーリヒ・フロムは、著書『自由からの逃走』の中で、自由を求める人々と自由から逃げる人々について述べています。

人は自由を求めて戦うのに、いざ自由な環境を実現すると、目的や目標を失い、孤独に追いやられてしまうのです。そして何か訴求力のあるリーダーを探し、その支配下に身を置いてしまうそうです。

人々は自由を獲得するために強い熱量の元で一致団結しますが、人々は自由な環境を実現するとバラバラの方向へ向かうため、孤独感が強まってしまいます。人々はこの孤独感に耐えきれずに、自由から逃走し、再び何かの服従を求めてしまうのです。

これが人間の心理であり、1930年代以降のナチズムに傾倒したドイツ国民がその大きな例として挙げられます。

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僕はこれらの人間の心理を知ってもなお、人々は自由に生きるべきだと考えます。

ただ、人生の目的や目標、自分にとっての幸福については日々認識して、路頭に迷わないようにしていくことが大切だと思います。

「なにをやってもいいし、どこにでも行ける」という自由さは「なにをやったらいいかわからないし、どこに行っていいかわからない」とも捉えられます。

自由ながら目的や目標がなく、でも自分が今幸福でないならば、何を実現したいかを考える必要があります。

たとえ自由だとしても、心理的な満足感がなければ充実した生活とは言えないし、不自由な環境を求めてしまう可能性があります。

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現在の僕は、パソコン一つで世界中を飛び回れる海外ノマドワーカーになるために、東欧のジョージアという国で日々Webデザインの勉強をしています。

今は収入がないため、貯金を切り崩しながらの生活となっています。

Webデザイナーとして海外ノマドワーカーになるという目標を実現した後、自分は満足しているか考えることがあります。最近は100%そうだと言い切れなくなっており、少し悩んでしまいます。

僕は今なにをやってもいいし、どこにでも行ける、自由な状態に置かれています。でも自由ゆえに行き先に迷いが生じてしまいました。

今になって、アメリカに住んで働きたいという夢を持っていたことを思い出したり、個人よりはチームで働いてみたい気持ちがあることを認識したりするようになりました。

だから心理的に満足できる人生の目的や目標、自分にとっての幸福について、今は真摯に考え、今後進んでいく方向を決めていきたいと思います。

自由だからこそ、自由を存分に感じた上で考えて行動していきたいです。


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サムネイルの撮影場所はShota Rustaveli AvenueとShota Rustaveli Turnの交差点(トビリシ)

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