見出し画像

祖父への思い【海外就職への道41】

こんにちは。マニラからお届けします。

今回は前回の続き、コロナ禍でフィリピンに渡航する事が決まった頃のことについてお話しします。


***

いよいよフィリピンへの渡航を1週間後に控えた週末。僕は法事に出席しました。

祖父の二回忌。2年前、僕のおじいちゃんは81歳でこの世を去りました。当時、セブ島留学の真っ最中だったこともあり、僕は葬式には参加できませんでした。

おじいちゃんは家が近かったり、自営業で父も同じ会社で働いていたこともあり、小さい時からよく会っていました。いろんなところへ連れていってもらったり、僕が大きくなってからは人生哲学をたくさん教えてもらいました。

父(僕からすると曾祖父)が早世し、20代で家業を継ぐことになり、亡くなるまで社長を全うした経営者は、僕にとってはとても偉大な存在でした。亡くなった後、家の片付けを手伝った時に山ほどの本やノートが見つかり、その使命を全うするために多大な努力をしていたことを知りました。事業である建築の分野だけでなく、政治学や哲学、文学にも精通していて、まさに含蓄のある人でした。晩年、何度か寿司屋に連れて行ってもらい深い話をしたのは良い思い出です。

法事が終わり、墓前でこれからの報告をしました。これから世界に飛び出していくよ、と。おじいちゃんから背負った期待を胸に頑張っていこう、と思いました。

***

渡航前の1週間は休暇をいただき、準備を進めました。特に荷物の整理は勢いまかせでどんどん進めていきました。

家に置いておく荷物は出来るだけ少なくするため、たくさん処分しました。思い出の品のあれこれも、(こんまりメソッドに則り)ありがとうと感謝してゴミ袋へ詰め込んでいきました。家の片付けは、今まで数え切れないほどやってきましたが、ここまで多くのゴミが出るのは人生初だったかもしれません。最終的には段ボール7箱に全ての荷物を詰め込みました。これでもまだ多い気はするも、終わってからは爽快感で溢れていました。

持っていく荷物についても吟味し、1個のスーツケースに収まるように詰めていきました。フィリピンは熱帯の国なので冬服はほとんど処分。現地で買えるものは日本で買わない、を徹底し、荷物を極力減らしていきました。スーツケースになんとか収まり、パッキング完了。

今まで見慣れた部屋もものがなくなるとここが自分のいた空間なのか、と錯覚するようになります。もう過去には戻れない、そう思いました。

***

いよいよフィリピンへ渡航しますが、その前にコロナ禍特有の事情に直面します。

この続きはまた明日。では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?