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はじめまして。

改めて言うのも恥ずかしいですが、はじめまして。平末健人と言います。

これを書こうと思ったのは、最近色んな人と出会う中で、ちゃんと「はじめまして」と言える人になりたいなと思ったからです。

SNSで繋がって毎日目にするけど、遠く離れた友達ばかりで、自分以外の人にとって自分はどんな風に写っているのだろうと、気になったからです。

生い立ち

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2004年。愛知の万博での一コマ。

僕は1997年10月16日、京都生まれです。
4歳くらいまで大阪の鶴見で育ち、それから小2まで芦屋でマイペースに泣きべそかきながら育ちます。小3から小6までは親の海外転勤で、成田が近い千葉県船橋市へ。中学1年の時、元いた芦屋の家に帰ってきます。高3まで神戸で育ち、大学はひょんなことから大分県は別府市へ。休学を経て、2021年秋に大学を卒業しました。

そんな僕の人生にいつも寄り添ってくれたのが、写真でした。

僕が写真を始めたきっかけ

僕は何度も転校を繰り返し、中学の時は極度の人見知りでした。自分から友達を作ろうという気もあまりなく、休み時間には教室の隅っこで突っ伏せているような学生でした。そんな僕も好奇心旺盛な親友に恵まれ、中学3年を迎える頃には、決して多くはないものの、この友達との縁をずっと大切にしたいなと思えるようになっていました。そんな友達と、数年後に今を振り返ったときに「こんな時代もあったなー」と笑えるように、今を残したいなと思いました。それが、写真を撮り始めたきっかけでした。

ちなみに中学の部活の親友たちは、今でも連絡を取り合う仲です。あの時僕に声をかけてくれた親友には一生感謝したいです。

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今でも一緒に旅をしたりする親友。このとき僕は大学1回生。


写真を撮る喜びを知る。

最初は小さな安物の一眼レフを使っていたのですが、それでも、当初のスマホよりはまだ綺麗に写すことができました。高校ではスマホは禁止されていましたが、一眼レフはオッケーだったので、イベントごとに写真を撮るようになっていました。最初は恥ずかしかったので隠れて身内ばかり撮っていましたが、そのうちバレていろんな人に「撮って欲しい」と言われるようになり、いろんなイベントでクラスメイトを撮り始めました。高3の頃にはすっかりクラスのカメラマン的存在になっていたような気がします。

僕はもともとたくさんの人と話すのがあまり得意ではなく、中学や高校特有のノリみたいなものが苦手でした。そのおかげで友達があまりできなかったのですが、気づいたときには、写真が僕とみんなをつないでくれていたのです。写真の中に映る人がどんどん増えて、とても嬉しかった。卒業アルバムのクラスページは、僕の撮ったみんなの写真でいっぱいになりました。高校の3年間で撮影した写真は、多分1万枚以上にのぼると思います。僕は自然に、カメラと共にいるようになりました。

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朝から文化祭の準備で眠たいクラスメイト。ちなみに共学です。


写真は言語を超える。

大学に入って本格的な趣味として写真を始めたくなって、大きなカメラを買いました。高校のように目立ったイベントはないものの、海外に行ったり、別府の綺麗な景色を撮ったりしている間に、たくさんの写真を撮っていました。機材にも凝り出してレンズを色々揃えたりして、気がついたらイベントの撮影を任されたり、クラブでの撮影やWEB用の写真撮影を任されるようになっていました。そのうち仕事として対価をもらえるようになり、少しずついろんな世界を知るようになります。こうして写真は、僕と世界をつないでくれたのでした。

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当時はイベントやクラブでの撮影が多かった気がします。撮影なんてない限りクラブなんて一生いかなかったと思います笑


本を読んだり、自分でものを書くことが苦手だった僕は、「国境や文化を超えて、幸せや感動を共有することができる、もはや言語を超えたツール」として、写真に頼るようになっていました。写真は、僕と多様な人々とをつないでくれたのでした。

フィルムカメラとの出会い

生まれてから僕はずっと、都会で生活してきました。
しかし、記憶のないくらい小さい頃から、長期休みの度に行っていた場所があります。それは、おじいちゃんとおばあちゃんの家です。

祖父母の家があるのは、京都府の南端に位置する城陽市青谷の端っこ。舗装されていない道を進むと、山の中にポツンと家が建っています。この祖父母の家はまさに無法地帯で何でもやり放題なので、僕は都会でできないことは何でもここでやんちゃして育ちました。

石を投げたり、野球をしたり、花火をしたり、プールに入ったり、水晶を探しに山登りしたり、川で一日遊んだり、昆虫採集をして一日遊んだり、秘密基地を作ったり、他にもいろいろしました。

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夏休みのお馴染みの光景。川遊びに行く途中です。


そんなことをしていると、昔はカメラマンをやっていたおじいちゃんが僕にカメラを持たせてくれるようになります。中学の頃でした。僕に全てを教えてくれた写真。それを何も言わずに渡してくれたのがおじいちゃんでした。

そして2019年の夏。おじいちゃんにフィルムカメラをもらうことになります。デジタルカメラとは違って、全てがマニュアルのカメラ。連写もできないし、撮ってもすぐに見れないし、何よりフィルムという形のあるものに写真が写るという感覚があまりに不思議すぎて、最初に撮るときは緊張したものです。

そしてその頃とほとんど同時に、初めてInstagramというものを始めるようになります。すると、すでにその頃にはフィルム写真のリバイバルが訪れていて、僕はいろんな写真家や作品を知るようになります。今までスタイルや構図など考えたことがなかったので、そのときようやく一から写真を学び始めることになります。そのうち、この写真はこういう意図があるとか、こういう構図と色で成り立っているとか、こういう印象を与えるためとか、ある程度写真を言語化できるようになっていました。そしていつの間にか”いい写真”とはこういうものだ”と声高に叫ぶようになっていました。

しかし、ある時ひょんなことから映像や写真をやっている大学の先輩と出会います。そこで薄々気づき始めたことがはっきりと目の前に現れます。

”いい写真とは何なのか?”

この問いが、僕が今まで外の世界を知るために、自分の外側ばかりを旅していた時代に終止符を打ち、僕は自分自身の内側や過去と向き合い始めたのでした。

自分の内側と外側

世界を知るための勉強を小さい頃から繰り返し、大学に至ってはこれでもかというくらい外の世界を知るための授業や生活が充実していました。

そんな大学生活を一旦区切って自分の思うままに活動するために、休学をしました。それは同時に、写真ではない全てのものと接する時間の始まりでした。今まででは考えられないほどいろんな人と生き方に出会い、自分はどういう人間なのかということを常に考えていた気がします。

自分は何をしたいのか。社会の役に立つとはどういうことなのか。そもそもなぜ社会の役に立たなければならないのか。そもそも社会とは何なのか。日本って何だ。世界って何だ。自分って何だ。

色々考えた結果よくわからなかったので、とにかく大学でできないことを色々やってみました。教育機関でのインターン、サブスクを運営するスタートアップでのインターン。社会の役に立つのではないかと、三方良しの写真展をやってみたり。

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合計3回行った合同写真展。別府の魅力を新一年生と保護者さんに知ってもらうための企画でした。


なんか色々やってみた結果、「大人になるというのは大変なことなんだ!」と感じ、結局今できることをやろうと思って大学に戻り、写真や動画という自分のスキルを生かして、学生に可能性を残せるような活動を友人らと始めたのでした。

最後の青春

そうして大学生活の最後は、人生でずっと敬遠してきた団体行動を選びます。休学期間中も大勢を率いて何かプロジェクトを進めることは何度かありました。そんなことも含めて、改めて大勢で何かを成し遂げるということは大変なことなんだと感じました。今まで僕は課題を出し忘れたり、継続して最後まで何かを成し遂げるということがとても苦手でした。しかし、初めて何かをやり遂げることの喜びを知りました。責任を知りました。この世界は不完全な人間が複雑に絡み合った関係性でできているんだと知りました。もはやその頃には、自分が何をやっているかということはどうでも良くなっていて、写真じゃなくてもいいとか、誰かを幸せにするのに、そのツールなんて何でもいいと思うようになっていました。

一年間ともに青春を駆け抜けたメンバーたち。



大学生活の最後を迎えて気づいた大切なこと

結局写真じゃなくてもいいと気づき、まさかのスタートラインに戻ってしまった僕は、とにかく忙しくする毎日をこなしながら、縁があって今までの活動のアーカイブ写真展を開催することになりました。そこで今までの写真をまとめていると、あることに気づきます。「自分が大切にしたいのはありのままの今なのではないか」と。それはながーい回り道をした先に戻ってきた場所でした。中学の頃にすでに知っていたこと。それを写真が教えてくれたのです。何気なく撮っていた写真に、確かに過去の自分が純粋に愛してきた物事が写っていました。

「この懐かしい景色を見ていたい」
「この景色を見ていられる未来が来て欲しい」

そんな想いが、写真として僕の前に現れた瞬間でした。

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世界の見え方を知った。

僕は大学に入った当初から唯一ゼミに入って研究しようかどうか迷っていた学問があります。それが人類学です。

この学問は、今では科学や構造的な理論に圧迫されて、なかなかマイナーな学問になっているのですが、僕が衝撃を受けたのは”まなざし”という概念でした。ものすごく簡潔にいうと、「自分が育ってきた環境や生い立ちが、知らず知らずのうちに自分の世界の見え方を決めている」ということです。人は無意識のうちに物事に対して固定観念や偏見を持っているということですね。

だから誤解を生んだり、多様性の理解がなかなか進まなかったり、広くは文化的な違いや主張の違いが生まれるのではないかと思いました。世界の見え方は、80億人いれば、80億通りあるものなんだなと。

じゃあ自分はどんな世界の見方をしているのだろう。自分のまなざしはどんなだろうと考えたときに、写真がすぐにそれを教えてくれたのでした。

写真は、自分の内に潜む宇宙と僕をつないでくれたのでした。

これから

さて、気づけば僕の人生は、ツールとしての写真というには切り離せないほど写真だらけになっていました。それは、僕の「見た世界」や「見たい世界」が写真そのものであったからです。カメラは僕の目の一部で、写真は僕の過去と未来、内と外をつなぐ存在になっていたのです。

そして僕は今一度写真と向き合ってみることにしました。それは同時に、自分と向き合うことでもあり、世界と向き合うということでもあります。

今は、もっと多面的な分野から世界を見ることができるようになりたい。そしてこの世界の拡がりを知ったなら、この目で、この“まなざし”で見る世界がどのように僕に問いかけてくるのか。それに対する僕なりの答えを、写真で表現できるようになりたいと思っています。

難しいことを言いましたが、結局はインプットとアウトプット、つまり吸って吐くの連続です。呼吸の連続です。そうやってこれから始まる先のわからない未来を生きていこうと思います。


(210511)
※210907_編①

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