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フィルムにこだわる。

あまりご存じではない方もいると思いますが、僕は一応「フィルム専門」の写真家として少し前から活動しています。なぜ僕がフィルムにこだわるかという理由はきちんとあるので、今日はそのことについて少しだけ触れておこうと思います。

単刀直入にいうと、僕がフィルムにこだわるのは「残るから」です。

僕は何度か”祈り”と写真の関係性について語ってきました。祈りは僕の中で未来の誰かに対して「こんな未来を僕は望む」という意思表示のようなものです。

以前どこかで語ったように、この世に気持ちを具現化させる方法は、ものすごく根本的にいうと、2つだけです。一つは「文字」でもう一つが「絵」です。写真はこの「絵」に科学を組み合わせて出来上がったものですね。

祈りは文字で表すこともできます。しかし、一度情景を思い浮かべてまた戻す必要があります。言葉や文字にして伝えることもできるし、物語にして伝えることもできる。しかし、それに比べて写真はどうでしょうか。

写真なら一度情景を思い浮かべる必要がない。つまり、よりすんなりと入ってくるのです。絵よりもリアルに、文字よりも瞬時に。

そしてそれは、生きている限り生み出すことができる。100歳で撮った写真が100年残る。その写真が、誰かが次の100年を考えるきっかけになるかも知れない。こうして写真を通して寿命を超えて繋がっていく祈りの性質を、僕は”持続可能性”と呼んでいます。

写真に祈りを込めることができたなら、その祈りがより先の未来に届く可能性を秘めていてほしい。だから、その写真をできる限り残したい。

フィルム写真がすでに100年以上も残っているということは証明されています。祈りをより遠い未来まで残すことを最優先に考えたとき、僕はデジタルカメラを売ろうと決めました。

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