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この世界で生きていく。

大学の友達の田舎へ連れて行ってもらったのは、ほとんど勢いでした。今年のGWは第四波の影響でほとんど無いも同然。世間は情報で掻き乱される中、そんな全てから解き放たれるように、山陰の奥地にひっそりと佇む一軒のお宅にお邪魔しました。

毎年5枚の田んぼを家族で耕して、お米を育てているというお家。僕は田植えしかしたことがなかったので、一体どんなことをするのだろうとワクワクしていました。

まずは畦道の草かきをしました。草を刈ってかいてを繰り返して、畦道はすっかり綺麗になりました。しかしそれは文字通り腰の折れる作業でした。一辺をかき終えるのに精一杯で、思ったより大変で進まない。

頭では大変だろうと分かっていたけれど、やっぱり実際にやってみないと何もわからないということ。心身が共に成長して、初めて経験として語ることができるということに気づきました。

でもそれ以上に僕の中に響いたのは、ここで過ごした毎日という、時間でした。焦ることもなく、雨が降ったら止むまで待って、速さよりも”丁寧“を心がける。忙しなくすぎる都市の喧騒からは程遠い、自然と一体化した1人の人間を、自分の中に感じました。

生き物たちの話題で笑顔が生まれ、その生き物たちに対する小さな感謝の連続。自分たちもその一部として、同じ時間の流れを共有する。

自然というものが、私たちの自由を妨げたことは一度だってなかったということに気付かされました。つがいでやってくる鳥たちと、逃げまわる蛙や飛蝗。全てが適切な距離を保とうとお互いを意識する。全てがつながっていて、全てが自由だった。

何万年というとても大きな時間。それも、その辺の石や木にとっては大したことのない時間。もはや循環の中において、時間という概念は必要がない。今そこに、それらが空間を共有している。それだけで良いということ。

トランプ一束の娯楽。近所付き合い。何気ない時間が、ただとても楽しくて幸せで、生きていることを全身で感じていました。

「この世界でこれからも生きていたい。」と思えました。

(210505)

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