あの頃の記憶をもう一度…

2024年3月11日、今日であの日から丸13年が経つ。そう、東日本大震災からちょうど13年だ。

当時高校1年だったワイは、その日は午前中のみ高校で授業で、午後はフリーだった。たまたま、母親も仕事が休みだった為、午後から遊びにゲーセンへ足を運んでいた。

もちろん、この時はあれ程の大災害が起きるとは想定していない。
2時46分頃…地震が発生
体感的に約1~2分位だろうか、非常口案内の吊り下げ看板が揺れていて、なんだか船酔いの様な気分になり少し気持ち悪い思いをしていた記憶がある。

悲惨な現実の知ったのはその数時間後、帰宅しようと車に乗り込んだ時にラジオで知ることとなった。あの揺れは空調などではなく、地震だったのだと…。すぐに携帯で場所を調べたところ、三陸沖で起きていた事が判明した…。
まさか、東北の地震が長野まで来ていたのか…正直愕然とした。そんなことあるのかと、頭が白くなった。
翌朝、大きな地震で目が覚める。余震にしてはあまりにも大きい。それもそのはずだ、この時長野県と新潟県の県境にある栄村を中心にした長野県北部地震が起きたのだ。
だが、報道はほとんどされなかった…それもそのはず、三陸方面の被害があまりにも甚大過ぎて報道機関の殆どがそちらを中心に取り上げていたのだ。
地震による津波の被害、福島第一原発の事故、被災者多数…あまりにも代償が大きすぎる。13年経った今も尚、その爪痕は少なからず残っている。

だが、その記憶は決して風化させてはいけない。そう思わせる事が今年の元日に起きた。能登半島地震の発生だ。
幸い、ほとんど津波などの二次災害で多くの死者が出ていないのは、13年前の東日本大震災の震災と津波の恐怖により、防災への意識や見直しが強まったからであろうと思う。

日本は知っての通り地震大国である。大陸プレートと海洋プレートの境界が多く存在する。故にどこでも大震災が起こりうる事を改めて思い直し、出来得る対策を各々がしていくしかない。そのためにも、東日本大震災の記憶は決して風化させてはいけない。

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