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「書く」と「話す」の違い

自分の思っていることとか考えていることとかを、話すなり書くなりしてアウトプットすることって、大事だって言われますよね。

それによって、自分の頭の中が整理されたり、ときには気持ちがスッキリしたりすることもあると思います。


それで、最近思ったのは、この「言葉にして出してみる」って粗い解像度じゃなくて、同じ「言語化する」という行為でも、「書く」と「話す」って、全然性質の違うものだなということです。


コルクの代表の佐渡島さんが以前に『メディアが変わると分人が変わる。』というnoteの中で、こんなことを書いていました。

noteは自分の「内」に向き合う要素が強いのに対し、Youtubeは「外」に向かってコミュニケーションをする要素が強い。


この「内」と「外」って感覚は、とても納得感がありました。

ぼくは普段、こうしてチマチマnoteを「書いて」いるわけですが、それと比べると、「話す」ってやっぱり、意識が相手に向くんですよね。

表面上は、「自分の考えを整理して言語化する」という行為でも、「書く」は「自分」と向き合い続けて言葉を綴る感覚で、「話す」は「相手」と向き合うなかで言葉が出てくる感覚です。

だから、「思考の整理」という観点から言うと、「話す」よりも「書く」の方が適しているのではないかと感じる今日この頃。

もちろん、最終的には個人の好みの問題なんですけど。

「相手」がいると、やっぱり、ちょっと場を盛り上げるために数字をちょっと盛っておこうとか、こういう言い方をしたら相手が喜ぶだろうから、薄々気づいている本心とはちょっと違うことを、つい勢いで言っちゃうとかってことも、あるんですよね。

一方で、書く行為は常に「自分」と向き合い続けることになるので、あくまでも感覚ですが、向き合えば向き合うほど、思考や感情が研ぎ澄まされている感じがあります。


あと、さっきのnoteの中で、佐渡島さんが「ブログよりもYouTubeの方が見られている数自体は少ないけど、話しかけてくれる人は多い」って旨のことを書いてい他のですが、そう言えばぼくも同じような経験をしたことがあったなあと。

というのも、1ヶ月前くらいに会社の同僚の魚見よし君と漫才の動画をYouTubeにアップして、それをTwitterでもシェアしたのですが、引用リツイートがめっちゃ多かったのですね。

(↓ちなみにツイートはこれです)


動画をSNSに投稿したのはそのときが初めてだったんですけど、いままでブログとか記事とかが多少バズったときと比べて、「PV数」と「シェア数」の比率みたいなものが、動画の方が「シェア」の比率が高かったです。

しかも、単なるリツイートじゃなくて、例え一言でも「おもしろい!」といった感想を添えてくれて、引用リツイートしてくださる方が、とても多かった印象があります。

こういった自分の経験も相まって、「あ、文章は自分のため、動画は人のためにアウトプットするのか」ってことを感じました。


ただ一方で、ぼくはライターであると同時にインタビュアーとしての経験も積んでいます。

インタビュアーとして、話が終わったあとに「インタビューを通して、自分の考えを整理できたよ」って言ってもらえることが、ちょこちょこあります。

あれ、人に話すなかでも、考えを整理できることがあるのかって話でもあるし、やっぱり最終的には個人差って話でもあると思うのですが、いま少し書きながら「考えが整理できたよ」っていうフィードバックは、インタビュアーとしてまだ半人前なのかなって気がしてきました。

「話す」ことは「相手」を前提とするなら、やっぱり「思考の整理」というよりは、そこから進んで「思考の発展」にまで踏み込んでいきたい。

佐渡島さんはYouTubeで一人で話していて、同じ「話す」という行為でも、目の前に人がいるかどうかで、また状況が大きく変わってくるのすが、ぼくがいま頭に思い浮かべている「インタビュー」という場面なら、「ぼく」という利き手がいたことによって、新たな何かを作り出せるようにする。


佐渡島さんが、上のnoteで「noteでは自分の好きを分析して詳しく知り、Youtubeで自分の好きをおすそ分けする。」と書いていて、たぶん一人語りする形式であれば、「(すでに)整理された思考や感情を共有する場所」が適切なのかもしれません。

ただ、インタビューの場合、「考えが整理されたよ」って感想は、ぼくが「壁」になれたというか、「壁」にしかなれなかったということの証左として捉えることも可能です。

「壁」になって、話してくれた方の「思考の整理」に役に立てただけもうれしいですが、せっかくなら、ぼくがインタビューとして介在したからこその「思考の発展」というか、そういうところの欲まで見据えて、今後インタビューをやっていきます。

みんながスマホとSNSのアカウントを持って、誰でも気軽に発信できる自体に、わざわざ「インタビュアー」を介在させる価値。


ということで、最後ちょっと壮大な感じになってしまったのですが、とりあえず同じ「言語化する」という行為でも、「書く」と「話す」だと、向いているベクトルが全然違うよねという話でした。

うまく使い分けて、自分の思考の整理して発展させて、そして他の人たちの整理や発展にも、少しでも役に立てるように。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!