インターンや派遣社員のほうが、正社員よりも頑張っていた理由
『ふじもんって、なんでそんなにモチベーション高くやれてるの?』
去年の夏、1年間インターンとしてお世話になったwevnal(ウェブナル)を一旦退職するタイミングで、インタビューしてもらいました。
それで、冒頭の質問はそのインタビューのときに聞いてもらったものなんですが、ぼくがあんまりスパッとした内容を答えられなかったので、記事中でそのやり取りはカットされてます。
当時は『いやぁ、なんて言うんだろ.........ぼくのなかではいまの状態が通常というか、こんな理由だから頑張ってます!っていう認識があんまりないんですよねえ.........』みたいな、そもそも答えになってるのかなってないのか、よく分からない答え方をした記憶があります。
ただ、実はこれまた記事には掲載されてないんですが、その質問のあとに『ふじもんも含めて、いま弊社のなかで(正社員ではない)インターンとか派遣の人で、存在感のある人が多いよねえ。なんでだろ?』というやり取りをしました。
これに対しても『なんででしょう?』という、質問を質問で返す愚行を犯して文句なしにカットされてるんですが、冒頭の質問と合わせて、ここらへんのテーマはぼくが兵庫に帰ってからもときどき考えることがありました。
別にこの話が今日のメインテーマではないので、早速ぼくなりの結論を言うと『自責思考でいられたところが大きかったのかな』と思っています。
別に正社員が悪いとかそういうわけでは全くないんですが、『インターン(アルバイト)や派遣』と『正社員』との違いを強いてあげるとすると『レールの外れ具合』があります。
インターンや派遣、正社員の人たちみんな『なんらかの意思を持ってwevnalを選んだ』という点では同じですが、インターンや派遣の人たちには『(wevnal以外の会社でも)そもそも働かない』という選択肢もあったわけです。
にも関わらず、わざわざ『働きたい!』そして『wevnalで働きたい!』って思ったという意思決定の回数の違いが、もしかしたら『自責思考』につながったところがあるのかなと思っています。
そして、いま書きながら気づいたことを言うと、本当はここらへんの話はサラッと終わらせて本題に入る予定だったんですが、たぶんこのまま前説で1500字超えてワンチャン2000字近くまでいくので、今日はこのまま『自責思考とモチベーション』について書きます。
どうして急にこんな半年以上も前の問いについて書いているのかというと、最近、wevnalの新卒採用に関わらせてもらう機会が出てきたので、社員の人たちに『面接のとき学生のどういうとこを見てるんですか?』という質問をしていました。
(はじめましての方へ:ぼくはインターンでお世話になってたwevnalに社員として入社することにしました)
そのなかで、ぼくが普段からお世話になってる先輩から『その子に自責思考があるかを見てる』と教えてもらったんですが、正直最初は『確かに大事なのは大事だけど、そんなに優先順位が高い理由はなんなんだろ?』と、そこまで自分のなかに落とし込めていませんでした。
それからずっと『自責思考』について考えていたら、冒頭のモチベーションに関する質問とつながる瞬間があって、今日のnoteに至るという流れです。
それで、自責思考のなにがいいかって言うと、『自分のために踏ん張れる』ところです。
今日はもうあえて正社員を悪者の体で話しますが、正社員の人たちのなかには、wevnalに限らず一般論として『自分が働きたいから働いてる』『こんなことをやりたいからこの会社にいる』っていうよりも、『とりあえず周りが就活してたから自分もやった』『本当はこの仕事が大嫌いだけど、お金のためにやってる』という動機が大きい人もいます。(もちろんお金とかプライベートな時間も大事だけど!)
でも例えばぼくでいうと、別にそのまま4年間地元の兵庫の大学に通って、同級生と同じタイミングで就活をして、先週あった卒業式に送り出す側ではなく送り出される側になるという選択肢も多分にあったわけです。
そこであえて1年間休学して、わざわざ東京に行ってインターンするって、もう逆にバチバチやっていく以外の選択肢がありません。
仕事をしていて、なんらかの『やるか』『やらないか』の選択肢に遭遇したとき、『周りが就活してたから自分もして、なんとなくこの会社を選んだ』『自分は乗り気じゃないけど、あの人にお願いされたから』という動機と、『自分で休学してわざわざ東京まで来た』『自分で決めたから』という動機だと、明らかに『やる』『やらない』の比率と『やる』を選んだときのエンジンのかかり方が違います。
そういう理由で、その先輩は『自責思考』を大事にしてるのかな、そしてぼくが自責思考でインターンをやれていたことが、結果的に『モチベーションの高い』状態に映っていたのかなというのが、現時点での見解です。
もう2000字を超えちゃったんですが、まだもうちょっと続きます。
というのも、これからはぼくも今日さんざん叩いてきた『社員』という肩書になるわけです。
(正式には来年の4月にだけど!)
だから、社員としての自責思考を持たねばなりません。
そしてこれに関していうと、ぼくがwevnalに社員として入社しようと思ったときに『自責思考』という言葉自体は頭のなかに浮かんでなかったんですが、そのスタンスはまさに自責思考だねと、また別の先輩から言われて、ああ確かにそうかもしれないと思った話をします。
1ヶ月くらい前に、会社のほうのブログでぼくがwevnalに入ろうと思った経緯を書きました。
ぼくはこのブログ中では『wevnalの人たちから求めてもらったうれしさ』を軸に書いてたんですが、その別の先輩には『でも最後の最後は、これでもしwevnalに入ってダメだったら、もうそれは自分がそれまでの人間だったということ、という自責思考になってたところが良かった』と言われました。
なのでいま振り返れば『あぁ、ぼくの腹を最後に括らせたのは、自責思考だったのかも』と思うこともあります。
・・・
ただ、これだけ自責思考の大事さについて書いたからこそ、最後にあえて言いたいのは、『他責思考の重要性』です。
要は使い分けみたいな話なんですが、自責思考にも諸刃の剣的なところがあって、確かにアクセルをガンガン踏んでいくためのガソリンになりうるし、あえて自分で背負い込むことによって楽になることもあります。
ただ、逆にスピードを出しすぎて事故を起こしてしまったり、背負い込むすぎてキャパオーバーしてしまう危険性なども兼ね備えています。
そんなときには、事故を起こしてしまったりぶっ倒れてしまうくらいなら、多少低速でも走り続ける、なんならちょっと休憩してまた歩き出せることのほうがよっぽど価値があるので、いざというときには思いっきり運とか(心の中でだけ)他人とかに押し付けて、身軽になってしまいましょう。
そういえば、ぼくが2年前に人生で初めて書いたブログも、そんなことを書いてました。
変えるつもりはないですけど、いま見ると奇をてらおうとしすぎて全く意味不明なタイトルだなと思います。