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アニメのEDで、ヒロインが主人公に思いを馳せがちな理由

『「ついやってしまう」体験のつくりかた 人を動かす「直感・驚き・物語」のしくみ』を読んだ感想、最終回です!

第1回:「スーパーマリオ」のスタート画面が、ぼくたちに伝えようとしていること
第2回:ポケモンで四天王を倒したあと、主人公が実家に帰っている理由



アニメのED(エンディング)って、夕方とか夜とかの時間帯を描くことが多いですよね。

それであくまでも印象ですが、ヒロインが窓の外を眺めたり写真を見たりしながら、主人公の男の子に思いを馳せるみたいなシーンが多いです。

つまりどちらからかと言えば、視聴者の気持ちが『ウォー!』と高まるというよりかは、しんみりする感じです。

アニメに限らず、エンタメって基本的には受け手を楽しませてなんぼだと思うので、どうしてわざわざもの寂しい雰囲気の曲と描写にしているんだろうと思っていました。


するとこれに関して、この本の著者であり、任天堂で企画職を担当していた玉樹さんは、こんな目的があるんだよと書いていました。

たとえば、ひと昔前のアニメのエンディング。
ほっとするテーマ曲に乗せて、夕陽の土手を歩いて帰るようなおだやかなエンディングが描かれることが多いのは、なぜでしょう?

こたえは「この体験は終わりですよ」と伝えようとしているから。
熱中してアニメを見ている子どもたちは、そもそもアニメを見るという体験を続けたいと願うもの。
そんな子どもたちが気分よく見終えられるように、体験の終わりをデザインしています。


OP(オープニング)のすごい盛り上がる曲のところは気持ちを高めて、物語では白熱するバトルなり駆け引きなりが繰り広げられて、しかも来週も絶対に見たくなるようなめっちゃ良いところで『To Be Continued』の文字が出て、もう視聴者の気持ちは最高潮に昂ぶっています。

ここでエンディングも盛り上がる雰囲気の曲にすることもできますが、実際にはアニメは終わってしまいます。

そうすると、視聴者は昂ぶった気持ちのやり場に困ったまま、アニメを見終えなければなりません。

それよりは、EDで落ち着けるような曲を流して『今週のお話はここまでだよ』ということを示唆してくれるほうが、視聴者にとっても『今週も楽しかったな』と気持ちよく見終えることができます。


いまの時代、『コミュニティ』や『ストーリー』といった文脈で、『熱狂してもらう』ことに称賛の言葉が並べられることが多いです。

たとえ人数が少なくても、濃度が高いコミュニティを作ったほうが良いといった話は、よく聞きます。

大前提として、もちろん熱量の高い集団なり組織なりはそうなっているときはものすごい爆発力があってすごいのですが、大半の人間は、必ずどこかで『飽き』なり『燃え尽き症候群』なりがやってきます。

であれば、めっちゃ高い熱量を維持し続けようとするよりも、ときにはクールダウンして、平均的にまあまあ高い熱量を持続させるほうが、より長く熱量の高い空間を作れるとも言えます。


特にいまはスマホの登場によって、とにかく1個のなにかにずっと集中することは難しくなりました。

そこでたとえばソシャゲでガチャを通して射幸心を煽り、ずっと自分のアプリで遊んでもらおうと設計すると、どこかでユーザーが破綻してしまう可能性が高いです。

であれば、一旦は『終わりのデザイン』を施して、気持ちよく体験を終えてもらい、しばらくしてまた遊びたくなったら戻ってきてもらうほうが、ユーザーとコンテンツの健全な関係を築きやすいです。


ということで、数で可視化しにくい『熱量』という質が重要視される時代だからこそ、その熱量を持続的にするために、ときにはあえてその熱量を冷ますことも大事なんじゃないか、という話でした!



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