「応援する」ことにも、権利がいる
昨日、『自分ができないからって「支える側」に回るのは、安直すぎる』っていうnoteを書きました。
内容をひとことで言うと、「支える側にも力がいるぞ」ってことです。
「じぶんには才能がないから、せめて才能があるひとを手助けしたい」なんて思考は、あえて強い言葉を使うなら「逃げ」で、才能あるひとと対峙する気概でいないと、本当の意味で支えることはできないのです。
『「強さ」と「優しさ」は、表裏一体です。』なんて言葉で、昨日のnoteを締めたりもしました。
今日は、それの続きみたいな感じです。
昨日の内容は、ぼく自身がいちばんブーメランをくらっていて、ぼく自身が「じぶんは才能あるひとを支えたい!」思想だったので、最近考えを改めた次第です。
そして、そこの考え方が変わると、副産物としてもうひとつじぶんのなかでのモヤモヤが晴れました。
それは、「ブロガーとライターを両方する」ことについての、じぶんのなかでの整理です。
参考:ブロガーとライターは違う
ぼくは、「才能あるひとを支えたい(=便宜上ライター)」と思っていながらも、どこか「じぶん自身のことも発信したい(=便宜上ブロガー)」と思っていました。
でも、純粋に前者のことを思っているなら、別にじぶんが前に出る必要はないのではないか、自分の考えを発信するのは、やはりどこか、「じぶんも一緒に目立ちたい」というエゴがあるのではないか、そんなことを考えていました。
ところが、「支える側にも力がいるんだ」という、改めて考えれば至極当たり前の事実を認識したとき、このモヤモヤが晴れました。
つまり、まずはぼく自身がじぶんのことについて発信して、ぼく自身の信用力や実力をつけないと、本当に応援したいひとのことを応援しきれないなと気づいたのです。
たとえば、いま日本でいちばん勢いのある編集者といっても過言ではない箕輪さんも、学生時代はめちゃくちゃミクシーでバズるブログを書いていたそうです。
インフルエンサー養成所のようなものを最近立ち上げた、ジョーブログさんも、ジョーブログさん自身がものすごいフォロワーやYouTubeの登録者を抱えています。
だからぼくも、才能あるひとを本当に発信していていきたいなら、まずはぼく自身の実績や実力、信用がないと、話が始まらないのです。
でも逆に、これでもう後ろめたい気持ちなくブログを書けるので、うれしいです。
あとはやるだけだ!!!!!!!!!!!!!!!
★編集者の佐渡島さんだって、めちゃくちゃ文章がうまい
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!