見出し画像

「失敗」を責めて緊張感をもたらすことは、「成功」につながるのか?

タレントの石田純一さんが、新型コロナウイルスに感染しました。

それに関して、パートナーの東尾理子さんが謝罪したようです。


感染してしまったこと(とあとそれまでの経緯についても)に関して「謝る」という行為をとったことについて、一見「新型コロナウイルスに罹ってしまうことは悪いことだ」という空気感を醸成することによる効果がありそうな感じがします。

ただ、これは絶対に逆効果で、Twitter上でも少なくない人が指摘していたように、「コロナに罹ること=悪いこと」という空気感を醸成することは、短期的には合理的なように見えて、中長期的には絶対に愚策なんですよね。

なぜならば、そういう空気感が醸成されてしまったのち、感染の疑いがある人がとる行動は「隠蔽」だから。

そうすると、本当は人に会っちゃいけないのに(罹ってなくてもいまは会ったらダメだけど)会ってしまったり、社会全体として正確な状況が把握できなくて、正しい手を打てなくなってしまったりして、結果的により悪い状況になってしまいます。

だから、短期的(というか一人称で見たときに)、あんまり言いたくないことを言いやすい環境をつくるのは、とても大事なことです。


そしてこれは社会全体に限らず、ひとつの組織のなかでも大事なことだなと思っていて。

これから(少なくともしばらくは)リモート中心でのコミュニケーションになる状況では、特に。

リモートワークになると、「プロセス」の可視化に対するコストが上がります。

言い換えると、「結果」中心のコミュニケーションになります。


そうなったときに、「ミスを責める」ような空気感を作ってしまうとどうなるか。

短期的に見れば、在宅勤務でお互いの顔が直接は見えないけど、緊張感を持った環境でやれている、というふうに感じるかもしれません。

でも中長期的に見ると、人間の動機的に「ミスを隠す」ようになるケースが出てきてしまうはずです。


いまの状況でそういった行動がとられやすいのは、「リモートワークによって、仕事の過程が見えにくくなった」から。

これがたとえば、オフィスでみんなで集まって仕事をしていれば、直接その案件に関わっていなくても、自然と耳からその案件に関する状況が入ってきたり、場合によっては、一言二言「いまはどんな感じ?」とそのプロセスを逐次把握することができます。

ただ、リモートワークになると、そこの過程がそぎ落とされやすくなります。

(話を簡潔にするために、業務中ビデオつなぎっぱみたいなのは、きょうは一旦省略します)


だから、最初は「あとで取り返せばいいや」とちょっと盛ってしまったり、失敗してしまったことを「成功しました」とつい答えてしまったりするような動機が、生まれてしまうのです。

過程が見えにくくなって、結果でしか判断されない状況だからこそ(それ自体は別に良いと思うのですが)、失敗を責めるのではなく、失敗を認めて次に生かそうという空気感作りが大事だなーという話でした。

それが中長期的な目線で見たときの、成功につながります。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!