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「あいさつ」って大事

タイトルだけ見るとなんかすごくバカっぽい感じがあるのですが、「あいさつ」って本当に大事だなあと、最近改めて感じています。

もうちょっと厳密に言うと「機嫌良く」いることですね。


きょう、下の記事を読みました。


この記事のなかで、イベントの登壇者の1人である澤さんが、「機嫌良く挨拶すること」の重要性を述べていました。

以下、該当箇所を引用します。

:社会人1年目の心得として、仕事ができる人は、「機嫌よく挨拶」と「視る」ことができると言われています。「機嫌よく挨拶」すると、まずネガティブな反応が返ってくることはないですし、可愛がられる。可愛がられると情報が入ってきやすくなって、早く成長するんです。超コスパがいいんですよね。


ぼくも、元からわりと「元気に挨拶しよう!」と心がけてはいたのですが、理由は「なんとなくそっちの方が良さそうだから」程度でした。

でも、今回の澤さんのコメントを読んで、「あっ、自分のやってきたことは、間違いではなかったのだな」と少し自信が持てたので、今後はより意識的に機嫌良く挨拶をやっていこうと思います。


あと、今回のこのnoteを書くにあたって、そう言えば、キングコングの西野さんも同じようなことを言っていたことを思い出しました。

西野さんの場合は、記事のテーマそのものが「挨拶」です。


以下、こちらも該当箇所を引用します。

挨拶って結局のところ、「あなたのことを受け入れますよ」って合図じゃないですか。

それを積極的にやっている老舗のお菓子屋さんとか、舞妓さんとかは、どんどん話しかけられるので周囲の情報が次々にどんどん入ってきます。

そうすると、思考の選択肢の幅が広くなって、新しいチャレンジができるんです。


澤さんと西野さん、両者の話の引用から明確になったと思いますが、「機嫌良く挨拶」すると、どうなるかと言うと「情報が入ってきやすく」なるんです。

これ、とてつもなく大事なことだと思います。


ここは組織としての「べき論」としては、「機嫌が良い人と悪い人、どちらにも必要な情報は共有されるべきだ」です。

でも、べき論だけでは回らないのが世の現実だし、「これがないと組織や会社が回らなくなる!」って情報は、みんなに共有されるかもしれませんが、「別になくても業務に支障をきたすことはないけど、あった方が施策の精度がより高まったり、新たなアイデアの種になったりする」みたいな情報は、腐るほど眠っています。

そういった情報をすべて自分から取りに行っていると、とても労力がかかってしまうし、「自分の欲しい情報をゲットできそうな場所へ取りに行く」という、情報の偏りも生まれてしまう。


であるならば、「機嫌良く挨拶」をして、「ぼくはあなたの味方です」という姿勢を相手に伝えて、半自動的に情報が入ってくる仕組みを作った方が、結果的に、たくさんの情報を得ることができます。


たぶん一定数以上の方には思い浮かべてもらえると思うのですが、自分にふとAという情報が入って、その情報がBさんに関係はありそうだけど、絶対に役に立つとは言い切れないみたいな状況って、多々あるじゃないですか。

そのときに、Bさんに対してそのAという情報を共有するかどうかにあたって、Bさんが普段から「機嫌の良い人かどうか」って、めっちゃ大事だと思うんですよね。

もし「機嫌が悪くなることもある」人だったら、「もし無駄な情報だと思われたらどうしよう...」と不安になってしまって、「別に絶対に伝えなきゃいけない情報ではないから、ここで不必要なリスクをとるくらいであれば、共有しなくてもいいや」と思ってしまう人、たくさんいるはず。


ちょっとカッコよく言うと「コミュニケーションの心理的コストが低いこと」って、目には見えづらいし、すぐに仕事の成果に結びつくものではないですけど、中長的に見たときに、すごく自分を助けてくれる能力だと思うのです。


(とは言え、人を束ねる役割になれば、それはそれで「威厳」みたいなものが必要になるときもあるのですが、そこの両立のさせ方は、ぼくもいま考え中です。とりあえず、ぼくはいままだ社会人1年目のぺーぺーなので、思いっきり「常に機嫌の良い人」であることに、全振りするように意識しています。どこまで社内外の人たちに伝わっているか、最後は他者評価ですが。。。)


コロナの影響で増えたリモートワークがもたらしたのは、「テキストコミュニケーションの増加」と「何気ない雑談の減少」でした。

一旦落ち着いて、東京はいままた感染者が増えて、今後どうなるかは分からないですけど、仮に今後リモートワークが定着していけばいくほど、「機嫌良くいて、情報が入ってきやすいこと」の価値は、上がっていくはずです。

「横にいる人に口頭で話かけること」と「チャットでわざわざ(目先の仕事に直接は関係のない)文章を打つこと」って、心理的コストが大きく違います。(後者の方が大きいはず)


特にぼくみたいな社会人1年目は、もうとにかく訳のわからないことだらけなので、多少は玉石混淆な感じでも、「情報」は大事です。

知らないことだらけなので、「石」のものは、比較的少ないはず。

仮に「石」の情報であっても、「こういうのは石の情報なんだ」という「見極める目」を養う意味でも、とにかくやっぱり「情報が入ってきやすい」環境を作ることは重要です。


ということで、「機嫌よく挨拶すること」って、回り回って、とっても自分を助けてくれる、かもしれないというお話でした。

みなさん、今日も1日おつかれさまでした。おやすみなさい!



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