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「物欲がない」と「なにを選べばいいかわからない」は別
ずっと自分は物欲のない人間だと思ってたけど、もしかしたら違うかもしれないと思い始めた。
2週間前くらいに『もっとオシャレになりてぇ!!!カッコよくなりてぇ!!!』というnoteを書いた。
それ以来、まだ摂取する情報量をそれほど増やせているわけではないのだけど、せめてもの抵抗といった感じで、周りの人が着ている服やインスタで芸能人やモデルが紹介している服を、多少は興味をもって見るようになった。
それでいままでは、正直に言って女の人がよく言う『このリップの色かわいい〜!』に対し『いや、どの色も一緒やん!』という感想しか抱けてなかったのだけど、最近になってようやく『あっ、本当に見分けがついたうえで言ってるんだ。。。』という当たり前の事実に気づいた。
その事実に気づいてからというもの、それまでのぼくは『自分には物欲がない=服をできるだけ持ちたくない=ファッションに興味がない』という強引な等式を作っていたのだけど、実は単純に『ファッションのことを知らない=なにを買えばいいのか分からない』だけなのかもしれないと思うようになった。
なぜなら、ぼくは本はそこそこ買うからだ。
一応Kindle版優先ということで、物理的な本に対する抵抗はあるのだけど、別にお金の消費欲がないわけではない。
買うということは、そこに『この本は面白いだろう』という自分なりの何らかの確信があるわけで、その根拠は過去の経験の蓄積にほかならない。
逆の『この本は買わない』という判断も然りだ。
だから、これまでぼくが服にお金を費やしてこなかったのは、ぼくに物欲がないからではなく、どんな服を買えばいいのかわからなかったからではないだろうか、というのがいまさっき思いついた仮説。
だからこの先、もうっちょっとぼくの目が肥えてきて、『この服がカッコいい!』とか『この靴の色いいな!』みたいなことが分かるようになったら、自然とそこに物欲なるものが湧いてくるのかもしれない。
・・・
今日のこの話は、けっこう大事なことを言っているなと思っていて、人間はよく『知らない』ことと他の感情を不用意に結びつけてしまいがちだ。
今回のぼくの場合だと『知らない』という事実が『興味ない』という感情に置き換えられていたし、よくあるのは『知らない』が『危険だ』に変換されているパターン。
人間の生存本能として、『知らない』ものを『危険なもの』と一旦断定して警戒することは大事だけど、現代の生活環境にはなじまないことも多い。
なにか自分が負の感情を持ってしまっていたとき、単純に『それを知らないだけかも』と疑う習慣をもっていれば、そこからいろんな世界が広がっていくこともある。
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