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再生 3話

事件発覚から三日が過ぎていた。
この三日間、藤井草介は一睡もできなかった。実際に事件が事件発覚の二日前からほとんど眠りにつけていない。
なんとか眠らなくてはいけないという強迫観念から夜中に布団に潜り目を閉じると、不意に手に身に覚えのある感覚が蘇った。
最初は柔らかく沈んでいき、途中まで進むと奥になにか抵抗があり押し返してくる。
なにかが抵抗している。そしてその抵抗に逆らうようにさらに強く押し返さなくてはいけないという意志が、今は恐怖となって現れた。
ハッとして目を開けて、ガタガタと震え出した。冷や汗を大量にかきながら布団の中で丸まって寒さに震えていた。

この感覚の正体をはっきりと知っている。あれは五日前に、数ヶ月前から用意していた包丁で今騒ぎになっているあのアパートの一室で起きた殺人事件の時の記憶だった。
この手で男を刺し殺した時の感覚だった。
肉を突き破り、固くなった筋の抵抗を押し返して、内臓に達しただろう刃の感覚。
同時にあの時の情景が瞼の裏に浮かんできて、恐ろしさが極まり急激に吐き気を催してトイレに駆け込んだ。この数日は食事もままならない状態だったから吐瀉物は唾液の混じった水でしかなかった。
吐くだけ吐いて疲れ切った草介は、うずくまって便器に頬をつけたまま久しぶりに少し眠った。

***

あの日、草介は前々から思っていた計画を実行に移した。

“国枝良子の父親を殺害する”

特段、草介は良子に思い入れがあるわけでも良子の父親と面識があるわけでもなかった。そしてその事実こそが、自らの正義と凶行への勇気を満たすことができた。
決行の前夜、草介は殺害を企てるまでの経緯や自身の主張、自分が死んだ後の願いなどを遺書に書いて残した。
捕まって刑務所に送られたら、どうにかして自殺しようと心に決めていた。希望のない刑務所で何十年も過ごすのは耐えられる気がしなかった。
真剣に考えて捕まらないように必死に策を講じようと思ってこれまでずっと考え続けてきた。けれど捕まらない自信は持てなかった。
捕まった時に読んでもらえるように、遺書を書いて机の中にしまっておいた。

***

遺書

僕がなぜ国枝敏弘を殺害したのか、皆さん疑問だと思います。
そのことについて書くこととします。
僕に、国枝敏弘との関わりはありません。従って直接的な恨みは一切ありません。
しかし僕は常々思うのです。
この世には周囲に害悪を撒き散らすだけで何一つ生産性のない人間が存在すると。
国枝敏弘は、その一人でした。
国枝敏弘の娘の国枝良子が僕の通う高校の同じクラスにいることもあり、国枝敏弘の素行の悪さは耳に入っておりました。窃盗、強姦、暴行、薬物、噂も含めれば悪行の数々は数え切れないほどです。
国枝良子の様子を見ても、国枝敏弘の素行の悪さを想像するのは容易いことでした。
国枝良子の体にはいつも多くの痣があり、栄養失調を思わせるほどの痩せた体に見えました。
これは全て、父子家庭で二人暮らしをしている
父親の国枝敏弘に責任があるものと思いました。

害虫を一匹駆除することに大した価値はないでしょう。
ただ、もしも僕が自分の人生となんら無関係な害虫駆除をすることにこの身を賭して行った事実が誰かの心に響くとしたら、僕がしたことにも価値が生まれると思うのです。

もし人がみんな自分たちのことだけではなく、遠く離れたところに住む誰かのことを思いやることができたなら、世界は今より良くなると思うのです。
自分と関わることのない人を助ける気持ちを持つ人が増えたら、世界はきっと変わると思うのです。
そのきっかけとして僕が選んだ害虫駆除が、今後必要のない世界になることを願います。

僕は隣人ではなく遠くの他人のためにでも、自らの正義のために命を賭すことを証明しました。ボリビアで命を落としたゲバラのように、他者を救うために信念を貫きました。
僕の正義感を意味のあるものにしてくれ、価値を与えて世の中を変えることができるのはこの遺書を目にしたあなたです。
どうか僕の正義が無駄にならないことを草葉の陰から願います。

最後に。
愛するお母さん。尊敬するお父さん。
先立つ不孝をお許しください。こんな形で、最後にとんでもない迷惑をかける親不孝者の不肖の息子を許してください。
これから先、たくさんの迷惑を家族にかけ続けてしまうことには心が痛いです。僕は何度も何度も、こんなことはやるべきじゃないと自分に言い聞かせてきました。
けれど、どうしても僕は自分の正義を止められなかった。
お父さんは教えてくれましたよね。正しいことをするために、自分が傷つくことを恐れてはいけないと。
お母さんは言ってくれましたよね。傷ついてる人がいたら、守ってあげられるようになってねと。
間違いばかり犯してきた親不孝者の息子ですが、最後だけは間違ってなかったって認めて欲しい。
ごめん。許してください。今まで本当にありがとうございました。愛しています。

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