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地球と人類の行く末を案じて、ヴィーガニズムについて考える


ヴィーガニズムとは何か

ヴィーガン。
近頃はこの言葉もネット界隈ではよく目につき、認知度もかなり高まってきたんじゃないかと思う。
さて、そのヴィーガンだがまだまだ日本での普及率は非常に少なく(約2%)、ネットで目にするのみで実際に身近にはいないという人がほとんどじゃないだろうか。
ヴィーガンの目的とは、主張とは、その実態はいったいどんなものかを、今日は僕なりに解説したいと思う。

ヴィーガンというのは日本語では完全菜食主義者と訳され、肉や魚、卵や乳製品といった動物性食品の摂取を徹底して避けるライフスタイルを送る人を指す。
菜食主義の歴史は古く、紀元前に栄えた古代インドや古代ギリシャの時代まで遡ることができる。それら菜食主義者の人々の総称として、ベジタリアンという英語が19世紀から使われるようになった。
その後、菜食主義者の中でも特に厳格な完全菜食主義を貫く人たちの名称として、1944年にイギリスで設立されたヴィーガン協会によって、解釈や定義が曖昧なままであったものを「人間は動物を搾取することなく生きるべきだという主義」と定義づけ、そのために完全菜食主義を実践する人々のことをヴィーガン、その思想をヴィーガニズムとしたことが、ヴィーガンの始まりである。

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ヴィーガンになるそれぞれの理由と背景

ヴィーガンは、厳密にはエシカルヴィーガンとダイエタリーヴィーガンの2つに分けられる。
前者は動物愛護や環境保全のためという思想や倫理上の理由で実践している人で、後者は健康上の理由のために植物性の食事をしている人たちのことを指す。
おそらく多くの人が想像しているヴィーガンというのは前者のエシカルヴィーガンで、ヴィーガンではない人たちとしばしば対立関係にあるのも前者の人たちだ。なのでここでは、思想的な理由で完全菜食主義を貫くエシカルヴィーガンの人たちについて解説していきたいと思う。

完全菜食主義と訳されるヴィーガニズムであるが、作家マーク・ホーソーンはヴィーガニズムについて、「菜食主義」ではなく「脱搾取」としている。
たしかに言われてみれば菜食をしているのは脱動物搾取のための代替案であって、好んで植物性食品を食べたいがためにしているわけではないので、菜食主義というと間接的な表現にも聞こえる。ヴィーガニズムの実態を的確に捉える表現としては、「脱動物搾取主義」とでも呼ぶほうが相応しいのかもしれない。
そうなるとダイエタリーヴィーガンや宗教的ヴィーガンに関しては、食生活が一致しているだけであってヴィーガンではあるがヴィーガニズムとも言えない、といったところだろうか。なのでここでは割愛させていただく。

ではヴィーガニズムを脱動物搾取主義と定義してみたが、次にその目的と主張について説明してみたい。
ヴィーガニズムを実践する主な理由として挙げられるのは、「動物愛護」と「環境保全」である。まずは動物愛護について説明してみたいと思う。

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アニマルウェルフェアについて

動物愛護と一概に言っても、その詳細な理由はさまざまである。
広く知られるところではアニマルウェルフェアがある。これは日本語では動物福祉とされ、しばしば混同されるが厳密には動物愛護と動物福祉は一緒にはできない。動物愛護精神の一つに動物福祉の取り組みがある、といった感じか。
使い分けが面倒になるので、ここでは動物福祉についてはアニマルウェルフェアで統一したい。

アニマルウェルフェアとは、人間が動物に対して与える痛みやストレスといった苦痛を最小限に抑えるなどの配慮により、動物の待遇を改善しようとする考えのことをいう。
1964年にイギリスで発刊されたルース・ハリソン著『アニマルマシーン』の中で工業型畜産への批判と警鐘を鳴らされるとアニマルウェルフェアへの関心が高まり、翌年の1965年には『5つの自由』というアニマルウェルフェアの国際基準が定められた。

空腹と渇きからの自由
不快からの自由
痛みや傷、病気からの自由
正常な行動を発現する自由
恐怖や苦悩からの自由

イギリス政府アニマルウェルフェア『5つの自由』

ペットや実験動物、畜産動物も含む人間が管理する全ての動物はこれら5つの自由が守られるべき、という主張だ。

アニマルウェルフェアの支持者の中にはヴィーガンではない人も大勢いるし、元々アニマルウェルフェアは工業型畜産などによる家畜の残酷な扱われ方に対する批判と待遇改善から生まれているので、畜産業そのものの否定や廃止を支持しているわけではない。「動物は生まれてから死ぬまでその動物本来の行動をとることができ、幸せでなければならない」として、家畜の飼育環境を見直そうとの呼びかけで広まった。
最期は家畜動物を食べることになるとしても、その生涯からできるだけ苦痛と不自由を取り除き、ただ食べられるためだけに生かされるのではなくその動物本来の姿で生活を営めるようにしようというわけだ。動物全体というよりも、個体の苦痛や幸福に関する配慮に焦点を当てている。なので、痛みや恐怖、欲求不満による幸福の低下を問題視するので、植物と違って知的で感情豊かな動物に対して優先的に守るべき配慮でもある。
また、日本にもアニマルウェルフェア畜産協会という協会があったりと、家畜の飼育環境改善が中心であり、ヴィーガンとの親和性はそこまで高くない印象もある。
ただ、今まで特になにも気にせず食肉をしている人たちに訴えるキッカケとしては、現在畜産動物が置かれている現状を伝えることに大きな意味がある点は、ヴィーガニズムとも同じなので書いていきたいと思う。

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採卵鶏が置かれている飼育環境

現在日本で家畜として飼育されている鶏には、主に卵を採るために育てられるレイヤー(採卵鶏)と、食肉のために育てられているブロイラー(肉用鶏)とがいる。

生まれてきたレイヤーのひよこは4〜5ヶ月で成鶏になって卵を産み始める。その後、1年〜1年半ほど卵を産み続け、徐々に産卵回数が減ると生後約2年で屠殺されて加工肉になる。

レイヤーの代表種 白色レグホン

卵は栄養価が高く、様々な料理に利用され、さらに安価で手に入るので一般家庭で広く親しまれている国民の代表食材の一つだ。目玉焼き、卵焼き、オムライス、卵かけご飯と、卵を使った料理を挙げればキリがないくらい日本全国で広く愛され、親しまれてきた。
IEC(国際鶏卵委員会)が公表したデータによると、2021年の日本人1人あたりの年間鶏卵消費量は337個で、これはメキシコに次ぐ世界2位の消費量だ。日本人はとにかく卵が大好きなのだ。

卵といえば物価の優等生と呼ばれ、一年を通して常に安価でスーパーに並ぶ。その全てが国産の卵だ。
考えてみて欲しい。日本の食料自給率は先進国の中でも最低水準の38%しかなく、食品の大半を輸入に頼るしかない現状は、我が国の抱える大きな課題として頻繁に政府の議題に上がる。
その余波を受けて国産の食品は同じ種類の外国産よりも値段が高いのは周知の話だ。それなのに、多くの外国産食品と比較してもとりわけ安価で販売されている国産卵の安さの秘密には、いったいどんなカラクリがあるのだろうか。

アニマルウェルフェアで特に問題視されているのがレイヤーの飼育環境だ。
人口密度が高くて平地面積の狭い日本では、広い生産環境を確保するにはどうしてもコストがかかる。それが国産食品の原価の高さ、ひいては日本の食料自給率の低さに繋がっている。それを補って鶏卵を安価で流通するために、日本の養鶏場では採卵鶏の過密飼育、バタリーケージと呼ばれる飼育装置が採用されている。
バタリーケージは工業型畜産を代表する家畜飼育システムで、積み重ねられた狭い金網の中で鶏は身動きも取れないまま過ごす。巣作り、止まり木での睡眠、採餌・探査行動、砂浴びといった、動物行動学に基づく鶏本来の行動の一切は制限され、生まれてから死ぬまでに一度も日光を浴びることさえ叶わず生涯を終えることになる。
このようなバタリーケージによる飼育環境はアニマルウェルフェアの精神に強く反するとして世界的に禁止され始めている。既にEU諸国やニュージーランド、インドなどでは禁止されており、アメリカの州やカナダ、オーストラリアでも規制されてきている。
しかし日本では、いまだに市場に流通している鶏卵の9割以上が、バタリーケージによって飼育された採卵鶏によるものだ。

2010年代、日本のバタリーケージ
※アニマルライツセンターより引用

採卵鶏は文字通り、卵を採るために育てられる品種で、飼育されるほぼ全てがメスである。卵を産まない採卵鶏のオスは食肉にも適さず、生後わずか1日で殺処分されている。世界では年間65億ものオスが生後間も無く殺処分されているのが現状だ。
シュレッダーで粉砕されたり、ゴミ箱に次々と放り込まれて圧死や窒息死といった処分が一般的である。これがコストを抑えることばかりを考えてきた我々人類が、今現在も行なっているひよこの殺処分方法だ。

生まれてきたメスはというと、鶏本来の採餌行動である地面をつつくことができない狭い金網に入れられると極度のストレスと欲求不満から仲間をつつくようになるので、お互いが怪我をしないためにまずデビークと呼ばれるクチバシの切断を行われる。金網に入れることによって生じるストレス行動を取らせないために、ストレスをなくすのではなく行動を封じる暴挙である。こうして成鶏となったメスの採卵鶏は、閉ざされたバタリーケージで死ぬまで卵を産むだけの機械として扱われる。
上から糞が落ちてくるような過密で狭い金網の中で、サルモネラ菌や鳥インフルエンザは感染拡大し、脚は裂傷や骨折を起こし、悲鳴は誰にも届かない日々を彼女たちは今日も過ごしている。

採卵鶏は一年のうち約280個ほど、多いと300個以上の卵を産む。スーパーに並ぶ鶏卵が無精卵であることは広く知られていると思う。あれは排卵された卵子が、卵管内で卵殻等を形成して放卵されたもので、いわば女性の生理にあたる。
……毎日が生理とかいう地獄。いや、男だからあんまりわかんないけどさ。

考えてみて欲しい。原種である赤色野鶏や他の鳥類は、大量の栄養とエネルギーを割いてまで毎日のように固い殻に覆われた卵を産んだりはしない。多くても年間で10個〜数10個だ。野生動物は本来、そんな不自然で不都合な生態をしているわけないんだよね。
それが極端な品種改良によって、採卵鶏の白色レグホンはほとんど毎日のように産卵しなければならない身体になっている。殻を形成するための多大な負荷によって、ほとんどの採卵鶏は栄養状態が悪く骨粗鬆症になっているというデータもある。

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肉用鶏ブロイラーの場合

ブロイラーは日本の肉用鶏のほとんどを占める。
最大の生産国はブラジルで、世界の生産量の5割を占める。その最大の輸出国は日本だ。
商業目的で肉をより早く大量に取れるように、短期間で急速に成長するように作られた品種だ。特に近年、研究と技術の進歩により1日25gだった成長率が50年で100gまで上がり、通常成鶏になるのに4〜5ヶ月かかるものがブロイラーではわずか40日〜50日で成鶏の大きさになるようになった。
この急激な成長によりブロイラー全体の30%までもが歩行困難に陥り、うち3%は歩行不能となる。また心肺への負荷も大きく、腹水炎や心不全を引き起こすことも多い。死亡率はレイヤーの7倍とも言われ、屠殺時期の生後1ヶ月半を過ぎて屠殺を免れたとしても、心臓が耐えられず2週間も経たずに死んでしまうらしい。

肉用鶏のブロイラー
過去50年で急激に伸びた成長率
※アニマルライツセンターより引用

過密飼育による様々な健康上の弊害を防ぐために、出荷される生後1ヶ月半までの間に数十回のワクチンと抗生物質が投与される。それにより耐性が生まれ、厚生労働省の調査では半数以上の鶏肉から抗生物質耐性菌が検出されている。それらが人体にどれだけの悪影響を与えるかは今後明らかになっていくのだろう。

鶏は天寿を全うすれば10年は生きるとされる。それが採卵鶏であれば約2年、ブロイラーであれば1ヶ月半、オスの採卵鶏であれば寿命は1日しかない。
……異常だろこんなの。これが当たり前の世界に違和感しかない。鶏たちが置かれている現状を知ってしまったら、もう僕はそこまでして食べたいとは全く思えなくなった。

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豚肉が食卓に並ぶまでに

豚は畜産動物の中でもとりわけ頭が良くて綺麗好きな動物だ。知能指数は犬よりも高く、人間の3歳児並みとされる。天敵に見つかることを避ける野生の名残りで、身体に臭いがあることを嫌がり、トイレは決まった場所でするなど清潔な動物でもある。豚小屋といえば狭くて汚い場所の比喩として使われる言葉だが、豚は本来、とても綺麗好きな動物なのだ。

さて、その豚であるが生まれてくるとすぐに去勢と、尾と歯の切断を無麻酔で行われる。去勢は肉にオスの臭いが出ないため、尾と歯は過密飼育の中でお互いを傷つけ合わないためとされる。それらが全て無麻酔で行われるのは、麻酔にかけるコストさえも削減したいからだ。
狭い養豚場に閉じ込められた豚たちは、穴掘りや泥浴びといった本来の習性や行動を一切できない暗い畜舎で半年を過ごしたのち、屠殺されて食肉として市場に出回る。
本来の寿命が約15年であることを鑑みると、わずか半年の命というのはあまりにも短い。

日本の養豚場

豚の飼育方法で最も非難の声が大きいのは、おそらく妊娠ストールだ。
これは母豚が妊娠期間中の約114日間入れられる個別の檻である。この妊娠ストールを、日本では9割以上の養豚場で採用している。
糞尿の処理、スペースの削減、個体管理といった理由から使用され、自分の身体とほぼ同じ大きさのこの檻にいる期間は、全く身動きが取れず後ろを振り返ることさえもできない。

妊娠ストール

出産を終えると分娩ストールで授乳が始まり、子豚が育てばまたすぐに種付けが行われて、妊娠が確認されればまた妊娠ストールの中に入る。この残酷な動物虐待行為をほぼ全ての養豚場で採用しているというのだから、人間の強欲は恐ろしい。もちろん、これは畜産業者だけの問題ではなく、我々消費者一人一人の責任が問われる問題であることを自覚しなければいけないと思う。

これらも既に各国で規制や禁止の動きは始まっており、 EUを筆頭にアメリカ、カナダ、オーストラリアなどで進められている。海外の動向にいつも遅れをとる日本が、動物愛護後進国と呼ばれてしまうのも無理はない。世界的な規制の流れを受けて日本ハムは2030年までに全農場の妊娠ストール廃止を掲げたが、どうなるだろう。期待したい。

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牛たちの一生

書き進めていると予期せずかなり長くなってしまったので、個々の畜産動物の置かれた現状については牛で最後にしたい。

家畜の牛は乳牛と肉用牛にわかれる。
まずは乳牛から説明したい。乳牛というのは人間目線の表現であって、もちろん牛も人間も、哺乳類は全て出産をしなければ乳は出ない。
日本には約134万頭の乳牛が飼育されており、そのうち約99%が白黒模様のホルスタイン種だ。オランダからドイツにかけてあるホルスタイン地方からその名が取られた。
※残る1%はジャージー種やブラウンスイス種でホルスタイン種ほど大きくならず、日本の精肉の価値基準に合わないため、オスは生まれてすぐに殺処分されてしまう。

ホルスタインはきっと、牛といえばと誰もが想像する種類の牛だと思う。牛乳のパッケージによく描かれているアレだ。

お馴染みのホルスタイン種

ホルスタインが牧場でのびのびしている写真や絵柄を見かけたことがあると思う。牛乳のパッケージには広大な牧場に放牧された牛がこちらを見ている絵がよく描かれている。
しかし実際のところ、日本で牧場飼育をしている酪農家は1割に満たず、ほとんどの牛は上記の写真のような牛舎の中で一生を過ごす。牛乳の大規模な調査によると、スーパーに売られる牛乳の中で実際に放牧飼育で育った牛の牛乳は全体の8.9%しかなかったという。

ホルスタインの場合、生まれてきた子牛のメスは乳牛として、オスは肉用牛として育てられることになる。
生まれたその日に子牛は母牛と引き離され、飼育者の怪我を防ぐために無麻酔で断角され、つなぎ飼いや単頭飼いをされる。牛は母子愛の強い動物だ。母親は子どもを、子どもは母親を求めて何週間も鳴き続けるという。
メスは性成熟に達する生後14ヶ月頃、人工授精によって妊娠させられてお腹に命を宿す。妊娠期間は人と相違ない約10ヶ月間で、出産するとすぐさま我が子を取り上げられて搾乳される。夫の顔も知れず、我が子に一度の愛情をかけることも叶わず、子に飲ませるために生成される母乳は人間によって搾乳され続ける。その間にもまた人工授精によって次の子をお腹に宿し、翌年も翌々年も出産と搾乳を繰り返す。5〜6年経ったのち、乳の出が悪くなると屠殺されて肉になる。
これが悲劇でなくてなんだろう。無慈悲でなければどこに慈悲があるというのか。
卵同様、出回っている牛乳も全て国産だ。日本で安価に広く販売されている食品の裏には、途轍もなく残酷な動物搾取がある。動物愛護後進国の不名誉なレッテルは、日本経済の問題でもある。

本来20年は生きるといわれる牛だが、メスは5〜6年で屠殺される。オスの場合はさらに短く2年にも満たない。無麻酔で陰嚢を切って睾丸を摘出する形で去勢させられて、狭くて暗い牛舎で大抵の場合は死ぬまでロープでつながれて過ごし、出荷の日に短い生涯を終える。

肉用牛も、乳牛のオスと同じような運命を辿る。生まれてくると無麻酔で断角され、耳標をつけるために耳に穴を開けられ、痛みで牛を制御するための鼻輪を取り付けられる。さらにオスは去勢させられて、肥育のために運動はさせず牛舎に閉じ込めて、牛が本来食べない穀物を混ぜ込んだ不自然な配合飼料を与えられて太り続け、生後2〜3年で屠殺される。

屠殺に使われるキャプティブボルト(屠畜銃)

まだまだ書き足りないがこの辺にしておこう。
次に、ヴィーガンがヴィーガニズムを信じるもう一つの大きな理由「環境保全」について書きたい。

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未来へ豊かな自然を残すために

現在、環境問題は全人類にとってマストな課題だ。原子力科学者会報が発表する終末時計ではまた少し針を進めて、人類の終末までは残り90秒とした。
気候変動、地球温暖化、海面の上昇、森林破壊、野生動物の減少…… それらは現在の地球環境が直面している重大な問題である。これらの問題への改善策としてヴィーガンが有効であることは様々な研究からわかっていることだ。
ちなみに、環境のためにヴィーガンを選択する人はエシカルヴィーガンの中でも「エンバイロメンタル・ヴィーガン」と呼ばれる。流石にややこしいので、ここで触れるだけにしておく。

広く指摘されている問題として、畜産業はそもそも環境負荷が大きいとされる。牛のゲップによるメタンガスの温室効果や、放牧や飼料のための森林伐採による問題などが挙げられる。
なぜ野生の牛も世界中に生息しているのに牛のゲップが畜産業の問題になるのか疑問に思うかもしれない。しかし人類が地球の覇権を握ったことで、それに伴い家畜の数も増えすぎている。現在、全世界の牛の飼育頭数は15億頭と推定される。他にも豚、羊、山羊が10億頭以上、鶏に至ってはなんと230億羽を超える。
その増えすぎた畜産動物に住む場所を追われて野生動物は絶滅の危機に瀕している。
チンパンジー………約15〜30万頭
キリン………………約10万頭以下
オランウータン……約60000頭
アジアゾウ…………約3〜5万頭
ゴリラ………………約40000頭
ライオン……………約30000頭
サイ…………………約27000頭
ホッキョクグマ……約26000頭
チーター……………約7100頭
ヒグマ………………約3000頭
トラ…………………約3000頭
ヒョウ………………約950頭
誰もが知る有名な哺乳類でさえ、こんなにも数が減っている。6400種いる哺乳類の割合は極端なものになっている。
科学者が用いる指標にバイオマスがある。個体数ではなく炭素の重さから動物がどのくらい存在するかを測る方法だ。大型動物と小型動物では元々の数が違うからね。それによると、現在地球上の哺乳類の割合は、人間が全体の36%、家畜が60%、野生動物は残りの4%しかいないことがわかった。

なぜここまで家畜が住む世界になったのか。
あるデータによると人間一人当たりの年間総食事量は500kg〜1000kgにもなるという。つまり体重60kgの人でも一年間生きていくためには10倍の食事が必要になるのだ。もちろん水分量や栄養価など、一概に重さだけを基準にするものではないが、この数値は参考程度にはなるだろう。
そう、生きることってコスパが悪いのだ。ましてや世界人口80億のこの時代にみんなで生きていくのだから、それはもう大量の食物が必要になる。さらに、それだけの家畜が住む場所のために森林伐採は今も加速度的に進められている。

ではヴィーガンになるとなぜ改善されるのか。
それは人間の生きていくコスパが悪いように、畜産動物もまた生きるために大量の食物を必要とするからだ。
誰しも生態ピラミッドを見たことがあると思うが、実際のピラミッド同様、底辺ほど広くて上にいくほど小さくなる。

生態ピラミッド

この図からもわかるように、生物多様性は支配・被支配といった単純なものではなく、最も多く食べられる層こそ最も多様に繁栄しているのが自然の摂理であろう。ところが、中位消費者の大型草食動物を大量に生産して消費する現代の畜産システムはピラミッドの形を為していない。このバランスが崩れていることが環境問題に大きな悪影響を与えている。
畜産動物が食べるために必要な草や水や穀物を大量に供給して消費するためには広大な敷地面積を使用し、野生動物は棲家を追われて急激に数を減らしている。地球全体の生物多様性は今、過去50年間で68%減少したとWWF(世界自然保護基金)のレポートで発表されており、海の生物もこの50年で生息数が半分以下にまで急速に減少している。地球上の26%もの陸地は家畜の放牧地にされていて、すでに20%が失われているアマゾンの森林は、その原因のほとんどを畜産業が占めている。
また、家畜が出す温室効果ガスは車や飛行機など全ての交通機関が排出する温室効果ガスの総量に並ぶ。さらにはワクチンや抗生物質を投与されて育つ家畜から出た大量の排泄物が深刻な水質汚染も引き起こしている。
世界の食糧事情を鑑みても、世界中では今も7億人以上が食糧不足による栄養失調で苦しんでいるが、牛に与えている飼料だけでも87億人分に相当するカロリーを賄うことができる。1リットルのミルクを生産するためには1000リットルの水が必要で、1キロの牛肉を生産するためには20000リットルが必要だ。この非効率な嗜好品である牛肉の裏では多くの悲劇が生まれている。
どんな観点からも現行の工業型畜産が環境問題に拍車をかけているのは、様々な研究結果から鑑みて間違いないようだ。

特にCO2排出量が多いのは圧倒的に牛。
約5ギガトン。単位が大きすぎてピンとこないけど

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は著書『サピエンス全史』の中でこう語っている。

「一、ニ世紀後には、ホモ・サピエンスはおそらく姿を消し、地球の支配者は、チンパンジーから私たちがかけ離れている以上に、私たちとは違った存在となるだろう」

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』

あまりに短く感じる一、ニ世紀後というタイムリミットも、改善の目処が立たない環境問題を思うとあながち大げさとも言えない。人類は既に引き返せないところまで、滅亡の奈落へと足を踏み入れてしまっているのかもしれない。

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異論反論に耳を傾けて

日本では特にごく僅かな割合しかヴィーガンがいないのにも関わらず、ヴィーガンという言葉はしばしばネットをざわつかせている。
田村淳、ひろゆき、ホリエモンといったネットを賑わす著名人は、その本意がどうであれアンチヴィーガンとも取られるような発言を度々していて、それに賛同する人もかなりの人数にのぼっている。匿名のインフルエンサーもヴィーガンを揶揄や批判することが頻繁にあり、意見に賛同してヴィーガンを目の敵にする人はよく目につく。どうも日本ではヴィーガン関連の話題はなにかと燃えやすいようだ。
ではなぜヴィーガンは、こんなに燃やされやすいのだろうか? その心理と意見についても考えてみたい。
……疲れてきたし、砕けた感じでね。

批判①……「植物だって同じ命だろ」
これはよく目にする。まあ「バカか」の一言で一蹴したいんだけど、キチンと答えるべきなのだろう。
彼らはヴィーガンが動物は食べないのに植物は平気で食べていることに違和感、命の不平等を感じているのだと思う。
これについては明確に、環境負荷の違いで説明できる。上述した通り、生態ピラミッドの底辺に位置する植物を食べた方が環境に優しい。ここまで膨れ上がった世界人口を賄い続けるだけの地球資源を草食動物に頼ってしまうとあらゆる不都合が起こるから、より環境に優しい選択をしなくてはいけないのだと主張したい。それに家畜だって草や穀物を食べるんだから、家畜を経由せず直接植物を食べる方が結果的に植物の犠牲を減らすことにもなる。
もう一つ言えば、君がペットを可愛がってることも動物虐待のニュースに怒ってることも知ってるよ、と言いたい。口では同じと言いつつ、動物と植物を同じに考えられる人なんてサイコパスくらいしかいないでしょう。畜産の現実を見ようとしてないだけなんじゃないかな。

批判②……「じゃあ薬使うなよ」
これもよく目にする。面倒くせー……(笑)
これはつまり、動物実験をして開発された薬もあるのだから、動物を犠牲にしない主義だというなら薬も使うなという理屈だ。
彼らがヴィーガンにどのような印象を持ち、どういう人種だと考えているのかについて、ヴィーガン像がかなり偏っているなと感じる。もちろん彼らが想像するヴィーガンもいるにはいるんだけど、僕個人としては既に実験をしているのだから利用すればいいと思ってる。別に新たに動物の犠牲を増やすことには繋がらないんだし。今後の動物実験にはなるべく反対したいけどね。
お前らだって戦争反対や核兵器廃絶は望んでるくせにアメリカ好きじゃん(笑)そういうことよ。

これは人によってだろうけど、なにも僕はヴィーガンが偉いとは一切思わない。外を歩けば虫を踏み潰し、顔を掻けば微生物を擦り潰し、野菜を生産する上で使う肥料や農薬だって多くの虫を殺している。それに肉食動物の生も、獣を狩ってきた人類の歴史も、エスキモーなど狩猟民族の暮らしも肯定したい。また、個人的には増えすぎた外来種や害獣を釣りやジビエで食すのは必要に応じて仕方ないことかなとも考えている。
ただ、現代社会が抱える問題を顧みれば動物の搾取を控えるべき理由がたくさんあるというだけだ。それに加えて畜産業の動物の権利を無視したシステムは優生思想の助長であり、社会的弱者を排除する空気に繋がることを危惧している。

批判③……「自分が勝手にする分には文句ないけど押し付けてくんなよ」
うん、これは正論。強要されたらムカつくよね。
日本国憲法第十三条に、「自由及び幸福追求に対する国民の権利については最大の尊重を必要とする」とある。人は自分の好きな食べ物を食べる権利があるし、誰からも奪われてはならない。だから言ってることは正しい。
だけどさ、実際に押し付けられたことなんてホントはなくね? だって日本のヴィーガンは全体の2%しかいないんだよ? むしろ会ったことがある人の方が稀でしょ。ネットに流れてくるデモ活動をするヴィーガン過激派を見て、ヴィーガンは全員押し付けてくる連中だと思っているにすぎない。肉屋で営業妨害をするヴィーガンに出会したら怒っていいし、僕も一緒にちゃんと怒るよ。ただ、全ての国民は食の自由が保証されることと同様に、主義主張を表明する自由も保証されるのだから意見はさせてくれ。ヴィーガンは趣味や嗜好ではなく、動物愛護と環境保全という思想の実現のために取り組んでいることなのだから、「一人で勝手にやってればいいだろ」と言われてもそうはいかない。こちらにも豊かな自然や子ども達の未来を守るという大義がある。

批判④……「ヴィーガンは栄養失調になる」
これもよく目にするが、とてもバイアスが強い意見だ。明確に反論ができる。
細かく見ていくと
「動物性タンパク質を摂らないと〜」
「ヴィーガンは老ける〜」
「肉も魚もバランスよく食べることが〜」
「ヴィーガンの親に育てられた子どもが栄養失調で死んだ」
この辺りは比較的多く目にした。
まず動物性タンパク質。そもそもタンパク質とは、20種類のアミノ酸が結合してできた化合物のことだ。動物性とか植物性というのは食品側から見てタンパク質を分類しているに過ぎない。要は20種類全てのアミノ酸が植物性食品から摂取できればいい話で、最もポピュラーな植物性タンパク源の大豆からだけでも賄える。ひろゆき氏が「豆類では十分なタンパク質を摂取できない。必須アミノ酸で子どもの成長に肉摂らないでいいというのは聞いたことない」と言っている動画がかなりの再生回数を誇っているがこれは完全な誤りだ。大豆のアミノ酸スコアは以前86だったが改訂版でとっくに100へと変更されているし、アメリカやカナダの栄養士学会は「入念に献立されたヴィーガン食であれば妊娠期、授乳期、乳幼児期、学童期、思春期を含めて全てのライフサイクルに適切だ」という見解を示している。
タンパク質に限らずその他の栄養素も同様だ。ただ僕があまり安易に菜食を勧めないのは、タンパク質、ビタミンB12や亜鉛など、入念に献立されていないヴィーガン食では不足しがちな栄養素も確かにあるからだ。今までの食生活から動物性食品を抜いただけ、みたいな食生活を送っていればたちまち栄養不足に陥るのは目に見えてるし、注意が必要だとは思う。ちなみに極度の面倒くさがりで一人暮らしの僕はサプリによく頼る。
ただ、栄養学的な根拠もなく思い込みで老けるとか、明確な比率は言えないくせにバランス良く食べるべきだとか、まあ頭悪いなぁとは思うよね(笑)
子どもが栄養失調で亡くなった海外の事件のニュースも見たけど、ネグレクトがあって満足な食事を与えられていなかったようだし、痛ましい事件だとは思うけど、どう考えてもヴィーガンかどうかの問題ではないよね。
あと別にヴィーガンってコミュニティじゃないし、そんな知らん海外の犯罪者を好き勝手にお仲間とか言われるの普通に腹立つんだが。どんな属性の中からだって犯罪者は出てくるやろ。知らんよ。

批判⑤……「本当は隠れて肉食ってるんだろ?」
食ってねーよ(笑)
……と、一蹴して終わりたかったんだけど、先日ある話題を目にした。これはスルーするわけにはいくまい。
事の発端は1月19日、高級寿司店炎上事件にある。一応名前は伏せておくけど、相当な大炎上だったので多くの人がご存じかと思う。港区女子と呼ばれるラウンジ嬢(って何?)が寿司屋の大将に殴られそうになったと店名と写真を載せて拡散したところ、瞬く間に賛否両論(主に否)を巻き起こして広がっていった。そしてネットの特定班による真相究明が為される中で、店の客層がこんなの(港区女子とかマダムっぽい)ばっかだと大将に同情する形で、同店で撮られた一枚の写真が発掘されて拡散された。
その中になんと、日本ヴィーガン協会の理事とヴィーガン検定講師を務める女性が写っていたのだ。それで叩かれるんだから、まあ完全に貰い事故だよね(笑)
その方、2月3日の投稿では「私の場合は、8割ほどはヴィーガンの食生活で、生産方法に配慮された卵や魚はときどき食べる場合があります」と記していたけど、批判を受けてから言い出している感じは否めない。ヴィーガン協会の理事が寿司屋(しかも高級店)にいるんだから、隠れて食ってんじゃねーか!って思うよねそりゃ。まあ個人攻撃はすまい。
フォローしておくと、人付き合いもある中でヴィーガンを徹底するのは日本では大変なんだよ。僕も正月に帰省した時は気にせず食べていた。動物愛護や環境保全の改善には一人が徹底することよりも多くの人がお肉を食べる日を少し減らすとか、サステナブルな取り組みをするとか、全体的に意識が根付くほうがはるかに有効ではある。だからヴィーガンがたまに食べていたってあんまり批判しないでやってよ。
きっと完全採食主義を名乗っているから突っ込まれるんだろうな。だから僕は今後も自身をヴィーガンだとは名乗らないし、普通の人にも批判的にならず愛を持って広めたい。あと、このように自由に好き勝手に思うことを言い続けたいから何にも属する気はない。

批判を区分けするとこんな感じだろうか。
ヴィーガンに対する嫌悪感が強いのは、責められているという印象があるからじゃないだろうか。「私たちのしていることは正しくて、あなたたちは残酷で自分勝手な人たち」と言われているような気がして反感が生まれるのだろう。
気持ちはわかるけど、興味を持って調べてみてほしい。いかに畜産の現実が目を背けたくなるような酷いものか、そして自然環境が人類の存亡を左右するほど危機に瀕しているのかを知れば、感情論で批判している場合じゃないことがきっとわかると思う。
別にヴィーガンは偉くないし、極論言えばさっさと死ぬ方が環境に優しいよ(笑)でも死にたくないしみんな生きたいんだから、生活する以上ゴミを出すけどポイ捨てはしないようにしましょう、なるべくキチンと分別しましょう、みたいな感覚だ。

***

終わりに

今回ヴィーガニズムについて調べて書くにあたり、アニマルライツセンターを始め、様々な研究やサイトからデータを引用させていただいた。感謝を申し上げます。
調べていくうちに自分がまだまだ全然無知なことを痛感し、あまりに膨大な事象が複雑に絡み合う現代社会ではまず知らなければ何もできないと強く思った。無知なる善人は成り立たず、無垢で素朴なままでは生きられなくて、歯車にはなりたくないと抗い続けた社会の求める条件設定に依存してでも、評価を得なければ発信する言葉は価値を持たない。
悲しんでもいられないよね。ここで生きなきゃ。
くだらないインフルエンサーの嘘を誰もが信じる世界なんだったら、もっと偉くなって自分が正しい言葉を発信していくしかない。だから僕は、やっぱり表現者になりたいなと思った。
自分に胸を張れる作品を作って、誰かの心を揺さぶれる人間になって、自由な想いを紡いでいきたい。頑張ろう。ちゃんと生きるぞ。


めっちゃ長文になっちゃったな。ここまで読んでくれた人がもしいたら、拝読ありがとうございました!

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