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最強論争と、理想と現実

今日、Xで興味深いポストを見た。
ルール無しの殺し合いで武術門下生100人とレスラー100人で闘ったらレスラー100人が勝つ、という格闘技界隈では度々起こる最強論争に類するポストだ。それに対してある高名な武術家が、同じ才能と努力なら武術100人が勝つと反論して、ニッチな界隈であーでもないこーでもないと意見が出ていた。

もちろん、この法治国家で実際に殺し合うわけにはいかないから答えは永遠に出ない妄想話なのだが、僕の意見を言うと同条件なら僕も武術100人が勝つと思う。
身体的才能、闘争本能、鍛錬の総量などの条件が一緒であれば、目潰しや金的、噛みつきなどの格闘競技における反則攻撃一切を含む実戦を想定している武術家の方が強いと思う。なぜなら競技者はルールにない攻撃を仕掛けることも仕掛けられることも想定して練習していないから、いざいきなり狙われたら対応できないだろう。レスリングや柔道では相手が殴ってくるわけないと思って組んでいくし、ボクシングやキックボクシングの試合で相手がタックルしてくるとは誰も思わない。MMAでは金的を蹴られないから引き込んでガードポジションが取れるし、リングが柔らかいから安心して下になることができる。競技は実戦ではないのだ。

考えてみれば当たり前の話なのだが、ではなぜそれでも冒頭の投稿者はレスラー100人が勝つと思うのだろうか。また、賛同するポストも半数以上あったように見えた。
思うに実際には個人の条件を揃えることができないので、どちらがより多くの鍛錬を積み、身体的才能にも恵まれているのかという点で、多くの場合はアスリートの圧勝だと予想するからではないだろうか。試合があり、勝敗を競い、観客に観られ、称賛を浴びるために練習に励む格闘競技と、日々想定するだけで実戦はなく、命のやり取りはおろか人生が懸かる舞台に立つ瞬間もない中で鍛錬する武術であれば、やはり前者の方が才能は集まり、また努力の質も高いのではないか。その差で、いざルール無しの闘いが行われたとしても勝利するだろうという意見なのではないか。

自分の意見を翻すようだけど、たしかに条件を合わせていないのであればレスラー100人が勝つという予想も頷ける。
日本の武術の達人が前人未到のオリンピック5連覇を達成したミハイン・ロペスや人類最強と呼ばれたアレクサンドル・カレリンにルール無しでなら勝てるとは正直思えないし、武術門下生の若者たちが大学レスリング部の猛者たちに勝つのも難しいように思える。
強い奴はどんな格闘技をやっても強い、という結論を出す人も多い。個人的には思考停止しているようであまり好きではないのだが一理あるのは確かで、その強い奴が集まるのはオリンピックやプロの舞台のような大きなリターン、俗にいう夢がある世界とされるメジャー格闘技のほうではないだろうか。

つまり僕の意見の結論はというと、「武術と格闘技なら武術のが強いが、武術家と格闘家なら格闘家のが強い」という中途半端な落としどころである。
もし例えば自分が半年後や1年後、3年後なんかにルール無しの素手での殺し合いをしなければならないことになり、勝てなければ死ぬとなったら格闘技なんてやってる場合じゃなく殺し合いを想定した鍛錬を積むだろう。僕が門を叩くのはレスリング道場ではなく実戦的な武術道場だ。そこに自分の想定する殺し合いのシチュエーションをミックスさせて、オリジナルの流派が生まれるかもしれない。だって負けたら死ぬんだったら誰でもめちゃくちゃ必死になるよね。
なので武術の有効性を僕はとても尊敬しているし、同時に格闘技の競争の厳しさも身に染みている。

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この僕の結論のパターンは、社会の様々な職業や場面にも当てはまると思う。
ブルシット・ジョブという言葉がある。Bullshit(牛糞)、つまりクソどうでもいい仕事という意味で、アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーが述べた社会に不要で有害な仕事の総称である。皆さんもいくつか心当たりがあると思うが、この仕事ってなんで存在してんだよ?という仕事だって世の中にいくつもあるよね。しかもそういう仕事に限って高給取りだったりするからやるせない。

社会に出れば嫌でも感じるが、別に多くの人に必要とされている仕事ほど高収入なわけではないのだ。反対にブルシット・ジョブや重要度の低い仕事の中に高収入な仕事もある。そして人材の質は後者の方が高い、ということが往々にしてあるのが世の中だ。目の前に大きな人参があればどの方角にでも走り出すのは人間だって変わらない。
日本最高峰の学力と国家資格を手に入れた先で行う仕事が夜職女や港区女子の顔をいじることだったり、誰の役にも立ってなさそうな金融商品や権利関係を回すことだったりすると、なんだかなぁって感じちゃうけどね。

逆に、僕が経験した中にも素晴らしいと感じた仕事はあったが、働く人まで素晴らしいとは思えなかったこともある。誰でもなれる仕事だといえば語弊があるけど難易度や給料が低ければどうしたって集まる人材の質も下がるわけで、中には信念と能力を持った素晴らしい人もいたけど誰でもなれると揶揄されても仕方ない人の存在もあった。人のこと言えないけどさ。

だから資本主義は悪だ、という安直な結論はもちろん出せない。でも素晴らしい仕事に素晴らしい人材が集まるわけではないのは収入と社会的意義が見合ってないからというケースもよくあるわけで、それを是正してほしい気持ちはある。ただ社会的意義と本質もまたズレるわけで、その辺りが難しい。

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芸術の為の芸術は、一歩を転ずれば芸術遊戯説に堕ちる
人生の為の芸術は、一歩を転ずれば芸術功利説に堕ちる
と芥川龍之介は言ったが、最初の話に戻れば実戦がないからといって妄想だけの武術になってもいけないし、金と人気にしか価値を求めない格闘家も好きじゃない。僕はね。
仕事にしても、競争が軟化すると甘くなるのが人間だし意義より金に釣られるのも性だけど、良い塩梅を見つけて夢中になれる仕事に没頭して、結果的に社会にも貢献できるような仕事をしていきたいなと思うのでした。


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