「全員死刑」の声に寄せて
今月15日、ショッキングな事件がニュースに流れた。
月並みな感想になってしまうが、この事件は極めて悪質で罪は重い。性犯罪者の再犯率の高さや被害女児の心的外傷、出所後の恐怖心を思えば被告の早期釈放に妥当性は低く、更生の期待が薄いことからも厳罰化が望ましいと考える。
法に詳しくないので適正な処罰の目安を提示することができないが、少なくとも5人全員に10年以上の刑期は課すべきではないだろうか。5人がSNSで集まった点も大きな社会問題で、それらのネットワークサービスへの改善も求められる。
また、被害女児の心的外傷が少しでも晴れるように祈っています。
さて、この事件がネットニュースで流れると強い憤りを感じた人がやはり大勢いたようで、Twitter(現Xだけど、あの頃のTwitterを返して欲しい)ではトレンドに『全員死刑』の文字が躍った。
著名人の中にも全員死刑でいいと思うとツイート(現ポストだけど、あの頃のTwitterを返して欲しい)していた人が見受けられた。さすがに現行法において性的暴行で死刑はあり得ないだろうし前例も無いのに、ではなぜ今回の事件に関してはトレンドを席巻するまでに全員死刑を望む声が大きくなったのだろうか。そして仮に全員死刑が求刑されたとしたら、どのような問題点が湧き上がるのだろうか。
今日はそれを考察してみたい。
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まず今回の事件について、なぜここまで厳罰を望む声が広がったのかについて考えてみたい。
一つには社会背景があると思う。連日、松本人志の性加害疑惑が報じられ世間を賑わせていることからもわかるように、(特に女性の)性的搾取について問題視する声が日に日に大きくなっている。ジャニー喜多川のジャニーズ性加害問題然り、権力者が今まで女性や児童という弱者に対して行ってきた性的搾取に国民の強い処罰感情が生まれてきているのがわかる。
「権力者を倒せ」と言わんばかりの空気は、日本の不景気による不満も合わさって、我々名も無き一般大衆と呼べる弱者が一握りの成功者や権力者という強者に数の論理で立ち向かう、革命の前触れなのかもしれない。
通例の性的暴行よりも処罰感情が特に強い今回の事件は、女子児童という弱者を複数の成人男性という強者が、その強者たる部分である暴力性を卑劣な手段で用いて事に当たった点が理由の一因になっていると思う。果たしてこれが、被害者が女性や児童という属性に含まれていなければ全員死刑というトレンドは上がっていたのだろうか。
成人女性の場合はどうだろうか。睡眠導入剤を飲ませて性的暴行を行ったという点は成人女性にも目にする事件で、いわゆるクラブやヤリサーなるところでよく起こるイメージがある。そういった場所での事件の場合、ネットの反応では処罰感情がだいぶ薄れる気がする。
「クラブなんか出歩く女は犯されても仕方ない」「そういうつもりで女もサークル入ったんでしょ?」そういうネットの声は頻繁に流れてくる。
これが性産業に従事する女性なら尚更、世論を味方につけることは難しくなる。過去の性被害を打ち明けても、「そんな仕事してるんだから別にいいだろ」と書かれるのをいくつも目にしてきた。
つまるところ、被害者の属性ばかりに目がいって犯罪行為自体を客観視して判断できていない人が大量にいるのだと思う。
……一応言うと僕も性被害に遭ったことがあるけど、成人男性の僕が声を上げたところで加害者に死刑どころか厳罰を望む声なんて120%出てこない。「自業自得だろ」と言われるに決まってるし、なんなら僕もそう思ってる。
まあ別にいいけど。なんのトラウマもないし。
つまり今回の事件でここまで多くの人から厳罰化が望まれた背景には、事件の被害者が女子児童という特にか弱い対象だった点が大きく関連しているのがわかる。
仮に成人男性が同じ目に遭っても、笑い話にさえされかねないのが現代日本のジェンダー意識でもある。もちろん心情としては僕も強く共感することは付け加えておく。
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以上の理由から、『全員死刑』の声は感情的な側面がとても強い意見だと思われる。
では次に、感情的な理由でもし刑罰が大きく変動してしまったらいったいどのような問題が起こるのかについて考えてみたい。
国民世論次第で司法判断が決まるなど罪刑法定主義・法治主義・法の支配が崩れがちな韓国の政治・社会体質を、『国民情緒法』と皮肉をこめて呼ばれている。
この問題点は法が世論に流されやすいことで、たとえば反日感情が高まれば日本に対する犯罪行為は一部で英雄視され、その流れを汲んで罪が軽くなることもあった。また、大衆の不興を買ったナッツリターン事件など、損害の度合い以上に罪が重くなるケースもある。
日本でも韓国の国民情緒法のように世論に左右されて刑罰が変われば、公正な判決は期待できなくなる。
次に、この感情の背景には優生思想が水面下で蔓延している点が挙げられる。
ロリコンやペドフェリアに対する嫌悪感である。松本人志の過去の発言や動画が掘り起こされ炎上の火種にされたり、ハライチ岩井の年の差婚を多くのインフルエンサーを始めとしたネットの声が批判的であったり、性的嗜好そのものへの嫌悪感から処罰感情が強まったと思う。
母親が赤ん坊のちんちんを口に咥える4コマ漫画が掘り起こされて炎上していたのも記憶に新しい。……さすがにあの4コマまで炎上するのは過剰ではないかと個人的には思う。
特定の性的嗜好への嫌悪感を持つのはわかる。感情を書くなら、僕も児童を性の対象とする人間は嫌いだし気持ち悪いと思ってる。特に生理的な嫌悪は女性なら余計に強くあると思う。それはわかる。
ただ、それが今までLGBTを差別してきた歴史を思い返して欲しい。厄介なことに生まれつきのものでもあるだろうし、一概に人権を否定してしまうのではなく大事なのは犯罪行為を防ぐことだ。
エプスタイン島というなにやらきな臭い話も報じられているし、低年齢の妻を持った戦国武将も多くいる。LGBT同様に、多様な人間の在り方としては認識しなくてはいけないと僕は思う。戦乱の世を駆け抜けた戦国武将の末裔が現代では誰も人を殺していないように、ロリコンでもペドフェリアでも現代の秩序を守り法を犯さず生活してるなら人権を否定まではしてやるなよと思う。特定の属性や人間を社会から排除したいという感情をコミュニティに害を為す前からチラつかせるのは、多様性を否定する短絡的な優生思想ではないだろうか。
それと、死刑は極刑とも言うように一番重い罪だ。今回の事件はこれからまた詳細が明らかになっていくのだろうが現時点では強制わいせつの罪で強姦罪ではない。加害者側の心理を推察すれば、強制わいせつの時点で死刑が確定するのなら犯行後に女児を生かしておくことは事件が明るみに出る可能性を上げる危険因子にしかならない。死刑ほどの厳罰化を推し進めることは、性被害者が事後に殺害されるリスクを高めることになるんじゃないだろうか。殺人による死刑が一般的に2人、ないしは3人以上殺した場合から適用されるのも、俗にいう「無敵の人」を生み出さないためでもある。
犯罪被害をなるべく未然に防ぎ、かつ最小限にとどめるためには、妥当な量刑があるということは頭に入れておくべきだろう。
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そもそも僕は死刑廃止論者だ。それはもう、5年以上前から変わってないんじゃないかな。
この中でも書いているけど、死刑の是非についての議題で必ず挙がる質問に答えたい。
「自分の娘が同じ目に遭っても同じこと言えんのかよ?」
今回の事件でもこういった書き込みは何度も見た。それについての僕の返答は、「殺すに決まってんだろ」だ。
もし僕に娘がいてこんなことをされたら正気を保っていられるわけがない。一人残らず殺してやるだろうし、手を下す前に警察に捕まえられてしまったら必ず死刑を望むだろう。
こう答えれば、「言ってること矛盾してんじゃねえか」と言われるのは想像に難くない。でも別に僕は司法じゃないし、個人的感情で殺意が漲ってくるというだけだ。
自分や家族が対象になるんだったら、現行法で死刑にならない程度の犯罪行為だろうと誰だって怒るだろ。娘が性被害に遭っても殺すし、愛犬を虐待されても殺すし、彼女が強姦されたって絶対殺すよ。でもそれら全ての犯罪が死刑になる国に住みたいかといえば僕は住みたくない。そもそも身内が被害を受けるというアンフェアな条件を設定して、それでも同じことが言えるのかと問いただしてくるのってズルいだろ。
個人的には殺してやりたいほど怒ることはいくらもあるだろうが、国家権力を行使してそれほどの処罰が下される国は中世じゃないんだから嫌だよ。
刑罰は決して世論の国民感情を満たすために行うわけではない。犯行を思いとどまらせたり、二度と繰り返さないよう更生させたりと、社会の治安維持のためにある。
それに被害女児の心情に寄り添って考えれば、加害者5人全員が死刑に処されることが果たして心の平穏に繋がるのだろうか。
今後、時間はかかると思うが少しでも心的外傷が和らぎ前を向いて生活していって欲しいと心から願っている。その時に、巻き込まれた事件とはいえ、加害者全員が死刑になったというのは心に更なる暗い影を落としてしまわないだろうか。
『全員死刑』の合唱は、いったい誰のことを救えるのか、今一度見直してみてもいいかもしれない。
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