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仕事納め。納めるって、なんだ。

何はともあれ今日は最終出社日だった。もとい、リモートワークなので出社ではなく最終勤務日が適当だろうか。要するに今日で年内の仕事は終わりだ。

納めるという表現がなかなか面白い。海外にはこのような呼称や慣習はあるのだろうか。午前中に遅まきながら会社の健康診断の為に近所の診療所に赴く。どうやら世の中も今日が最後の仕事日らしく、道中で会社の玄関や営業車を掃除している人々を見かける。

健康診断の視力検査では 1.5を記録するも、明らかにこの数年で最後のマークが見づらくなってきている。全問正解だったが、見えづらくなったことを看護師さんに告げると、へぇ視力が良いんですね。と驚かれる。そうなんですよ、昔は余裕で2.0でしたよ、遠くが見えるんです。でも未来は全然見えないですけど。とボケたら思い切り無視された。

午後にはZoomでの打ち合わせが4件、どうして最後の日に打ち合わせを4つも入れてしまったのだろうと思ったが週始めの月曜日だからしかたない。しかし最後まで走りきった感じが逆に達成感を伴ったりで良かったかもしれない。成果はさておき仕事をした感、というのも時には重要かもしれない。

変わらず長い前置きだったが標題の件、納めるというのはどういうことだろうか。納めるからには、受け入れる器があるということなのだろうか。そう考えると、日本人は型という概念がつくづく好きな民族だと思う。

推進中の事業や案件は当然のことながら月がかわろうが、年を跨ごうが、変わらず推進しなければならない。ということは、細かく言えば仕事にも2020年版と2021年版に細かく分かれているのだろうか。なかなか面白い。

自分でも何を言ってるのか全くわからなくなってきた。そうだ、これは健康診断で視力検査を担当した看護師さんが体感した、不可解かつ意味不明な感じを、そのまま自分で再現したのかもしれない。未来は見えない。しかし見ようとすれば見えてくるのかもしれない。

また明日、ここでお会いしましょう。お疲れ様でした。


読書好きが高じて書くことも好きになりました。Instagramのアカウントは、kentaro7826 です。引き続きよろしくお願い申し上げます。