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『論語と算盤』考察28 口は災の元?
おばんでがすー(朝読んでいる方は、おはようござりすー)。
次の一万円札、渋沢栄一の著書『論語と算盤』で、僕が気になったところを考察していきます。現代語訳が出てくる場合は、参考文献を参照しつつ、独自の解釈で訳しています。
今日は、「常識と習慣」から、「口は禍福の門なり」あたりを。
失言に対する向き合いかた
余計なことを言ったり、口がすべったり。いわゆる「失言」は政治家や有名人は、頭の痛い問題だと思います。
おしゃべり好きかつ影響力のあった渋沢栄一にとっても、失言問題は切っても切り離せない関係だったようです。
その渋沢栄一が、失言とどう向き合ったか。以下に引用します。
余は平素多弁の方で、よく種々の場合に口を出し、あるいは演説なぞも処嫌わず、頼まれればやるので、知らず識らず言い過ぎることなぞあって、人からしばしば揚げ足を取られたり、笑われたりすることがある。
しかし、いかに揚げ足を取られようが、笑われようが、余はひとたび口にしていう以上は、必ず心にもないことは言わぬという主義である。
しかがって、自分自身で盲語したと思っておらない。あるいは世人には、盲語と聞こえる場合がないでもなかろうが、少なくとも自分は、確信のある所を口にしたつもりでいる。
言い方が過ぎたりすることもそうですし、現代でも全体のうちの一言が切り取られて、別の意味で解釈されたり、というのことがよくあります。
そこで大切なことは、自分の発言に責任を持つこと。自分の発言に責任が持てないのなら、やはり口は災いの門(元)になりやすいでしょう。
口は福をひらく門でもある
だからと言って、失言を恐れて、誰も何も話さなくなれば、世の中が進歩することはありません。失言をしないよう慎む一方、積極的な発言によって、世の中を良くしていく働きもあります。
余のごときは多弁の為に禍もあるが、これによって福も来るのである。例えば、沈黙していては解らぬのであるけれども、ちょっと口を開いたために、人の困難な場合を救ってやることができたとか(中略)。して見れば、これらはまことに口舌より得る利益である。口は禍の門であるとともに、福の門でもある。
では、失言を慎みながら、積極的に話していく心得とは。
それは、「片言隻語といえども、決してこれを妄りにせず」です。
片言隻語とは、わずかな、ちょっとした言葉のこと。
ちょっとした言い回し、言葉遣いにも注意する。とにかく勢いだけで言うと「盲語」になりやすいので、言い回しなどを考えながら発言できるといいですね。
酔っ払っているときは特に注意!
んでまず。おみょうぬづ(それでは、また明日)。
参考文献
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『論語と算盤』考察第1回目は↓
自己紹介記事は↓
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