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学校教育と子供の未来と大人の責任の話

どうも!藝術家のライフコーチ&ビジネスプロデューサー松浦玄侍です。

今日はいつもと趣向を変えて、「子供の学校の話」です。

割と長めの記事になったんですが、概要を書いておくと

・良い教育とは人間の良い心を育てるものであるべき
・教育者の役割は、愛のある人格の育成にあると思う
・不登校になる前の警告サインは子供からきっと出ている
・過去の固定観念に子供を縛らず、一緒にアップデートしていこう
・親は子供の好奇心や創造性を伸ばすために心をくだいてサポートすることが大切

といった話になります。


罰を意識させる教育は才能を殺す

実は、私の長女(小2)が、最近夜中にうなされて、泣いて起きてくることが続いたので、詳しく原因を探ってみたんですよね。

すると、どうやら「学校の先生のプレッシャー」が原因のようでした。

話によると、1時間目が体育の時は
朝の会が始まるまでに、体操服に着替えていないと、
廊下で着替えさせられる子がいる。とか、

他にも、毎日の終わりに「5問テスト」があるらしいのですが、
全問正解できないと、居残りをさせられるらしく、
娘はいつも正解していたので
残されたことはなかったようなのですが、

毎日「間違えたら残らないといけない」
というプレッシャーがしんどかったようでした。

比較的成績は良いみたいで、学年代表で発表をしたりとか、活躍の場にいるようなのですが、「やらなきゃ」と思って色々と取り込んでしまうようで、

強制力をかけて毎日要求をされることが、重荷になっているみたいでした。

このやり方って、軍隊式なので、
感性をジワジワ殺していくんですよね。

「やらないと罰を受ける」ということを刷り込んで、
勉強させるわけですから、
こんなに恐ろしいマインドコントロールはありません。

教育者だろ、ちゃんとしてくれよ。と思います。

「ちゃんと見てもらえていない」という孤独が、積極性を奪う

それだけではなくて、
娘が幅跳びの記録で1位になった日に(160cm飛んだらしい)、
終わりの会で、幅跳び2位だった子を
「1位でしたー!おめでとう!」
と先生が間違って表彰したらしく、

うちの娘は、終わりの会が終わってから

娘:「…私、1番でした。」

と1人で言いにいったらしいです。

そして次の日に、

担任:「先生が間違えていて、1位は(長女)さんでしたー!」

と言ったらしいんですが、

それ以外の体育の授業で、ドッジボールをした時も、
最後まで娘はボールに当たらずに生き残っていたらしく、

娘:「やったー♪」

と喜んで終わったら、後から、

担任:「〇〇さん(違う子)が最後まで残りましたー!すごいねー!」

と言って、違う子をみんなの前で表彰したらしく、

娘:「先生、最後まで残っていたのあたしです...。」

と後から言いにいったみたいです。

意図的ではないと思いますが、しょっちゅうあるようなので、
娘は「もういいかな…と思い始めていた。」ということでした。

こういう経験の積み重ねが「私なんて…。」に変わっていくので、
大人は子供のことをちゃんと見ないといけないですよね。

そんな経緯があり、学校での時間がプレッシャーやストレスになっていて、夜中に起きてしまうという状態だったんですね。

自分を過度に擁護して、向き合うことを避ける教師。これはよくない

「これは放っておけないな」
ということで、まず妻が学校に電話をして、教頭先生に以下のことを伝えました。

・娘がプレッシャーを感じながら学校に行っていること、
・幅跳びやドッジボールで1番になっても忘れられてしまう体験、
・居残りや早朝登校を気に掛けないといけない緊張感など…

「これを見直してもらうように、担任に伝えてください」と。

そして、教頭先生から担任の先生に伝達をしたとのことで
折り返しの連絡がありました。

担任の先生の発言を聞くに

担任:「そうなんですね…その理由は、あれこれこうで…こういうことで…気をつけるようにします。」

という感じで、回答の内容は、あまり芯に響いていない印象を持ちました。

数日後、元々予定されていた、春の三者面談があったので、
妻が学校まで行ったのですが、指導方針の見直し依頼の電話をした直後なので、担任は面談で「何と切り出してくるのかな?」と思っていたら

担任:「どうぞ。」(特に、「先日はすみません」などはなく。)

担任:「では、始めましょう。」

担任:「もう大丈夫よね??(娘に対して)」

という流れで面談が始まったので、
妻は唖然としたようです。

私も呆れましたし、そこで子供に「大丈夫だよね?」と答えを強制することは、教育者としてやってはいけない行為だと思います。

話をすると、そのあと出てきた言葉が

担任:「走り幅跳びの件で、先生が間違えていて、本当は(長女)さんが1番だったよ!と後からみんなに言った時に、〇〇さん(間違えて表彰した子)は、嫌そうな顔せずに、(長女)さんに「おめでとう」と言ってたんです。それが素晴らしいと思いました!」

と言ったらしいんです。

妻:「は?そこじゃないやろ?今言うべき所は。(心の声)」

と妻は思って「先生が間違えたんですよね?そもそも。」と言ったみたいですが、

妻は半ば呆れてしまったようで、色々な話のすり替えに疲れてしまい

「そうなんですね。では、よろしくお願いしますね。」

と言って、少し話した後に家に帰ってきたようでした。

私:「何を考えて、どういう意図があって、そーいう発言をするのだろう…。」

意識と価値観が決定的に違いすぎて、ため息が出そうになりました。

話にはもう少し続きがあります。

活かされていない教訓

そんなことがあって、1週間後に娘が学級通信を持って帰ってきました。

娘:「私の絵が載ってるの〜🎵見てー」

と言って学級通信を渡してきたので、どれどれ。と見てみると

くまさんの絵が載っています。

でも「ん?」と疑問が湧く

丸く掲載されたくまの絵の下には、

「くまさんチーム 塗り絵 〇〇さん(娘じゃない子の名前)」

と描かれています。

私:「あれ? (長女)が書いたんだよね?」

と聞くと

娘:「うん、この絵は私が書いたの。色を塗ったのが〇〇ちゃんなんだ。」

と言います。

私:「なんで、塗り絵の子は名前を乗せて、下絵自体を書いた子の名前は載せへんねん。」

しかも、学級通信は白黒印刷なので、
塗り絵がどんな色なのかは、ほぼわかりません。

塗り絵を塗った子の名前を掲載するのであれば、絵を書いた子の名前も掲載するべきだろ?と私は思います。

なぜなら、子供にとって大事な瞬間だから。

自分の名前が書いてなくて「私の絵が載ったの🎵」と持って帰ってきた娘の気持ちを想像すると、何とも言えない感情になりました。

私:「(長女は)、これを見た時にどう思ったの?」

娘:「うーん……まぁ……別にいいかなって、思っちゃった。」

と、少し残念そうに、強がる様子で言っていたので、「流石にこれはダメだ」と思って、私が学校に電話をしました。

教頭先生に私から、学級通信のことを伝えたんですが

「環境を見直して欲しい」という電話をして、3者面談をした1週間後の学級通信でこれが起こっている

ということが非常に疑問だったので、そのことを伝えて、

私:「先週のやりとりが、意識されている気がしないです。ちゃんとみてあげて欲しいと伝えてください」

と話しました。

ここまでしたところで、所謂

私:「うちはモンスターペアレンツ。って言われるやつなのかな?」

と自分達を振り返ったのですが、「いやそんなことはないな。」と。

娘がうなされて帰ってきて、理由もちゃんとあって、自分が「いないもの」になっていて、他の子が表彰されている。

これは怒ってもいいことだし、むしろ守ってあげないといけない瞬間
だと思って、

私:「もし、これで変化が見られなければ直接話に行きますからね。」

と学校に伝えました。

その後、教頭先生が娘の担任に伝えてくれたようで、学級通信の名前の経緯を聞いたようでした。理由は

担任:「名前を掲載した子は普段あんまり、表彰されたりがない子なんです。なので、チャンスを与えようと思って。(長女)さんの名前も載せた方が良かったかしら。」

と言っていたみたいですね。

私の考えとしては、「塗り絵を塗った子を掲載するなら、下絵を書いた子も掲載しないと、子供の心は寂しさと痛みを感じてしまうだろう」と思います。

この担任の先生が根本的に変わることは難しいと思ったので、せめて意識して欲しいポイントだけは伝えるようにしていかないといけませんね。

誰かが悪い、とするのではなく、社会を新しく変えていく

この担任の先生も、生きてきた過程で今の考えやスタンスに至っていると思うので、時代や環境の影響があってそうなってしまっているのだと思います。なのでいたずらに「この人は悪い教育者だ」というつもりはないです。

重要なのは、柔軟性を持って何事も向き合っていくこと。

これは、教育者であってもなくても同じだと思います。

ラッキーだったのは、全学年の見回り担当をしているA先生と仲が良くて、その先生が「多目的教室」という場を持ってくれているらしいのです。

なので、「多目的教室が開いているときは、そこに来て勉強するといいよ。私が見るから」とA先生が言ってくれたので、娘も嬉しそうでした。

通常の授業は、教室で受けているようなのですが、多目的教室が開いているときは行きたい時に自分で選択して、教室を動いているようです。

娘にこう伝えました。

私:「自分の教室で、この授業を受けたいなというのがあれば、受ければいいし、多目的教室開いてるからこの時間は行こうとか、自分で組み立てればいいからね。」

娘は「うん!」と言って安心したようでした。

自分で行動計画を決めて、2つの教室で学習をするというこの形は、ちょっと新しいなと思ったし、丁寧に見て動いていくことは、やはり大事だなと思いました。

子供達は、可能性の塊です。

教育の目的とは?

それぞれの個性や創造性、好奇心や行動意欲を押さえつけずに、伸び伸びと育ててあげることが、その子の人生を豊かにするし、そうやって才能を伸ばした人物は、社会で活躍できる人物に育っていくと思います。

一人一人の才能を伸ばして、心を育てて、能力が発揮されるようにすることで、豊かな社会づくりへ影響力を及ぼしていく。

それが教育の目的地だと私は思っています。

もちろん、義務教育でその全てをやるべきだとは言いません。

個性や創造性、その子の好きなことや才能を伸ばす体験や学びというのは、各家庭でプラスアルファで取り組むからこそ、自由度高く行動することができます。

なので、娘もフラダンスをやっていますし、新たにアトリエで油絵を習い始めたり、習字教室に通ったり、陶芸体験をしたりということを始めています。

興味を持ったことはやってみる、やらせてみることが大事。

娘は藝術分野に興味があるようで、一緒に色々と体験できそうで楽しみだなと思っています。

義務教育について話を戻しますが、
学校は学校でとても大切なものだと思っています。

友達の関係構築、いろんな人間とのコミュニケーション、勉強すること、体を動かすこと、いろんな学習体験をすること

こう言ったことを公的に広く提供しているシステムは
素晴らしいものだと思います。

でも、だからこそ、組織として動かしづらい、変えづらい部分もあるから、家庭での才能育成、遊び体験、創造性を開く活動などが大事なんですよね。

とはいえ、学校側も時代に合わせて柔軟に教育方針を変えていく方針があると思うし、トップダウン詰め込み型の強制的な教育方針は、子供の才能を潰すことになっていくと思います。

うちは大丈夫でしたが、現在の学校システムに違和感を感じて「学校に行きたくない」子がいるという話も、周りでチラホラ聞くようになりました。

一番そばにいる、親が、大人が、子供の心を自由に開放して、健やかに才能を伸ばせる環境づくりをしていきたいですね。

では今日は、この辺で!

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