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2019年の世界と2020年の世界の狭間の夜で

令和の始まりの年が終わる日、私は坂本真綾のカウントダウンライブに参加するため東京国際フォーラムにいた。

大晦日を東京で過ごすのは初めてだったが、夜の東京は思ったより人が少なくて快適だった。欲望渦巻く街も12月31日には多少大人しくなるのだろう。寂しいというほどではなく、人と街の余白が好ましい。

ライブ会場に着くと、集まった人々が高揚しているのが肌で感じられる。ライブというだけで心躍るが、好きなアーティストと一緒に1年の締めくくりと始まりを迎えられるのだ。これ以上に贅沢な時間があろうか、いや、ない。(反語)

お楽しみはこれからだ。

22時、幕が上がる。約3時間の特別な時間が始まった。コンセプトアルバム「今日だけの音楽」の世界観を表現した演出と歌にのっけから心奪われる。人間は30代、40代から歌うための喉ができてくるというが、坂本真綾も歳を経るごとにどんどん上手くなっている。

至福の時、深い満足を感じるとともに胸がドキドキしてくる。ドキドキ、ドキドキ……。

あれ?なんかおかしい。これ途中から楽しいドキドキじゃなくて、苦しいドキドキに変わってない?

来ました!パニック発作ですね!

発作とは大学生の頃からの長い付き合いだから、私ほどのベテランになると多少のことでは慌てません。「ああー、発作起きてるなー。どのくらいでおさまるだろう?薬飲んだほうがいいのかなー」とボーッと考えていた。

とりあえず様子を見てみる。椅子に深く沈み込み、呼吸を整える。吸って、吐いて、吸って、吐いて……。

うーん、おさまらない。自分に問いかける「杉本さん、どうですか?行けそうですか?」もう1人の自分「いや、駄目っすね。これは一時撤退がいいと思います」。

とりあえず客席の外に出て、薬を飲んでソファーで横になる。こんな時のために鎮静作用のあるカモミールハーブティーを常時持ち歩いているので、お茶をチビチビ。この発作はいつ起こるか分からないものの、よりによってこんなタイミングで来るとは…。運が悪い。

会場内から聞こえる真綾さんの小粋なトークと歌声を遠くに聴きながら、このまま帰るかどうか思案していた。電車で帰るか、うーん体調的にキツそう。タクシー?有楽町から埼玉までタクシーは金銭的にイタい。そして、何より真綾さんやみんなと一緒に年越したい。だって、カウントダウンしにきたんだから!

そんなことをぼんやり考えながら30分くらいが経っただろうか。気づくと、隣のソファーに男女が座っている。女性は気分が悪そうで、男性が女性の背中をずっとさすっている。

トイレだろうか、男性がその場から離れる。女性は俯いたまま苦しそうだ。

思わず「大丈夫ですか?」と声をかけた。

女性は一瞬驚いた様子を見せたものの、「はい…。私、強い光の刺激に弱くって…今日のライブ、ちょっと光の演出が激しいですよね…」とポツポツと話した。

カウントダウン仕様なのか分からないが、確かにいつもよりチカチカピカピカしている舞台だった。そういえば昔「ポケモンショック」なんてことがあったなあ…。

「僕はパニック発作持ちで、発作が起きちゃったんですよ。お互い間が悪いですね(苦笑)」。

とりとめのない会話を女性と交わすうちに、旦那さんらしき人が戻ってくる。
そこで私は自分の隣にいるべき黒髪の乙女がいないことに今更気づくが、どうでもいい。広島あたりに置き忘れてきたのだろう。二度と会うこともない。

3人でしばらく会話をするうちに、時間は23時45分。"その時"が迫っている。

「どうします?中戻りますか?」
「そうですね。せっかくですから...」

3人で立ち上がる。「お互い大変ですけど、頑張りましょうね」。別れ際、女性にそう声をかえると「はい。でも、あなたも無理だけはしないで。体が一番大事ですから」。

気づくと私の発作はすっかりおさまっていた。

会場内に戻ると、観客は総立ち。"その時"が近づき、興奮は最高潮だ。
元気を取り戻した自分も拳を振り上げながら声援を送る。さっきまでソファーでぐったりしていたのに。

「5、4、3、2、1、あけましてあめでとーーーー!」

2019年が終わり、2020年がやってきた。
良かった。無事に年越せた。下手したら、自分は東京国際フォーラムのソファーでひとり2019年の世界に取り残されるところだった。

アンコールは松任谷由実「A HAPPY NEW YEAR」のカバー。
「今年もたくさんいいことがあなたにあるように いつも いつも...」熱いものが頬をつたう。

最後に表題曲「今日だけの音楽」で幕が閉じる。
「もうすぐ夢から醒める 夜明けが明日を連れてくる 二度と会えない今日の私 抱き合ってさよなら 歌え 今日だけの音楽を 歌え 今日だけの音楽を...」

今日の自分と明日の自分は違う。二度と同じ自分には会えない。他者も同じだ。二度と同じ人には会えない。だからこそ、今日この瞬間にしか聞こえない言葉に、音楽に私達は注意深く耳を澄ますべきなのだ。すごくマインドフルネス的な歌詞だと思う。
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あの日、2019年の世界に取り残されそうになった自分を救ったきっかけは、「大丈夫ですか?」という名前も知らない女性への一言だった。
自分も苦しい時にそんな言葉が出たことに、自分でも驚いた。純粋に心配だったのだ。

人は人を思いやることができる。たとえ、どのような状況でも。
他者に思いやりをむけ、他者から思いやりを向けられることで救われる。
そのことに気づけたのは、とても大きな学びだった。

あの日、あの時、発作が出ていなければ、私は純粋にライブを楽しんで「あー、楽しかったー」だけで帰っていたかもしれない。
病は人を苦しめるが、同時にそこから学ぶこともある。

「あなたも無理しないで」という名前も知らない女性からの言葉と真綾さんの歌で、私は晴れやかな気持ちで2019年を終え、2020年を迎えられた。
病みついた身体と付き合っていくのは大変だが、ときにこんな「オマケ」があることもある。

生きてくのって大変ですね。でも、他者を慈しむ心さえあれば、つらい世界でも生きていくことができるんじゃないでしょうか。
他者を救うことで、自分も救われるってのは確かに真理なのかも。

あの名前も知らない女性にたくさんいいことがありますように。
同じくらい私にもいいことがありますように。
そして、あなたにもたくさんいいことがありますように。

これをもって2020年年初の挨拶とさせて頂きます。

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