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マーケティングで人生を変えた話

こんにちは。
「2時間で一生使える営業力が身に付く研修」を
提供している、株式会社マーベリックです。

今回は、
「なぜ弊社が研修事業を始めようと思ったのか?」
についての記事です。
かなり長い記事ですが、スキをたくさん頂いている記事ですので、よろしければ是非読んでみてください。


■私のキャリア テレビ番組制作時代


私は大学卒業後、TVのバラエティ番組を制作していました。いわゆるADとして、すさまじく凄惨な日々を送っていました。

・年間休日5日
→日曜放送の番組担当なので、土曜は編集(24時間ぶっ通し)、日曜は視聴者対応のため会社で待機。当然振替休日ナシ。
・在職期間中(2年半)は毎月過労死ラインの倍以上残業。最も忙しい特番時は他ADが飛んだため、独りで業務遂行。3週間で着替えを取りに3回だけ帰宅&シャワー。
・基本的に業務量(仕込み)が膨大過ぎて未明に机上で気絶、明け方窓を透過する朝日で起床。そのまま業務再開。

という有様でした。
激烈業務なのですが、それ以上に辛かったのは、
社員同士の仲が悪かったことです。

・先輩は仕事を教えない、聞いても「気合いだな。」の一言。つねに社員同士で潰し合い。新人の時は会議の開始時間を教えてもらえず、ゴミ箱から資料を漁り、情報をキャッチアップする有様でした。

10名いた同期は、半年後にはたった2人になっていました。私も体力をカバーしていた気力が限界に達し、2年半で退職しました。

働き方に違和感を覚えたのは、これが原体験になっています。もっと仕事を教え合えば効率は上がり、チーム全員の心身の負担が減った。折角100倍の倍率を突破してきて社員になった人材を、簡単に離職させてしまう。その社員が将来どれほどの利益をもたらすのかという観点を、社として誰も持ち合わせていない。採用コストを垂れ流しにして、無駄な利益放出をし続けている。だから給料は上がらない。

■転職。社員数2名の雑誌編集プロダクションで働く


私はまだTV業界に未練があったため、放送作家としてなんとかバラエティ番組に潜り込み、末端の作家として活動していました。しかし薄給の為、2足のわらじで先輩作家の口利きで雑誌の編集プロダクションに勤務し始めました。

結果的にはこちらの方で芽が出てしまいました。
社長と私の2馬力の編プロで、当時は1誌しか取り扱いがありませんでした。その1誌が来た経緯ですが、ある時その雑誌の売り上げが急落してしまい、4万部の状態で版元から相談が来て、元々その版元の社員だった社長が編集長をやることになったという案件で、なんとか部数を6万部まで回復。6万部で停滞していた時に、私が編集長となって後を継ぎ、発行10万部、実売7割まで成長させました。

私はまだ20代後半でしたが、非常に充実した日々でした。編集長なので、中身のコンテンツはすべて自由にできましたし、表紙に起用するタレントも自由に交渉可能。ライターや外部の編集スタッフの人選も独断です。この若い時に1つのマス媒体を任せてもらえたことは、非常に経験になりました。

10万部の雑誌の編集長は、面白いです。
10万部をキープする時に最も重要視していたことは
・読者の期待と信頼を裏切らないことでした。

10万という数字だけ見れば、それなりに大きな読者集団なのですが、その集団の中身を良く考察すると、売るために編集長として何を考えるべきかが分かります。

まず10万という集団は、単なるカタマリではありません。完全にリピーターであり、毎号買ってくれているお得意様です。フラッと本屋に立ち寄り、なんとなく手に取っていく読者ではありません。

その雑誌の歩んできたブランドDNAを理解しており、明確に期待しているコンテンツ内容や方向性があるのです。その読者に対し、どんなコンテンツを提供するのか?そのセンスが編集長の腕の見せ所でした。

そのためにまず自分の雑誌の特性を把握し、そこを外さない。ストロングポイントを理解し、それをコンテンツに変えて提供し、体験価値として読者を満足させる。

真摯に読者と向き合っていると、不思議なことに、10万も読者がいるのに、その集合した読者の感覚が、手に取るように理解できるのです。
それが掌にあるうちは、部数は落ちません。
良い時は、部数を気にしなくても、猟師が獲物を撃った時のように、引き金を引いた瞬間に手ごたえが分かります。それが読者との絆であり、信頼関係だと思います。楽しんでやっていると、グルーヴ感が出ます。そういうものは人目を引くので、売れるのです。私がアウトプットするときに、最も大切にしていることの一つです。

後年、マーケティングを学んだ時に、自分のやっていたことは正しかったのだと、証明することが出来たのですが、自分がまだマーケティングという存在そのものを知らないまま実践していたのがこの時です。

ちなみに、職場環境は最高でした。
社長が絶対に怒らない人で、彼から学んだことが今も生きています。世の中の大抵のことは、怒っても解決しません。

彼は私が周りから理不尽な扱いを受けたときも、
「喧嘩するタイミングは来るから、少し待て」と言ってくれました。
喧嘩の仕方、仕掛けるタイミングは重要で、大人になるために身に付けたいスキルの1つでもあります。

研修事業を始めるきっかけとなった出来事がだんだん集まってきました。AD時代の職場環境への疑念と、編プロ時代のマーケティング知識です。

■出版社に転職


私は社員数2人の編プロを経て、出版社に編集として転職しました。ちなみに私が編プロを辞職した際、社員数は5名、取り扱い誌は5誌に増えていました。

私が編集者として大切にしていたことは、コンテンツをマスに向かってキャスト(投げる)する際は、明確なオピニオン(意見)を打ち出し、読者をリーディング(導く)すべき、ということでした。

マス媒体は、スタンスを明確にし、オピニオンリーディングをすべきです。「私はこう思いますが、読者の方はどうですか?」という提示をコンテンツを通じて行うべきです。

新聞や本やTVの需要が減ったのは、このオピニオンリーディングが明確ではなくなっているからだと感じています。発信する側がコンテンツに対して、どんな想いで、何を伝えたいかの解像度が低いので、作品の切れ味が悪く、内容がぼんやりとし、相手に強烈な感動やインパクトを与えられなくなった。
逆にYouTubeやSNSなどで、自ら楽しみながら、
自分のストロングポイントを理解して発信するクリエイターの方が、心を動かしています。

コンテンツを発信するとき/自社の商品やサービスを展開するときに、
・何を
・どう考え始めたらよいのか?
・消費者への価値提供は、どうすればよいのか?

これらを体系的にまとめたのがマーケティングであり、マーケティングを習得すれば、コンテンツの提供でさえも、面白くできます。マーケティングの定義は、人により様々ですが、弊社では一言で「勝率を上げる活動」としています。

次で過去の私はマーケティングと出逢いますので、
もう少々お付き合いくださいませ。

■さらに転職、広告会社へ


私は紙媒体の売り上げが減ってきたタイミングで、
広告会社へ転職しました。

営業として入社し、飲料会社の担当となりました。
広告会社の営業は、クライアントが大きければ、商材であるブランド、例えばコカ・コーラなどの専属担当となります。

チームを組んで、予算からそのブランドがもっと売れるための戦略/戦術を策定し、クライアントのマーケティング部のブランド担当者に提案を行います。
例えば、年間1億本売れているブランドがあるとしたら、「来年売り上げを1.05倍にしたい=500万本多く売るにはどうすれば良いか、提案してください」というようなオーダーを受け、そのオーダーに対し、売り上げを最大化させるための、ブランドと消費者間における最適なコミュニケーションを提案します。

戦略や戦術、キービジュアルやコピーライティングを策定し、それらを6マス媒体(デジタル、TV、ラジオ、新聞、雑誌、屋外広告)に予算と投下時期を配分し、なぜそうするのか?というエビデンス(論拠)を持ち合い、建設的なディスカッションを重ねます。
そのブランドが大切にしてきたことは何か?
消費者に期待されていることは何か?
では、それらはどうやったら伝わるのか?
年間を通して予算を使った後、どんな資産を次年度の活動に遺すことができるのか?等を提案するのです。

今でこそ、すべての業務を自信を持ってできるようになりましたが、転職初年度は結果的には惨敗でした。

毎日膨大なタスクに追われ、ある日、業務でミスを起こします。そのミスを見かねた当時の部長と会議室で面談を行ったのですが、大きめのホワイトボードに、小さめの字で部長が現在私の抱えているタスクを書いて整理してくれたのですが、なんと入りきりませんでした…。

大きいプロジェクトが3つあり、それらがすべてTVCMやデジタルを中心とした6マス展開、PR、大規模キャンペーン、Webサイト構築、店頭ツール、CRM業務と枝分かれし、タスクが常に20~30個は同時に進行していたので、脳は常に窒息状態でした。

情状酌量もあり、結局、私は担当クライアントこそ変わらなかったものの、
社内ではスタメン起用から外れ、後方支援的なポジションとなってしまいました。社内でも仕事にありつくのが難しく、何も仕事がない時は、新卒の業務のような電報打ちや素材整理など、暗に退職を迫られているのでは?というような状況も経験しました。

仕事はできていました。ただ、タスクの量が多すぎて、不安定なまま、安定していました。

後に振り返ると、このドン底の時期があったことは、とてもプラスになりました。

■逆襲。ついにマーケティングと出会う


担務量が減ったことで、少し気持ちと時間に余裕ができました。そんな時、隣席の同僚のデスクに、マーケティングの本があるのが目に入りました。
今まで何度も風景としては入り込んでいたはずですが、フォーカスされたのは、それが自分にとって必要なタイミングだったからでしょう。

私は同じ本を買い、それから毎日1時間早く帰宅して、自己学習に取り組むことにしました。地上でなかなか芽が出ない時は、地下に根を広げます。

個人差があると思いますが、私の場合、マーケティングを習得するために費やした時間は、約1年間、400時間ほどでした。

平日帰宅して1時間、土日のどちらかで3時間、これで週に8時間。1年は52週なので、8時間×52週で416時間です。

何をもって習得できたとするか?という判断基準は以下です。

・取引先との会話でマーケティングの知識をアウトプットしながら、リードすることができた
・マーケティング観点で社内チーム・協力会社に説得力のある説明ができるようになった
・戦略提案の際に、マーケティング思考から提案資料を作成できるようになった
・Webサイトの立ち上げを行い、コンセプト、グラフィック、インセンティブの仕組み、動作、トンマナの設定などをディレクションし、会員数を1年で30万人を突破させることができたという実践的な成果をもって判断しました。


転職して2年が経ち、私はクライアントのマーケティング部とも共通言語で対等に会話ができるようになりました。マーケティングの知識が徐々に身に付いてくるなかで、クライアントとの会話中でも専門用語を用いたり、チームのメンバーや上長との会話も洗練され、シャープな印象になったことで、スタメンに復帰しました。今までマーケティングの専任部署の方たちと、いわば野生児の状態でやり取りをしていたのですが、今思い返すと、先方も不安だっただろうな、と思います。ブランドの命運を賭けるようなサービスも提案していましたし、1円もムダにさせないためにも、絶対に無理をしてでも最初から習得しておくべきスキルでした。

マーケティングは定量(数字・データ)と、定性(数値化できない感情など)の両面から物事にアプローチします。そのアプローチの仕方が体系的にまとまった学問/ツールです。

分かりやすく言えば、自分の経験やセンスだけにとどまることなく、それを裏付けるための考え方のフレームワーク(思考の枠組み)が体系的にまとまっている、というものです。
つまり物事に対し、何を、どう考えれば良いか?がまとまっています。マーケティング習得以前だと、どうしても個人の勘やセンスなどに頼りがちになり、ビジネスで言えばそれはまだ「個人の感想」の域を出ていません。

マーケティングを理解すれば、粘り強く、精度の高い仮説が立てられるようになり、先述した通り予算を投下する前の段階で「勝率を上げる」ことが可能になります。

例えば新商品やサービスの展開で予算を投下する際「現状はこうで、次はこの層が取りたい、だからこの戦術を選ぶ」と積み木のように積み上げたロジカル(論理的)シンキングであれば、もしサービスや商品がヒットした場合、再現性高く次の商品や活動を行うことができます。

「個人の感想」では、発売後にセールスが奮わなかった場合、どこからどう直せば修正できそうか?などが勘やセンスから来ているため、漠然とし、軌道修正の精度は落ち、プロジェクトがジリ貧で終わる可能性が高いです。
PDCA(PLAN(計画)・DO(実行)・CHECK(測定・評価)・ACTION(対策・改善))が回しにくいのです。

■マーケティング習得後の私と起業


独学ではありますが、マーケティングを習得した私の提案は、よりセールスにおいて精度が増し、担当ブランドは過去最高の売り上げを記録しました。

私は広告会社の社員なので、クライアントである飲料会社に向けたBtoBの提案となりますが、そのクライアントを納得させるための、クライアントが好みそうな提案を行うのではなく、あくまでも「このブランドの価値はこういう理由でこうなので、こうした方が消費者は好みますし、売れます」というBtoC視点、顧客基点での提案が可能になり、その本質的な提案は、クライアントを時に正すこととなり、付加価値の提供できる営業担当者として、存在感を発揮することができました。

社内でも評判が上がり、別クライアントのチームからも声がかかり、他のクライアント(食品メーカー)の業務もワークシェア30%ほどで担当することになりました。私もキャリアパスにおいて、様々な商材の知見を貯めたいと考えていたので、業務量は増えましたが、進んで参加しました。

レベルアップは提案時だけにとどまらず、マーケティング思考の応用により、日常の業務もゴールから逆算する習慣がついたことで、劇的に進化しました。

マーケティング思考の習得後、習得以前で最も変わったのは、このゴールから考えて行動する、ということかもしれません。

ゴール=最終的なアウトプット/成果物を強く鮮明にイメージする。そのイメージは、マーケティング思考から導いた勝率の高いモデル。という仕組みです。

これは、独りで完結する仕事でも、チームで動く際も、明確なゴール/ビジョンを打ち出せれば、”人”、”お金”、”スケジュール”の観点で、フォーカスすべき点が明確になり、チームが最大限に力を発揮できる環境を作れます。
・人=人のアサイン(誰/どこの会社なら最高の結果を出せそうか?)
・お金=予算管理(適切な価格交渉)
・スケジュール=スケジュールを引いた瞬間に、仕事に追われる→仕事を追うになれる

状況により()内は変わりますが、人・お金・スケジュールの3要素は変わりません。営業はフロントに立ち、チームを引っ張る役目です。私は自分と仕事をしてくれる人が、どうすれば最も気持ちよく、最大のアウトプットを出してくれるか?という視野の広がりも手に入れることが出来ました。
最小の労力と時間で、最大限の結果を出す仕組みをマーケティングの力で設計するのです。

ほとんどの日本の職場がそうだと思いますが、
・ゴール=最終的なアウトプット/成果物を鮮明にイメージする。
・そのイメージは、マーケティング思考から導いた勝率の高いモデル。

この2点がないままで走り出すため、
「ああでもない、こうでもない、ちょっと違うんだけど」が起きます。周りの協力会社の方も「何が正解か分からない、100本ノックは勘弁してくれ」となるのです。これでは、プロジェクトに関わる全員が日々摩耗して、果ては何のために生きているのか、自分の仕事に価値なんてあるのか…と考えてしまいます。


■なぜ起業したのか

私は起業までに4社を経ています。
従業員2名から、単体で7,000名を超える会社まで、様々です。

その企業のどれもが、社員のポテンシャルを十分に引き出すことができていなかったと感じています。
発芽する人は勝手に発芽し、発芽しない人はしない。その「発芽していない人が発芽するきっかけ」を、上記のような私の特異な経歴から、自分が自分らしくありながら、最も社会に価値を提供できるのが、この研修事業なのです。

「絶対に私はこんなところで終わる人間じゃない」
「もっとやれるはずだけど、どうすればいいのか分からない」

かつての私と同じような境遇の人は、たくさんいると思います。

私は困っている人、仕事が分からない人の気持ちが、とてもよくわかります。さらに、そんな人がどうすればそのゾーンを克服できるかも、身をもって経験しているため、的確なアドバイスができます。

会社は社会に価値を提供し、貢献することで、その対価として報酬を得ます。弊社は、営業×マーケティング研修、離職・休職者防止の研修で報酬を得ています。

社会人生活は、短距離走ではなく、40年間にわたるマラソンです。長くペースを保って働くのであれば、フィジカルとメンタルの両輪を鍛えることが重要です。そしてできるだけ早期にマーケティング思考を身に付けた方が、心身ともに健康でいられますし、可処分時間も増やせます。
※私はマーケティングを身に付けてから、体と脳は疲れることがあっても、心が疲れることが無くなり、忙しい・時間がない、という感覚が激減しました。これは物事に対し、どこにフォーカスして取り組むべきかを、明確にできるようになったからです。

この記事を読んでくださった方のお仕事に、
少しでもお役に立てたのであれば幸いです。



■おわりに
長文となりましたが、お付き合いいただきまして、
誠にありがとうございました。

弊社では、以下の研修メニューをご用意しております。
・営業の基礎から本質が学べる 若手社員向けコース
・優秀な営業が実践している 営業×マーケティング 中堅社員向けコース
・職場の環境改善  離職・休職者防止研修

上記以外にも、カスタムメニューもございます。
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株式会社マーベリック