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知らない間に世の中に流されていた

すばらしい記事を読みました。

今年もたくさんの記事を読んでいますが、上半期ナンバーワンかもしれません。それくらい個人的には良かったです。


「趣味でチェロを始めた40代の人が、『そんな歳で始めてもプロになれるわけでもないし、それが人生で何の役に立つのか?』と友人から聞かれた」

この記事では、上記ようなツイートが話題になり、これに対して、才能がない好きなことはやる意味があるのか?ということに触れています。

記事の中でも紹介されている、リナルディさんの話が良かった!

作者のカレン・リナルディは大手出版社で責任ある立場にあるベテラン編集者であり、映画『マギーズ・プラン(Maggie's Plan)』の原作『The End of Men(男らの終焉)』を書いた作家であり、男性作家と結婚して2人の子供を持つ母親でもある。

すごいです。完全にリア充です。

大手の会社でバリバリ仕事をしていて、結婚もして、子供をもつ母親。おそらくお金もたくさんもらっていて、子供にも十分な教育を与えることができる環境にあるのだと思います。

40代でサーフィンにぞっこん惚れ込み、1年のうち8ヶ月サーフィンをする生活を17年続けているのに、いまだにものすごく下手くそなのだ。謙遜ではない。本当に、徹底的に、驚くほど才能に恵まれていない。なんせ、初めて自分で波に乗ったのが、サーフィンを始めて5年後のことだったというのだ。

ぼく、サーフィンやったことがないんですけど、面白んですかね?

山登りなら経験があるのですが、その時はすごく楽しかったです。自然を相手にするスポーツやエンタメってやっぱりいいですよね。

サーフィン面白そうです。

それにしても、1年のうち8か月もサーフィンをするってハマりすぎな気もします(笑)

そして、サーフィンを始めてから5年後に波に乗ることができたって、相当才能がなかったんだと思います。でも5年間あきらめなかったってことはよっぽどサーフィンのことが好きなんでしょう。

ふつうの人なら、それほど才能に恵まれていない場合には5年も待たずにやめる。だが、リナルディは下手くそでもサーフィンが大好きだったのだ。だから、大好きなサーフィンができるようなキャリア変更をし、家族を説得し、貯金の大部分を費やしてコスタリカの海沿いに土地を買って人生そのものをサーフィン中心に変えてしまった。冒頭のツイートで「40代でチェロを始めてもプロになれるわけでなし、人生で何の役に立つのか?」と質問した人にとってはリナルディの人生は想像の域を完全に超えているだろう。

うんうん。普通ならとっくに辞めてしまうと思います。

いや、できもしないサーフィンのために仕事を変えて、家族を説得して、土地を買うってすごくないですか。(笑)

もう趣味というか完全に人生の中心がサーフィンです。お金がもらえるわけじゃないのに、サーフィンが人生の中心です。それが一番すごいです。

私たちは目標達成が重視される実力主義の社会に住んでいるので、ついすべての行動を「目標達成に役立つかどうか」、「他人に評価してもらえるか」といった物差しで測るようになる。ソーシャルメディアでもリアルでも、自分のありのままの姿ではなく、それ以上に見せようとするし、他人と自分をつい比べてしまう。他人と比べて才能がないことには、興味があっても(恥ずかしいから)手を出さなくなる。それによって、だんだん自分の人生を狭めてしまっているのだ。

本当にその通りです。

みんな自分の才能をみつけることに躍起になっている気がします。ぼくもその中のひとりです。

他のひとよりも優れているものは何か?世の中に求められるスキルはなんだろう?会社にしばられない生き方をするためにはどうすればいいんだろう?

みんな何かしらの能力を付けたがっているような気がしています。

ぼくは社内では、何でも屋さんのひとりで、特に優れた能力があるわけではありません。広く狭くいろんなことを知っているタイプの人間です。

なので、恐らくですが、転職活動をすると苦労するんじゃないかなーと勝手に思っています。だから、今スペシャリストにあこがれています。

今は仕事の話を例に出しましたが、趣味や好きなことに関してもそうだと思うんです。他のひとにはない、きらりと光る、自分だけの才能を探す傾向にあるように思います。

そしてそれは、SNSの発展が加速させた。

趣味や好きなことは、ひととの比較や能力を忘れて楽しみたい

しかし、記事のなかにもあるように、他人との比較や才能のあるなしによってあきらめることで、人生を狭めてしまうと思います。

好きなことってそんなにたくさん見つかるものじゃないですよね?ひとによるかもしれませんが、2つ3つくらいじゃないでしょうか?

ただ才能がないだけで、それを捨てるって本当にもったいないことだと思います。

生まれつき才能があることではなく、好きだけれど才能がないことをやることには、独自の利点がある。成功や達成による幸福感をまったく期待していないので、「やる」ことそのものに喜びを感じることができる。リナルディが書く「Joy of trying(試みることの歓喜と満足感)」がそれだ。

もしかしたら、好きなことにチャレンジすることに、仕事では得ることができない満足感や達成感を味わうことができるかもしれない。

もしそうだとしたら、もっと人生が楽しくなりそうですよね。

何でもお金に結び付けるのはよくないなーと改めて思います。

実はぼくも才能がないから、下手くそだから...という理由で好きなことをあきらめてきたタイプの人間です。

でもこの記事を読んでから考え方ががらっと変わりました。ほんとうに好きなことだったら、下手でもやればいい、好きなだけやってみよう。と、こころから思えるようになりました。

なんとなくですが、こういった考え方ってこれから広がっていきそうです。

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