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落語『浜野矩随』に勝手に感心したとき

先日、仕事帰りに山形県村山市の甑葉(しょうよう)プラザに寄って落語を聴いてきた。仕事で取材して以来、年齢を超えた友達と自称させて頂いている「村山市落語を楽しむ会」の石井知征さんから案内が届き、今年冬の寄席を開催するという報せがあったからだ。

今回の寄席はまた、10月に亡くなった六代目三遊亭円楽(旧・楽太郎)師匠の追悼寄席として、交流のあった石井さんが今までの写真や襲名披露の思い出を展示して振り返り、お二人の素敵な関係性が垣間見えた寄席となった。

寄席に来た噺家は三遊亭王楽師匠で、笑点でのピンクの滑り魔として知っている人も多い三遊亭好楽師匠の息子である。この王楽師匠が、『新聞記事』や『一文笛』といった故人ゆかりの演目を披露してくれた。その大トリとなったのが、五代目、六代目と十八番としていたという『浜野矩随』だった。

(あらすじ)

浜野矩康・矩随の親子二代の彫物工は江戸時代後期に実在した人物のようで、父の矩康は当代一の名工として称賛をほしいままとした。しかし妻と息子・矩随(のりゆき)を遺して亡くなり、矩随のほうはとんだなまくらの作品しか造れない。父の得意先からは次々と見限られ、最後には律儀に買取を続けてくれた若狭屋からも見放されてしまう。

悲しみに暮れて首を縊ると言い出す矩随に対し、母親は「死ぬ前に私に形見を彫っておくれ」とお願いする。心を決めた矩随は一晩で精魂込めて彫り物を彫り、母親はそれを見て「若狭屋さんに高値で売っておいで」と促し、矩随は言われるままに若狭屋へ。若狭屋の主人はその出来栄えに感心し、言い値も超えて彫り物を買い取る。喜んで矩随は家に帰るが、母親は全てわかっていた上で頸を切って亡くなっていた。

後日、矩随は父にも劣らぬ当代一の名工となり、若狭屋は「なんでもいいから浜野矩随の彫物が欲しい」という客に「先生の初期の作品ですわい」となまくらだった頃の彫物を売りつけるのだったーー。


『だいたい親父が立派すぎると二代目は苦労が絶えないから、子育ては親父が反面教師になるくらいがちょうどいい。私を見なさい、父・好楽を反面教師として落語では絶対に滑らない』との王楽師匠らしい枕で始まった人情噺で、最後の若狭屋の買い取りの場面では「今までのお前はただ巧く造ることしか考えてなかったんだ。だから傍目から見たらどうしようもないなまくらしか造れなかった」「それがどうだ。大事なおっかあの形見に、と想って造ったから、誰もが立派だという作品ができたじゃねえか」という若狭屋の台詞があった。

落語はまだ勉強したての初心者なので、これが古典落語時代からの見せ場なのか、円楽師匠や王楽師匠の解釈による演出なのかは判らなかったが、私は「そうだよなあ。仕事ってそういうものだ」と感心しながら噺を聞いていた。現代アートとしての動機というものもそうだが、他動的な動態でやらなければ誰もが認める仕事というものはそうそう生まれない。自分だけの企画でとにかく巧い、とにかく完成度の高いものを造りたがる芸術家志望には、期せずして痛烈な皮肉となっている演目だ。うまさや面白さは、そのうまさ面白さこそがつまらない。

落語は駄目人間の生きようによる励ましという点もあるが、傍目八目のオブザーバーの立場から、時折鋭い批評眼を見せてはっとさせられることがあるから好きだ。

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