「中道的創憲」を目指して
1,はじめに
私の書いた「新日本国憲法試案」の目指す基本的方向は、「右寄り改憲」でも「左寄り護憲」でもない「中道的創憲」である。「中道的」と書いたが、これには少し説明が必要である。私の書いた試案を、もし「右寄り改憲」派の人が読んだら「これは左翼的だ」と言うだろうし、「左寄り護憲」派の人が読んだら「これは右翼的だ」と言うだろう。私がこの試案で表現したかったのは、従来の「右か左か」という座標軸で測れるものではない。憲法論議が二極分化している中で、その中間にいる多くの人々の意見を代弁したかったのである。実際「改憲して戦前の日本のようになるのは嫌だけど、護憲を叫びながら自衛隊を持っているのも矛盾している」と思っている人が、私以外にもたくさんいるのではないだろうか。かと言って憲法条文をこのままそっとしておいて「解釈改憲」状態を続けていたら、憲法と現実がどんどん乖離していき、平和のための歯止めとして機能しなくなっている。ならばここで両極端を避けて、真ん中で多数が同意できるような改正案を私なりに書いてみよう、と考えたのである。現行憲法を「不磨の大典」のように考えて、改正しないでずっとそのままにして、解釈と運用だけで切り抜けようとするのでは、時代の変化と必要についていけない。それに、条文が抽象的であいまいな表現だと、解釈の仕方によって後で勝手に内容が変えられてしまう。なので、そうならないように、なるべく細かく具体的に、議論が分かれる余地がないように明文化した。それでもし現実の必要が変わって憲法に合わなくなってきたら、その問題を解決するためにどんどん憲法の条文を改正して、アップデートしていけば良いのである。
しかし、ここで私が書きたいのは、一部分だけ少し修正したり加えたりするような「妥協の産物」ではない。従来の「違憲か合憲か」といった過去志向的な議論ではなく、「新しい日本はどうあるべきか」というビジョンを描いて、未来志向的、建設的な議論をしたいのである。そのために、今までの「右寄り左寄り」というイデオロギー的固定観念を捨てて、全く新しくゼロベースで「創憲」するのだ。このゼロベースで創憲という考え方は、大前研一氏の書いた「平成維新」という本(1989年刊行、講談社)の中にある「新国家運営理念の草案」を参考にしている。また世界各国の憲法条文や世界人権宣言のような国際条約も、大いに参考にして取り入れている。特にドイツ、イタリア、スイス、フィンランド、韓国、フィリピンなどの憲法を読んでみると、実に色々な規定があって非常に興味深い。「こんなことも憲法に書いてよいのか」「こんな条文が日本にもあったらいいのに」と感じるものがたくさんあった。日本の中だけの知識で議論していると、現状をどう修正するかしか考えなくなって、視野が狭くなる。比較憲法学から現代の新しい世界的潮流を学ぶと、より広い視野から発想を得て、新しく憲法を起草することができる。とにかく、私がこの試案を書いた目的は、「こんな憲法もありうるのだ」というものを提案することによって、国民みんなが将来の国家ビジョンを話し合うようになり、一緒に新しい日本を築き上げていくためなのである。
これから、新憲法試案の全文と、その解説を述べる。しかし、一部分だけを見て「なんだこんなものか」と早合点して、読むのをやめてしまわずに、どうか最後まで一つ一つの条文をじっくりと読んでいただきたい。もし全部は賛成できなかったとしても、その中で同意できる点もきっと見つかると思う。