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青空の下、仕事について思う

5月から8月末までの夏休みの間は、カナダの林業学校の学長を退任したジェリーが経営するクリスマスツリー農園でサマージョブをしている。農園での仕事は、クリスマスツリー(和名:もみの木、英名:Balsam Fir )の手入れ。主に、伸びてきたもみの木の葉を切って整えること。後は、芝刈り、植樹、農園維持管理など。今日は、もみの木の手入れを一日中やる予定だ。

オフィス代わりの物置小屋で、剪定用のブレードに汚れ除去のスプレーを吹きかけ、仕事の準備を始める。仕事始めは、いつも心も身体もずっしりと重い。部屋の隅にある使い古したソファに座り、あくびを噛み殺しながらブレードを磨く。小屋の中は、扇風機もないので熱気が籠っている。外に出たほうが、風が吹いて少しはマシかもしれない。ブレードを磨き終わり、安全靴に足を通す。「よいしょ」と重い腰を上げ、モルタルの床の上を数回ジャンプして靴にこびりついた泥を落とす。だんだんと仕事をやるぞ!という気持ちになってきた。同僚のアシュリーも準備ができたようなので、二人で今日の作業エリアを確認する。小屋から近い場所から剪定作業を始めるので、歩いてエリアまで移動する。剪定を始めようとすると、アシュリーの「ちょっとこっちに来いよ」という声が聞こえる。少し離れたところにいる彼のもとまで歩く。もみの木の葉をかき分けて「ここ。ここを見ろ。触るなよ!」とアシュリーが葉の奥を指し示す。覗き込むと、そこにはターコイズブルーの小さな鳥の卵が巣に収まっている。まるで現実のものではないような美しさ。

さて、仕事を始めなければ。今日剪定するエリアでは、3メートル程の高さのもみの木が並んでいる。少し高さがあるので、一本の木を整えるのも時間がかかりそうだ。自分の背の高さぐらいまでの葉は、剪定用のブレードで切り落としていく。スプレーで綺麗にしたためか、ブレードの切れ味が良い。シュパッ、シュパッと軽快に葉を切り落とす。葉を切ると爽やかな香りが漂ってくる。剪定をやっていると、所々にWitch's Bloom(和名:てんぐ巣病)と呼ばれる植物病害を発見する。てんぐ巣病は、植物病害の一種で、樹木の茎や枝が異常に密生する奇形症状になるものだ。隠れるかのように葉の奥のほうで、緑色の茎が絡み合っている。腰を屈めて、葉の奥まで手を突っ込みハサミで茎の根元から切り取る。結構な大きさだ。身体を伸ばして、ふぃーっと息を吐く。今日やるべきエリアを見渡すと、立ち並ぶ木の数に圧倒されてしまう。農園とは言え、だだっ広い。小さな森にいるみたいだ。少し雨でも降ってくれれば、暑さも和らぐのにと空を見上げる。しかし、空はカラッと晴れ、気持ちの良い雲がゆっくりと風に流されて行く。雨は期待できそうにない。「よしっ」と気合を入れ、剪定作業に戻る。

シュパッ、シュパッという葉を切り落とす音。時折、木立から聞こえる鳥の声。もみの木は綺麗に整列し、空は広く青い。熱気を含んだ風が身体を包む。もっと涼しい風よ吹けと願う。さっき拭ったばかりなのに、汗がまた流れ出す。首に巻いたタオルが汗を吸い込んでいく。黙々と剪定をしていると、ずっと心のどこかに引っかかっていた過去の仕事のことがふつふつと湧き上がってきた。大学を卒業してから期待を胸に抱いて就職した東京の会社。先輩方から言葉遣いが悪いと毎日嫌味を言われた。週末も営業に出ることが多くて、ほとんど休みが取れなかった。ストレスで食べることを止められずに体重が20kg以上増加。月曜日が来るのが嫌で、日曜日の深夜にコンビニで週刊誌を立ち読みして不安を紛らわした。夜中に江戸川橋駅近くの川沿いを散歩しながら、会社にも営業にも向いてないと呟いた。コインランドリーで回る洗濯物を見ながら、早くここから逃げ出したいと何度も何度も思った。必死に藻掻いていたけど、上手く出来なかった。東京から実家に戻ると決めた夜、悔しくて、情けなくて、アパートで一人泣いた。

ほっーと長い息を吐く。バックパックから取り出したゲータレードを口に含む。程よい甘さが、渇いた喉に広がる。遠くで作業していると思っていたアシュリーが、いつの間にか隣のもみの木の列に移動してきていて、急に話しを振ってくる。「リンキンパーク好き?チェスター・ベニントンの話聞いた?」うん、と答える。矢継ぎ早に「オーディオスレイブのクリス・コーネルとは仲が良かったらしくてさ」と話は続く。音楽の話なんて久しくしていなかったけど、こういうのは何だか良いな。汗が頬をつたって、首元に落ちて行く。「暑っついなぁ」とぼやき、タオルでガシガシと顔と首元の汗を拭う。暑さはまだ続きそうだ。風よ吹け、と切に願う。

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