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『さよならオフィス』(著:島津翔 2020/10/8)から考える「これからのキャリア」

「誰もいないオフィス」

コロナは、私たちを閉じ込めた。
移動を許さなかった。通勤がなくなった。
生きている間に、このような緊急事態を経験するとは、思ってもいなかった。

移動がなくなることで、私たちは思考をめぐらした。

これまでの働き方を踏襲するのか
これからの働き方を創造するのか


私たちは今、歴史的転換期の只中にいる。

転換期の日々を過ごす中で痛感するのは、「歴史とは一人一人の判断や行動の創造物なのだ」というごく当たり前のことだったりする。

この先の未来への分岐点であることを感じる。だから、今、何が起きているのか、何が生まれているのか、これからどうなるのかに関心を抱く。

『さよならオフィス』は、そんな疑問に答えてくれる。
「これからの働き方」と「オフィスの存在意義」に肉薄したルポルタージュ。

オフィスワークからテレワークへと自宅環境を整えている間に、経営者は誰もいないオフィスを前にして、意思決定を迫られていた。本書の記述は、どこまでも具体的だ。

港区一等地のオフィス。ClipLineは、月額500万の賃料を払い、オフィスを構えていた(p.18)。「会議室もいらない」 迅速な意思決定。五反田にオフィスを移した。賃料は月額100万だ。

縮小するのか、そもそもオフィスを構えないのか。はたまた、この時期にも、方針をかえず、事業成長にあわせて、オフィスも拡張するのか。

オフィスの存在意義を問い直すことは、実はオフィスの話にとどまらないのだ。これからの働き方で注目されている「ジョブ型雇用」、「ワケーション」などについても詳述されている。

本書の良さは「オフィス不要論」に容易に陥らないところだ。適度な距離を保っている。テレワーク時代のオフィスが持つ可能性についても明確に提示されている。具体的には、①セレンディピティ(偶察力)、②企業内ソーシャルキャピタル(社会関係資本)、③同時性だ。

だからこそ、オフィスという「空間の利用」をめぐる意思決定の一つ一つがこれからの働き方を規定しつつも、そこに確かな「創造の余白」を残してくれていることにも気がつかせてくれる。例えば、私は本書を読み進めながら、「これからのキャリア」についても考えた。

「好きな時間に好きな場所で働く」こうしたこれからの働き方について筆者は「自由と責任を内包した働き方」(p.207)だと述べている。そう、今、働く自由と働く(社会的)責任を問わなければならない。

「集まる」場所が変わることだけが、問題の本質ではない。これまでの働き方を支えてきたベースキャンプである「オフィス」、その存在意義が揺らいでいる今だからこそ、働くことの本質や、これからのキャリアを考えることが許される。

『さよならオフィス』で、目の前の変化を「空間」的に捉える視点を獲得しよう。それは、自らの職場を考えるだけではないのだ。自分の職場だけよければいい。そんな考えは、ちっぽけだ。同業他社、異業種の動きにも視点を広げよう。他者/他社のことを自分事として捉えるのだ。当事者意識を持って、変化を把握しよう。こう言ってよければ、今、起きていることの「全体」をつかまえることが大切なのだ。

なぜなら、

私たちは「これまでの働き方」が変わりゆく歴史的転換の立会人であり、「これからの働き方」を担う創造者でもあるからなのだ。

『さよならオフィス』は、私たちに現実を見極める洞察の大切さと、これからの未来を担う責任の重さを気づかせてくれる。

そして、

オフィスが街に溶け込んでいくことで、手にする自由。その自由に私たちはどう向き合うべきなのかという、きわめて、本質的な問いを提起している。






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