見出し画像

野球文化がない国に引越した野球少年


彼はコロンビアで生まれたが、
ベネズエラで暮らしていた時期があり、
野球をかなり熱心にプレーしていた。


ベネズエラで過ごした時間は短く、すぐにコロンビアに戻った。
コロンビアに野球は根付いていなかったため、
彼は野球からサッカーに転向した。


元々、運動能力が高く、バランスや強さを兼ね備えていた彼はフォワードとして頭角を表した。


年代別のコロンビア代表に選ばれるようになり、
15歳のときには彼の才能に目を付けたアルゼンチンの名門チームが声をかけ契約。


19歳でプロデビュー。


彼に声をかけたチームの目に狂いはなく、
彼はすぐに結果を出した。

このチームでは5年間プレー。

途中、ケガでの離脱や不調に苦しんだりチーム史上初のリーグ戦最下位を経験したが、
全体的には良い働きを見せた。


アルゼンチンでの活躍が認められ、
ポルトガルのチームに移籍。
移籍1年目から不動のフォワードとして君臨し、
国内カップ戦の優勝に大きく貢献した。


この年の活躍を見た他のヨーロッパの強豪クラブが彼に興味を示すようになった。


2年後にはさらにレベルの高いスペインリーグへ移籍。
(このときの移籍金は約50億円。クラブ史上最高額だった)
得点ランキング3位に輝く働きを見せた。


翌年にはスペイン国王杯での優勝に貢献した。


その後は、フランス、イングランドのチームを経てトルコリーグへ移籍。


「子供の頃、ベネズエラに住み続けていたらサッカーではなく野球を選んでいたと思うよ」

と語るコロンビア人フォワードは、
・世界のアスリート長者番付15位
・最も有名なアスリート46位


に位置するなど、確固たる地位を確立した。


新天地トルコでも活躍が期待されている。

 
 

彼の名前は、

 
 
 


ラダメル・ファルカオ

以上、「野球文化がない国に引越した野球少年」でした。

記事は全て無料です。よろしくお願いします。